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ホン雑記 Vol.622「HSPへ朗報と悲報」

ホントはハイセンシティブなんてそんなフザけた名前ワイは認めてへんで。ただのヘタレなんでねこんなもん。何よりオレが繊細なヘタレなんで。こんな箔のつく名前いらんやろ。ただのヘタレ。

ニートとかもそう。ただのダラケですよあんなもん。NEETなんて名前つけてどうすんねん。プー、フーテン、ダメ人間でいいんですよあんなもん。NATOとかBRICsとか、なんや高尚そうなもんと勘違いするやんけ。


いまヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読んでいる。ホロコーストから奇跡的に生還した精神科医の物語だ。

自由を奪われると、人はみな諦めはじめる。誰もが無感動、無感覚、無関心になる。それ以外に生きていけるスタンスはないからだ。
フランクルは、バラックの中でスープを貪っていた。窓の外を見やると、たったいま外に引き出された亡骸の眼が部屋の中を覗いていた。それは2時間前まで会話をしていた仲間のひとりだった。その様子を見ながらまた、平然とスープを飲み続けた。
彼が職業的な興味から自身に起こった無感覚に驚嘆しなければ、この記憶すら刻まれていなかっただろうという。それほどに感情がなくなるのだと。
フランクルはこの人間の変容に「心の装甲」と名づけた。

このバラックにいる者は、最初の「選別」をくぐり抜けた数少ない人たちだった。労働力として使えそうな者だけが、無償労働にありつけた。そうでないほとんどの者がガス室に連れて行かれた。
最初の勝ち組でさえ使い捨てだ。手当てはなく、弱ったら死ぬだけ。看守の目に弱者と映ることすら、なんの得策にもならない。
地獄の中で、心の装甲を身につけた者、そして肉体の頑丈な者が生き長らえた。

ちょっとした異変が起こる。

1944年12月。クリスマスから新年にかけての間に、収容所内でかつてない数の死者が出た。
その理由は、過酷な労働でも、飢餓でも、伝染病でもない。絶望であった。
「クリスマスにはきっと休暇が出て、一時的にでも家に帰れる」という、いつしか収容所内に蔓延した希望がものの見事に断たれた時に多くの死者が出た。もちろん自死ではない。落胆によって力尽きるのだ。

最後の最後は、心を凍らせた者、強靭な者よりも、希望を捨てなかった者がより生き延びた。
希望を持つ者、それは感受性の強かった者だという。生きるために凍らせたはずの心が、そのひだを掻き分ければ小さな光を灯し続けていたのだ。人間の奥底は決して無関心になったわけではなく、最後の火を消さないための装甲を作るのだ。
フランクルは精神科医だ。日々人間の苦しみに接している。自分の著作を苦難と闘うすべての人が待っている。なんとしても書き上げて、世に出さねばならない。それこそが彼の揺るぎない灯し火だった。
自身が地獄の中にありながら、塀の外の人々を救うことばかりを考えていた。

なぜ希望というものが、これほど人を物理的にさえも生かすのか。
それは、恐ろしい現実から、精神の自由と内的な豊かさという「もうひとつの世界」へ逃れる道が開かれるからだ、とフランクルは言う。
人は究極の束縛の中にありながら、自由を感じるのか。


さて、冒頭の暴言を詫びよう。
だけどね、オレはこういうことをね、知ってもらいたいんだよ。

ウソだと思っててもいい。自分には絶対無理だと思っててもいいんだ。どっかで頭の片隅にでもこういう発想がこびりついてりゃいいさ。その時自分がどう動くかなんてわかんないしな。
でもさ、見たことも聞いたこともない希望は抱けないんだよ。そういうふうになってんの。この世界。この宇宙。



悲報とも書いたわけは、わかるよなぁ~?
いつまでも弱者の印籠を掲げてる場合じゃねーぞ、と。

「助かりたい」を捨てて、「助けたい」にしか人生を使わなくなった時に、勝手にテメーが助かるんだよ。

せっかくの感受性を紋所にしといてどうすんねん。




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