見出し画像

ホン雑記 Vol.194「ライトニング・ボルト」

いやぁ、しかしビックリした。
ボルトっているじゃない。もう名前からして速そうな。そう、ウサイン・ボルト。彼は脊柱側湾症という障害を先天的に持っていたという。


ボルトのコーチは、ボルトが14歳の時に200mを走るのを初めて目にする。それは酷いフォームだったという。曲がった背骨が重心を支えられずに上体が後ろに大きく傾いていた。100mは走れないと直感的に思ったという。
ボルトが16歳になると、たび重なる激しい腰痛を訴え、病院で診断を受けるようになる。

100m走はスタート時に、瞬間的に大きな圧が背中にかかる。その圧に耐えながら上体を前傾に保って、速やかに加速しなくてはならない。曲がった背骨によって形成された体幹の筋肉の不均衡は、そういった一連の動きを著しく鈍らせる。それはスプリンターにとって致命的ともいえる欠陥だった。
ボルトは何度も100mを走りたがったが、コーチは長い間反対していた。

取材陣はボルトの身体にモーションキャプチャーを装着してもらい、走りの解析を行なった。モーションキャプチャーは、映画のCG化の際などにも用いられる装置で動きを3次元でデータ化できる。これによって、ボルトの曲がった背骨が走りに与える影響を視覚的に捉えられる。

解析の結果、やはりボルトの背骨は走りに影を落としていた。走りを支える要である骨盤が激しく揺れていた。ボルトの骨盤は着地のたび左右非対称な動きを続ける。背骨が安定しないために、骨盤が身体を支えようと過剰に動いてしまうのだ。
ボルトの走りは、そのスピードに目を奪われがちだが、注意深く見れば肩は激しく上下し、上体はくねくねと曲がっている。そもそも速く走れるような骨格ではないのだ。
だが、モーションキャプチャーはもうひとつのデータを示していた。ボルトの地面を蹴り上げる力が尋常でない数値だったのだ。


以前、ボルトとコーチは、ジャマイカからはるばるドイツ・ミュンヘンに渡り、ひとりのスポーツドクターのもとを訪れていた。曲がった背骨でも走れる体になれないものかと懇願した。

ドクターは体幹の筋肉を徹底的に鍛えることを提案する。3年計画で20にも上るプログラムが組まれ、腹筋、背筋、大殿筋など骨盤周辺のあらゆる筋肉が強化の対象になった。
トレーニングは過酷なものであった。だが、何よりも圧倒的な結果がボルトとコーチを励ました。
頻発した怪我が減っていったのに加え、200mで国際大会のメダルを獲得するなど徐々に頭角を現した。もうコーチは100mへの出場にNOを告げることはできなくなり、ボルトは世界の頂点に登りつめていく。

曲がった背骨を守るために始めた体幹の強化。それは、いつしか爆発的な推進力という賜物をボルトにもたらした。


ひょっとしたら「曲がった背中」という欠点がなければ、ボルトは頂点に立っていなかったのかもしれない。
だとすると、最速を目指す全アスリートが、速くなるためのトレーニングをやり切れていないということになる。ボルトと同じ強化を全100m走アスリートがこなしていたら、結果はおそらく違っているのではないか。

1985年。スキージャンプにおいて、スウェーデンのヤン・ボークレブ選手がV字ジャンプを採り入れた。それまでは皆、スキー板を左右平行にして飛んでいたのだ。そこでもひとつの常識が打破された瞬間があった。


スポーツや芸術やビジネスの世界で、まだまだ発見されていないやりかたがきっとある。閉塞感を感じる昨今に、いい番組を見た。



解析の撮影後、ボルトは「僕にも見せてよ」と笑いながらモニター画面に近づいて、興味深げに覗き込んだ。

画面には半身裸体で走るボルトの姿がスローモーションで映っていた。ボルトはまるで他人事のように呟いた。

「綺麗だね。まるで天使みたいだ」




サポート大歓迎です! そりゃそうか!😆 頂いた暁には、自分の音楽か『しもぶくりん』への「やる気スポンサー」としてなるべく(なるべく?)覚えておきます✋ 具体的には嫁のさらなるぜい肉に変わります。