ホン雑記 Vol.21「命の器」
人生の中で、肉体的に一番しんどかったのはもう17年ほども前になるのか、「重症急性膵炎」を患った時だろう。
ニート真っ最中の時期で(あ、今もか)、親のスネをかじって25度の焼酎を原液で煽るクズのような日々。ようなっていうかクズだ。
その時に限ってダイエット熱が異常にあって、何も食べないまま4Lサイズの焼酎を煽っていた。酔うのに一番コストパフォーマンスが良かったのだ。
そしたらとうとう膵臓をやられてしまって、とんだパフォーマンスになり下がった。
意外にも難病指定されていて、重症になると死亡率は20~30%にのぼる。
手術も投薬も出来ずに1か月間絶飲食で、これ以上自分の膵臓が自身を溶かさないように祈るばかり。水にすら膵臓が反応して膵液を分泌してしまうので、水も飲めない。
末期ガンを除くすべての病の中で、最も痛みの強い病と言われる。
同じ病気に罹った人の中には「ナイフで腹腔内を切り刻まれているようだ」といった表現も見られた。
確かにもんのすんごい痛い。
最初病院で診てもらっていきなり入院コースだったが、その時は過去の腹痛の最大の痛さ×1.5倍ぐらいだった。相当痛いが、ナイフで切り刻まれるほどではないと思っていた。が、そのあとすぐに朦朧としてきてICUに運ばれたので痛みを感じなかったというのが正解かもしれない。
死亡率が20%以上あるということは、やはりだいぶ死にかけていたのだろう。時間の感覚も、どこで何をしてるのかも、1週間ほど分からなかった。
どうやら死ぬことはなさそうな段階に入り、普通の個室に戻ってきた。
ICUに移されてから入れられた、腸にまで繋がる鼻チューブが鬱陶しくてしょうがない時期だ。水も飲めないので全栄養がこの管を通して送られている。
このチューブも実は2代目。初代チューブはICUにいる時に、朦朧とした意識の中、自殺をするのと同じエネルギーで1度鼻からずるずると引き抜いている。それ以来、手足がベッドにくくりつけられた。
個室に戻ってからだったか、担当のインターンの若い看護師さんがついてくれた。23歳ぐらいの可愛らしい子だった。確か「赤○」さんというような名字だったように思う。
ホントに人柄がよくて、地獄の入院生活の中でもささやかな安らぎになった。彼女はいるけど、そんなのかんけーねー。
朦朧としていた意識も少しずつ回復してきて、チューブは入ったままだが歌ってみたり(個室だからね)、ベッドの柵を引き抜いて鉄アレイ代わりにしていた。それでもまだ1人でトイレも行けないほどの体力の時だ。
それから3週間ほどで退院するのだが、それはインターンの子とのお別れの時でもあった。
最後の日には泣いてくれた。オレがちょっと戸惑っていると、
「本当に元気になったから」
という理由からだった。意識朦朧で、体中に4本ほどの管をつけられて身動きの取れない時から看てくれているのだ。患者自身は特に感慨の深みもないのだが、確かに看護師さんのほうは仕事を通じて1人の人間の復活を垣間見ているのだ。ものすごい仕事だな。
この得難い経験はオレにとって宝物になった。
「親が生んでくれた体に傷をつけるな」とはよく聞くが、そういった深いレベルの絆が新たに生まれたような気がした。
「人様が泣いてくれた命を無碍に扱うな」とでも言おうか。
オレは割とすぐ落ち込むし、自分なんて…と、劣等感に苛まれることが多々あるが、必要以上に自分を責めずにいられるのはこの感覚のお陰だ。
生まれた時、限りある大きさの命の器を持たされて、人は日々を営んでいる。
この器は自分の管理下にはあるが、勝手に壊したり、傷つけたり、貶めたりしていいものではないのだろう。
自分が持たされているだけで、この器には人が使ってくれた命の時間も入っているのだ。
親だけではなく、先生や先輩や上司や友人など、関わったすべての人の時間が少しずつ影響を及ぼして作られた無二の器。
黙って勝手に自分の器を叩き割ってはならない。
少なくとも、関わって来た人に会いに行って、今のつらさを報告するまでは。
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