ホン雑記984「『この世はゲームゲームゲーム…』」
養老センセが言ってた
「幸せになろうとするんじゃ…苦労するよねぇ」
だとか…
ハヤオさんが言ってた
「人生の目的は幸せに生きることなんかじゃない 」
だとか…
永久幸福追求者のオレでも首肯せざるを得ない。
なんで得ないのかっつったら、たぶんそうなんだろうし、たぶんそう思ったほうがラクだからだ。
そうなんです。私たちは(どしたんいきなり)、幸せでありたいと思いながら、どんな状況下で自分が幸せであるのか、あまり良くわかってないんですね。
なので、そもそも追いかけようもない。
ってことをね、さっき嫁の車の除雪してて思った。
最初にざっと雪をどかすだけで20分ぐらいかかった。それでも全然、凍りかかった窓の雪がこそげ取れないんで、スマホで調べて30度ぐらいのお湯作ってバシャーっとやったらあっという間に溶けてった。
えーっと、この場合は解けるじゃなくて溶けるでいいんだな。ニポンゴややこしアルな。
オレは大掃除もできないようなメンドーサ一族の首領を勝手に務めさせてもらっているが、そのわりに子供の頃の超絶な幸せの記憶はなぜか掃除のたぐいが多い。
ひと桁代の時に住んでた社宅まわりの雑草を燃やす時の匂いとか、小学校の窓拭き掃除とか、たまのワックスがけとか(オレンジゼリーみたいなのと牛乳みたいなのがあったなぁ)、中学の時の草刈りとか、水泳部しかやらないプール掃除とか(コースロープを外して水を抜きながら全員でグルグル回るのだ。すると汚れが真ん中に溜まる)、高校の時に友達とふたりで帰りにこっそり教室の掃除をする良いイタズラだとか…。
あぁ、思えばいと疾しだな…とにかく、そんなメンドくせー行事があとになって鬼のような幸福感をもたらしている。というわけでオレはこれ書いてるいま、もたらされている。
という感覚にね、さっき雪かきしてたら軽ーくなったわけさ。で、上に挙げたような清掃イベントもね、その時はメンドくせーよなーなんて文句言いながらやってたんだよね。
そうなんです。いつかの自分が幸せを感じられるようなイベントは、その時の自分はほぼほぼ意識できないんだな。
だからそんなものを追い求めるってのは、溺れてもないのにアップアップして助からなきゃ助からなきゃー思ってるのに等しいのかもしれない。
つまり幸せ求め過ぎなのは平素の環境を、何も起こってない環境を恐れすぎってことだし、現在や自分をナメすぎってことでもある。ほっといたら勝手に幸せ的な状況に入っていくのにね。追いかけたら蜃気楼やね。
そのかわり自分が「あ~幸せ~」と気づける時は、それは幻想ではない。
それが幻想ではない、と知らなければ、あとでなんかしらの苦労イベントがやって来た時に「あれもかりそめの虚しい錯覚だったな」と思いかねない。
だから苦労イベントの時には「これはいつかいい思い出になる」と思い込み、ハッピータイムの時には「あ~幸せ~」してればいいのだな。いいとこ取りってやつだ。
さて、結構な二元論者であるオレは、こんな考え方おかしくないか? って当然思ったさ。そんないいとこ取りなんてあるか? って。
苦があるから楽があり、逆もまた然りであるように、そんな片側にだけは振れない振り子があるだろうか? って。当然思いまさぁな。
それがですよ。人生をRPGのように思えば一件落着でしたわ。
そうなんですよ(今日それ多いな)。旅路の果てに街に着いた時もさ、そこで武器防具をそろえてまた荒野に向かう時もさ、結局どっちも楽しんでるじゃんか。僕たち私たち。
街にたどり着けば安らぎにわちょーい\( 'ω')/だし、街から出れば経験値が溜まってってわちょーい\( 'ω')/だ。
イーロンはシミュレーション仮説(この世界はより上位の何者かが作ったバーチャルリアリティ)の支持者だけど、だからあんなになんにも恐れずに、なんでもやっちゃうのかもねぇ。
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【今週のオリジナルソング】