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ホン雑記 Vol.459「アクセルとブレーキ」
昔アンディ・ウォーホルが嫌いだった。
ロクに自分で描くこともないし、「ふざける」と「奇を衒う」のみがメインのニセモノだと思っていた。
連続したスープ缶、連続したマリリン・モンロー、連続した事故現場写真。「あぁ、こいつは芸術家気取りのニセモノだ」と思っていた。
なんでかしらんけど、いつか図書館でウォーホルの作品が載った本を借りてみた。ウォーホル自身の作品ではなく、彼を評したただ一行によって、ウォーホルの全作品がまるで違って見えた。
「彼は誰よりも死への恐怖におののいていた」
一枚の事故写真をいくつも貼りつけた不気味な作品は、繰り返すことによってリアリティを麻痺させる。
「あぁ、お前もか」と思った。自分の短絡的な発想とよく似ていた。
敵に刀剣の類を抜かれた時に、恐怖に動けずにいれば深く斬られ、背を向けても斬られる。が、相手に密着すれば当たってもせいぜい鍔元で、肩口一寸(3cmは十分痛い)で刃は止まる…。
どこかで仕入れたその発想に妙に納得して、オレはあらゆる恐怖をそんな目線で見ているところがある。
なので怖いもの見たさとはまた別な、あらゆる怖さを減らしたいがゆえに、そっちサイドに近づく習性がある。
ジェノサイドが行われたウクライナのブチャの町並みを映した動画を観た。文字通りの地獄絵図だった。耐性のない人は検索しないほうがいい。
最初からリアリティがない。
建物は破壊されているが、空は青いし、犬は歩くし、兵士はのどかに歌っている。そのせいで、一緒に映っている原形を留めたり留めなかったりするいくつもの人型が人間に見えない。
リアルに入り込もうと思って観、それから慣れてまたリアリティがなくなるまで観た。いや、リアリティがなくなることはない。
それが国の長にでっち上げられたかりそめの元敵兵とはいえ、動かない人間を前に歌を歌える人間にはなれそうもない。
99%の人は「そんなもの、なる必要がない」と思うんだろうか。が、そんな狂人が目の前に現れたらどうする。隣に大切な人がいたら…。
残念ながら、恐怖に動けなくなるのは、まっとうな神経の我々のほうなのだ。それは我慢がならない。そんな時に、オレはまっとうでありたくはない。
宇宙に善悪はない。
戈を止めると書いて「武」とした。自分の戈の狂気が見えなければ、止める力など持ち得ない。
最大限の暴力の可能性を身に潜めてなお、ロシア兵にパンを与えたあのウクライナ民のようでありたい。
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