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ホン雑記 Vol.467「時代は回る」

Twitterスペースでは、いろんな業界の有識者たちの話を聴ける。今のオレはもちろんもっぱらWeb3.0界隈ばかりだ。

このWeb3.0ってのも主語が大きい(主語が大きいってのもまた最近聞きはじめた言葉だけど)言葉で、この界隈の人でも微妙に認識に差がある、とこの界隈の人が言っていた。

Web1.0はインターネット黎明期で、GoogleやAmazonなんかの企業サイトなど、Web2.0がTwitterやFacebookなどの現在の主流のSNSなど、Web3.0が仮想通貨やブロックチェーンやメタバースと言った言葉の寄せ集めみたいなもの。
それらの差の核になる部分は、Web1.0の単方向通信からWeb2.0の双方向通信へ、Web2.0の中央集権型からWeb3.0の自律分散型へ、といったところだ。


昨日はWeb3.0業界の若手起業家たちのスペースがあったので、そこに入りこんで聴いていた。語彙がすげーアホなのは承知の上だが、すげーって思った。若手というからにはたぶん20代の人が多いんだろうけど、20代っつったらヘタしたら子供世代で(ヘタせんでもそうか)、なんとなく「どれどれ」みたいな感じで聴きはじめたわけだけど、滅相もないですハイ。
ま、起業しようってぐらいの人たちなんで、当然同じようなソサエティな方々ではないわね。こちとら、意味もわからんとソサエティとか背伸びして使ってるレベルだしね。

いやー、それにしてもツイートと違って説得力がすごいんだね。声ってね。おじさんはビックリしちゃったよ。意味もなく気ばかりはやるこのご時世、「知らんヤツの音声なんて倍速にもならんし聞けねーよ」と思ってたんだけど、声のリアル感というか、身内感というか、単純接触効果感というか、贔屓目に見ちゃう感の作用はすごいもんだなと思った。
最初に馴染むと結構ずっと聴いちゃえるし(ちゃえるってなんかいいな。聴いてしまえるに変えようとしたけどやめとこ)、意外にも毎回「へーっ!」ってな発見がある。思わず「ここだけの話」みたいなのを言いたくなるんだろね。スピーカーたちもただのツイートよりは、何人も聴き耳立ててるその場を盛り上げたくなるのかもしれない。ライブのテンションっていうかね。


印象に残ったのは、起業家のひとりが、自分は反出生主義者であると言い出して、それに何人かのスピーカーも同意していたことだった。
読んで字のごとく「人々が子供を持つことは不道徳だという信念」で、詳しくはwiki先生におまかせするけど、知った瞬間におよそ万人がイラッとする考え方であるのは間違いのないところだろう。
それは脊髄反射のスピードで「じゃぁお前も生まれられんだろうが」という反論が頭に浮かぶからだ。

が、この感覚はオレの中にもかなり強くある。で、自分で言うのもなんだが、そんなにヤバい思想だとは思っていない。かなり強くありつつも「生まれちまったからには仕方がねーや」というスタンスなので(同じ主義の中でも千差万別の思想がある)、自分もまわりも、そしてまだ見ぬ若者たちも、根こそぎ幸せになれたらいいなと思って生きている。基本的には。

そうでない時はかなり黒いし、こないだも人格障害チェックをやってみたら4種類もの病名が付けられた。嫁はひとつもなかったんで、やっぱり結構人格が破綻しているんだろう。あー、寂聴氏の思想にかなり似てるとこあるわ。「いろいろ経験したけど刑務所にだけは入ってないのよねぇ」と少し残念がるような感覚。


Web3.0起業家の根底に少なからずあるのは「なんだこのつまらん世界は?」なんじゃないかと思う。
中央集権型の社会はそこのトップが「もーやーめた」って言ったら一巻の終わりで崩壊してしまう。その最たる被害者がドナルド・トランプだろう。米大統領でさえTwitterに嫌われて永久凍結されてしまった。
生まれながらに「つまらない世界・理不尽な世界」という感覚があれば、エネルギーのある者なら誰だって世界を変えたくなる。

今や大資産家でもあるイーサリアム創始者ヴィタリック・ブテリンは、子供の頃2年を掛けて遊んだオンラインゲームの能力値を運営に変更され「ゲーム会社になぜそんな権限があるのか」と絶望したという。
これは普通の感覚…いや、普通というのはおかしいか、我々のような、人生の途中からオンラインゲームが出てきた世代から見れば笑い話だろう。
あるキャラクターやスキルが強くなりすぎてゲームバランスが崩れれば、パワーバランスを修正されるのは(一部残念に思う人もいながらも)仕方がないことと捉える。
でも、若きヴィタリック少年がそこまで絶望したのは、もはやゲームの中でかなりリアルに2年間を生きていたからだと思うのだ。
このことはオッサン世代から見ればまさに「最近の若い者は」の典型的な対象として映る。ひきこもりの病気じゃないかと。外で汗かいて遊びなさいと。
が、この感覚は、銀行預金が…いや、通貨が存在する前に生まれた人間が「労働を肉や魚や木の実じゃなくそんな紙切れに変えてどうすんねん。ぷげら~っ!」と思ったに違いない。だけど今の我々は、金、貨幣、さらに今はなんの裏打ちもない銀行のコンピュータ内のJPYの数字の量を絶対視していて、同じことが繰り返されているのかもしれない。
傷ついたヴィタリック少年はビットコインの存在を知る。それからブロックチェーンの概念の理解にのめり込み、19歳でイーサリアムを立ち上げる。
それは、運営の暴挙を許せなかった彼が、ゲーム内での行動・時間・スキルなどを「資産」と捉えていた発想のおかげとも言える。
今までの頭のままで生きていく人には笑い話だが、その資産がなくなることが許せない人間が増え続ければそれは「価値」になる。「一ゲーム内での資産を失いたくない」という思いは、それを他のゲームに逃がすことも考えさせる。権力は分散するのに、ゲーム同士などのプラットフォームはどんどん繋がっていくのかもしれない。

若き起業家たちとヴィタリックの共通項は「既得権益の嫌悪」といえるだろう。
オッサン世代にとってのチェッカーズの「ちっちゃな頃から悪ガキ」は、『うっせえわ』で「ちっちゃな頃から優等生」と非暴力になった。
あの時のロックや学生運動は、今でいうWeb3.0か。とするならこっちも非暴力だ。
昔で言えば不良とマジメorオタクなんだろうけど、今は境目がなくなってきたねぇ。



あー、この記事を書きはじめた趣旨がわからんくなってしまった。
えーと、なんだったっけな。
たぶん、未来では、いかな思想・哲学・宗教が個人のバックボーンにあるのかがだいじになると思うってことが言いたかったんだと思う。
それを持ち、ブレさせないことが厭世感を遠ざけ、生きてるって素晴らしい主義になっていくのだとも。


あぁ、機械化・コンピュータ化が進んでも、思想・哲学・宗教がだいじになるってなんか不思議。

いや、当然のことなのかな。




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