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ホン雑記922「精神的ドMのススメ」

あ、922だ。誕生日なんすでよ、はい。
いや、今日じゃなくて。922が。

どーでもえーか。


精神が幼いせいか、そういうのが気にな…
あーっ!!! 今日オトンの誕生日やんか! 1110! いまは亡きオトンのさ。あれ、なんか急に悲しい感じになってウケる。いや、オレは悲しくなってないぜ。

で、こういう偶然に精神が幼いせいかやたら反応する。もちろん遊びでだ。いや、遊びとはいえ、ホントに心はワッキュワッキュと反応するんだけど、こういう偶然を知人レベルの他人に「これ絶対なんかあるってー! 絶対そうだってー!」とか言っちゃうような浅はかな人間では私は、ない。いま浅くなったけど。
ひょろ長い雲でも見ちゃうと龍神様に見えるとかすぐ言うヤツ。あれホント無理。それはなんもねーよ。オマエのはちげーんだよ。ただの勘違いだ。なんでもかんでも一緒くたにすんなよ。
って、オレのも余人から見りゃそうなんだろか。そうなんだろな。


話まったく変わるけど、最近オレは気づいてきた。
ちょっと常軌を逸した「悲しがり」であると。

何もかもが悲しい。悲しくて悲しくて、クッソ昔に流行った「悲しくてやりきれない」の歌詞を見てみたら、オレが書いたんかおもた。
歌の人物は「胸に染みる空の輝き」とか「深い森の緑に抱かれ」とか、のほほんとした環境にいるんだけど、その限りない虚しさに救いはないのかとか、燃えたぎる苦しさは明日も続くのかとか、そんなことばっかり言ってんだよ。
こ、こいつはオレかと。

数年前まであった「死の恐怖」なんかもいまは消え失せてるし、身の凍るような淋しさもない。
非常に純度の高い「悲しみ」だけがどでーんと、心の玉座におわすのだ。別に恐怖や不安やその他諸々のマイナス的感情とつながっていない。元気がないわけでもない。だからどうすることもできない。初期設定なのだ。うはは。
いーや、思い込みじゃないですー。残念でしたー。

そうねー、たとえばねー、小学校の頃、たまの土曜日に両親が車で迎えに来てくれることがあったのさ。ご飯でも行くんだろうね。乙川ユニーとか行ってスガキヤ食ったりしてたんだろね。知らん人はスルーで。だいたい知らんか。

で、校門前で後部座席に乗り込む時に、なんと靴脱いで乗ろうとしたんだよ。そうだね。かわいいね。
家の玄関と勘違いしたんだろな。いや、勘違いってそりゃヤベーな、勘違いはしてない。ほれ、先生にお母さんって言っちゃう現象と同じタイプのミステイクさ。
んで、助手席のオカンがたまたまオレが靴脱いでるの見てて、たぶん爆笑モノだったと思うんだけど、オレはしばらく闇にさまよったわ。
(もしあそこでオカンが見てなかったら、あの靴、どうなったんだろう)
って。
いや、普通にそこにあるだろうな(笑) それか、誰かが拾って落とし物になってるだろう。最悪無くなってても、家に着いてから「あ! 靴履いてない!」で済むし、他の靴を与えられてない子でもない。その靴に思い入れがあったわけでもない。

つまり、「そこに置いていかれた靴の『ぽつん感』」が心をえぐりまくるわけなんだよ。問題なのはその「ぽつん感」であり、それは悲しみオンリーなのだ。こう書いてるいまも半々泣きぐらいまで来てる。


なんやかんや言ってオレが一番だいじにしてる自分の特性は、あらゆるものに「ぽつん感」を見つけて「ウッ」となることかもしれん。




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【今日の過去詩リーズ】




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