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咲かない夢とセルフハンディキャッピング

ども。超ひよっこブロガーのでぽろんです('ω')ノ
みなみなさまの手で立派な鶏に育て上げてください。

さて、今日は何の話をしようかな。日に日に書き始めまでの時間が長くなっているのが気になってきたな。今日も頑張ろう。



「セルフハンディキャッピング」という言葉があります。

ウィキペディアによると、「自分の失敗を外的条件に求め、成功を内的条件に求めるための機会を増すような、行動や行為の選択のことを指す概念」

いやいやいやいや、よくこんな意味の分からん説明してくるな。伝える気あるんかいな。これ簡単に言うと、

「いやぁ、昨日寝てないからなー」
「ちょっと体調が優れなくて…」
「これ練習だからさ」

といった類の、端から見たらもれなくウザい予防線のことなんです。

で、なんでこんな話をしだしたかと言うと、もちろん他に類を見ないほど、この傾向が自分に見受けられすぎて困ってるからなんですね。


セルフハンディキャッピングには2通りあって、ひとつは「獲得的セルフハンディキャッピング」というもの。テスト前にあえてゲームをしてみたり、机や部屋の掃除を始める、あるいは取り組むべき、期限付きの課題にわざわざ妨害になるようなことを始める行為で、自らハンディキャップを作り出してしまう現象です。
自分の能力に自信がない時や、成績が悪かった場合、本当はできるのにハンデがあったからできなかったんだと言い訳するために行う、自己評価や自尊心を守るための自己防衛です。

もうひとつが「主張的セルフハンディキャッピング」で、上のほうにも挙げたように、それをいちいち周りの人間に言いふらすことです。こちらは他人の評価が下がらないようにするための工作と言えます。

非情なウィキペディアさんは仰います。

これらの行動に能力の向上や生産的な価値はない。失敗や成功の原因が自己の能力や努力ではなく、外部から与えられた要因にあるとすり替えて思いこむ行為だからである。

2回読みました。刺さり過ぎてビックリしてもっかい読みました。いや、ウマいこと言いますわ。めっちゃ分かりやすい説明でした、ごめんなさいウィキ先生。


で、この解決法を最近よくお出ましのキングコング西野さんが示してくれたことがありました。

テスト前に掃除をしてしまう自分を殺すには、それがセルフハンディキャッピングから来る言い訳だと知る事だ。それを止めるにはダサい事をしてると認識すること。掃除をし始めた時に「うわ、オレ本気出したら出来るんだと思い込めるように予防線張り始めてるわー」と思い出すこと。

この行動を解像度を上げて向き合った場合、例えば「掃除したから今回のテストの出来悪かったわー」と言ってくる友達に対して、「あー、それじゃしょうがないよね」とは思わないはず。
「いやいや、掃除を止めろよ」と思うだけ。

つまりセルフハンディキャッピングは、自分に対しての言い訳としては機能するのに、他人に対しては機能しない、どころかむしろマイナスで、誰しもにダサいと気づかれるようなことをやってしまっている。それだけ自分には甘く他人には厳しいのが人間。

これはめちゃくちゃ分かります。僕が生粋のセルフハンディキャッパーであるがゆえに、他人のセルフハンディキャッピングはいとも簡単に見抜きます。秒で見抜きます。
ってことは、生粋のセルフハンディキャッパーには、僕のセルフハンディキャッピングも秒で見抜かれているはずです。


主張的セルフハンディキャッピングよりも、むしろ獲得的セルフハンディキャッピングのほうが病的に発動してしまいます。

前にこんな記事を書いて夢を掲げてしまったんですが、まぁなんもやってないんです。あ、簡単に紹介しておくと「オリジナルソングを1曲、世に遺したいよー」っていう記事なんですけどね。

結局その夢を捕まえるのに、エベレストの頂を見上げるような心持ちでいるので、なんらかの絶大なエネルギーを貯めまくってからじゃないと無理とか思っちゃって(ここでニート歴10年のセルフイメージダウンが効いてくる)、早起きして走ったりとか、このnoteを決めた日に絶対に書くことだったりを何よりも最優先してるのです。最後の砦の感覚ですね。

で、肝心の歌の練習とかレコーディングとか広報(?)をほぼほぼ何もしてないんです。テスト前の掃除どころの話じゃないんです。努力の仕方がさきおとといの方向を向いてると思います。


ただ、ただですよ? どうも僕調べによると、どうやら罪悪感を感じるポイントが人一倍多いようなのです。

保育園の時に2年間エレクトーン教室へ通わせてもらったんですが、いやいや和音の練習をした記憶しかなく(実際は曲も弾いてたんでしょうけど)、自宅練習では癇癪を起こして白鍵をウキーッと引き剥がしてたりしました。母親がドライバーで健気に直してた光景を薄っすらと覚えています。

もちろん情操教育の一環でしょうし(自分でやりたいと言い出したらしいですが)、親もムダ金とは思ってないはずです。でもその習い事がどこにもたどり着いていないということに、まぁまぁ罪悪感があるんですね。


夢が咲かないのは自分が水をやってないので当たり前なんですが、人一倍余計に授かった罪悪感が自分の背中を押してくれるのを夢見て生きていきます。(夢それ?)

願わくは、本記事が空前絶後の駄文とならんことを。
ここまで読んで頂いてごめんなさいm(_ _)m

ではまた('ω')ノ




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