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ホン雑記 Vol.369「ぐいんぐいん行くぜいん」

今日は悪口と宣伝がダブるクソ回なのだ。
たまにどっちかを発作的にやっちゃうんだけど、今日はどっちも重なっちゃった。うへへ。
ごめんちゃい。


奄美民謡独特の節回し「グイン」というのが大っ嫌いだった。そう、元ちとせのやるアレ。もうゾゾ気するほど嫌いだったのさ。

彼女がテレビに出てきはじめの時、みのもんたも自身の番組で平然と「何あの歌い方、うぇあう~うぇあう~と。キモチ悪い」と、さも気持ち悪そうな顔で言ってた。
今のテレビ観だと絶対そんなこと言えんやろな。当時でも「うわ、言うてもうたで」と思ったからね。大っ嫌いなオレでさえね。

そっから十数年後、あまりに嫌いなものってクサヤみたいなもんで、たまににおいを嗅ぎにいきたくなるんだな。どっかでずっと気になってる。

「ちょ、ちょっとだけマネしてみちゃおうかしら? ちょ、ちょっとだけよ?」と、誰に断りを入れてるのかしらんけど、そんなやりとりがひとりの脳ミソの中で行われて、許可も出たのでちょっとだけやってみた。

まったくできない。どう歌ってんのかも分からない。


さて、ひとつ目の宣伝がこれ。いや、オレもこんなことはしたくないよ? でも説明すんのにピッタンコなんだよ。
自作の詩みたいなヤツをちょっと出すでよ? まぁ、最後の段だけでも見てってよ。

180度


嫌いなものや 嫌いな人の存在価値は
いったい何なんだろうと考えたことがある

攻撃対象にしてストレス解消
自我を作り上げる作業上での切り屑
自分より下の存在だと思い込むことで得る恍惚
どれも見事な排他思考の結晶だ

でも最近こう思う
嫌いなものたちは 好きなものが壊れてしまったり
好きな人との絆が断たれたりした時の 希望の保管庫なんじゃないのかと
嫌っていれば まだ見ぬ希望に近づかずにいられる

嫌いなものたちは
将来訪れるであろう苦しみを乗り越える時の原動力となるために
今の僕に嫌われてくれている

これスンゲーこと言ってない? いや、オレ自分で言ってく派なんで。こういうの。気づかれんと困るしね。
それに今のオレでは逆立ちしても浮かばん(メッサへこんでる時期だった)ので、マジですげーと思うんだよ。
え? 他のヤツも見たいって? しょーがねーなー。ちょっとだけよ?

つまりね、世界に全部好きなもんだけだと結構地獄よ。思考実験で試してみたらいいさ。「あー、フェラーリ乗りてー」とか「いい女○○てー」とか思った瞬間に手に入る世界。
そこは渇きと憧れが存在しない世界。「やったー!」がない世界。非日常の喜びがない世界。いや、喜びがない世界。つまり笑顔のない世界。

すべてを好きにならないで済む方法、つまり「オートメイテッド好き小出し法」は、嫌いものたちにその感情のままカギをかけることだ。
あ、だから「嫌い」は、あえて自分でやってるような心持ちに近いんじゃないかな。「あぁ、これは『嫌い』の箱に入れてるんだった。敵、敵。」って。
「好き」はそんなことワザワザしてない感あることない?
あることないって、や、や、こしや~、や、や、こしや~。


んでね、そのちょっとにおい嗅ぎにいっただけの嫌いなやつが、全然マネできないと腹立つじゃない。なんだこんなもんって。

そっから特訓ですよ。その間ずっと「何やってんだオレ」な脳ミソに付き添われながら。
1日数分、1週間ぐらいかかったかなぁ。ある程度はできるようになった。大っ嫌いな「グイン」。
何をどう歌ってるのかも分からんので、25%で再生したりしながらね。で、最初はそのスピードでしかできない。
それを段々早くしてってグインっぽくなっていった。

あれはねー、「一瞬だけ裏声」だけじゃないんですよ。それは結構誰でもできると思う。ほら貝やヨーデル1回分と同じだね。グインはねー、まぁいいか。

とはいえですよ。
オレが独学で「できてるんじゃねーの? これ」と思ってるだけなので、奄美のグイン界隈の人。叩いてこないように。叩きにくるぐらいなら教えなさい。
聞かんけど。

で、そいつがふたつ目の宣伝、作曲月間第2弾「黒」のオリジナル曲になるのである。

こいつのAメロの「墨に浸す筆もないに」、「また誰か失う気がて」、サビ終わりの「日々は二度と戻らい」がグインになっている。
おそらくはなっていると思われる。

しらんけどな。



費やした練習時間がちょっと浮かばれた気がする。

しらんけどな。




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