見出し画像

ホン雑記 Vol.603「フォーカスすればなんでも遊園地」

芸術のオレ的理想は「王道かつ隙間」だと前に書いた。

王道は技術やレベル。隙間はスキマ産業のスキマみたいなものだけど商い的な意味じゃなく、未踏の場所に行こうとする意志。哲学や微々たるてらいも隙間のうちに入るかもしれない。
王道が「行う」だとしたら、隙間は「思う・言う」に近いところもあるか。

こないだNHKの『日曜美術館』の「超絶技巧」の回を観てしまって、それがちょっとだけ崩れた。「隙間」のほうの価値がずいぶん下がった。
ただ黙々と、創作物を事実のほうへ近寄せる。その姿勢の前には、名を遺したい、売れたい、なんかが不純にすら見える。


おととい嫁が「名古屋行って来るわ~」言うて名古屋行ってきた。
あ、ここは田舎だ。

それがまた超絶技巧展だった。吉村芳生という人の絵だ。

画像1

画像2

上のはもちろん写真ではない。
それに、描き方が異常すぎる。3枚のキャンバスを合わせた作品だけど、右のほうは余白になっている。右上が1マス分空いてるのを見ると、1マスずつ完成させてから次のマスに移動していくんだろうか。この途中経過(?)を見ると余計に印刷物に見えてしまう。

下はある意味、オレが言うところのゴリゴリの「隙間」を狙っている。芸術性の薄そうなものの羅列は、ウォーホルのスープ缶やマリリンを感じさせなくもない。
が、オレだったらこんな気の遠くなるような「隙間」はイヤだ。新聞紙に自画像を延々と描くことなんて…

えっ。

いま調べてみたらこの新聞、全部手書きらしい。もちろん新聞内の写真も。
これはずっと知らんで見てたな。これは…もう病気だな。
(訂正:新聞紙も手描きなのは全部で9作品らしい。)

なんだろな。なんでこんなことができるのか。
こないだ為末大氏が「経営者やアスリートやアーティストにはリーダー性がいるけど…」とさらっと言ってたけど、まさにリーダーシップなんだよ。アーティストにはそれが不可欠だ。リーダーに従うのは己ひとりなんだけど、狂人じみたリーダーシップが要る。

こないだ黒部ダム建設のテレビやってたけど、なんか吉村氏の作品…というか人生を見ると、そういったどこか建築物的な、そんなんひとりじゃとてもできないだろうと思わせる強固な意志を感じる。
だってこれ、普通は途中で「迷う」よ。最初自分が決めた意図をどうしても疑っちゃうよ。
ダム作って発電できたり治水・利水できるなら、人様のお役に立てるならという精神の背骨があるならまだわかる(それでももちろんオレには無理。人のために仕事で死ねない)。
だけど、新聞に…いや、新聞じゃないんだった、新聞描き写した上に自画像だよ。なんだよそれ。こういう人とだけはケンカしたくないわ。


この人見てもやっぱり、半泣きした。
ちょうど崇高さと悔しさが半々でブレンドされたような感じ。すごい人にあたるといっつもそのブレンド。
この相反しそうなブレンド比率を自分の中に感じられるのは、オレにとってはかなり喜ばしい。どっちか片方だけになったら、何か作ろうとは思わなくなるんだろう。



嫁が買ってきたカタログ(画集はないらしい。カタログだけど2500円する)の最初にこう書いてあった。

退屈だとして切り捨てられる日常のひとこまから、非日常な新鮮味を発掘してみせる。
それが芸術の力でしょう。
一輪の花に、そんな力を見いだしたいんです。


あぁ、それだわ、芸術。
言われてみればそれだ。なんの思想も必要としてはいないんだ。
誰の中にでもある、シンプルな要素だ。

散歩行ってくるわ。
なんか見つかるかな。




サポート大歓迎です! そりゃそうか!😆 頂いた暁には、自分の音楽か『しもぶくりん』への「やる気スポンサー」としてなるべく(なるべく?)覚えておきます✋ 具体的には嫁のさらなるぜい肉に変わります。