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ホン雑記824「写スンです」

まど・みちおの詩集を読んでる。落ち着く。
子供の頃から本好きなお子だったけど、やっぱいまでも本はいい。芸と本は身をタスク…助くなぁ。どっちも好きなワテは恵まれちゃんだねぇ。


まどさんを見てると詩人の鑑だなぁと思う。鑑だし、詩作の姿だけで詩人の後人を癒すなぁと思う。
何を持って鑑かってーと、カメラを持ってるかどうかなんだと思う。心のカメラ。失礼を承知で言うけど、まどさんにはたぶん小説家になれるような語彙はないんだと思う。でもカメラが胸にある。

この「カメラ」って言いまわしは「100分de名著」の金子みすゞ回で、伊集院氏が使って気に入ってる言葉だ。
「彼女はカメラを持ってて、いろんなものにすぐさまピントを合わせられたんでしょうね」と。たしか「お乳の川」について話してた時だったかな。

で、詩人にとって言葉は2番目の商売道具なんだと思う。やっぱカメラがないことにはどうにもならない。
思えばオレが好きな人たちはみんなカメラを持ってた。まどさんや、みすゞや、賢治や、ヒロトや、ドリアン氏など。
持ってたって、生きてる人もいるな。

彼らのカメラが写す何を好きなんだろう。
カメラを持ってる人はわりかし、居る。オレもボッロい写ルンですぐらいのやつは持ってる。つもり。
だけど彼らのフォーカスが稀有であるのは、その多くが「弱さ」に向けてであるから、のような気がする。弱くて小さくて儚いもの。
それは、損得や正否や優劣のそのオイシイ側に囚われがちな多くの目とは違う場所を見ようとする目だ。見ようとしなくても視界に勝手に入ってくるんだろうけど。

昨日まどさんの詩集で10篇ほど読んだけど、その中で一番好きなのがこれ。

蚊は死にました
自分を死なせたものの
てのひらのうえに…
一りんの
まっ赤な花を残しておいて…

「カ」という詩の中の一部を抜粋してみた(「カ」という詩はいくつもあるんだけど)。
言葉の上で彼我のフォーカスがグリングリンしてるのもすごいんだけど、グリングリンしてる時には実際に意味合いもそうなってる。つまり、まどさんが蚊の時は実際に蚊なんだね。大仰に言えば、これはレベルの高いシャーマンがやってたことと似てるのかもしれない。自分を蚊に降ろし、その間は蚊を自分に降ろしている。彼はそういう時に人間でも蚊でもある。

オレはやっぱりこういう人が好きだなぁ。「自分さえ良ければいい」の対極だ。写ルンですぐらいは持ってルンです、とは言うくせにエゴの塊ヤロウ(自己愛性パーソナリティ障害のケがかなりある)で、自分さえ良ければいいどころか、自分だけが良くなくちゃダメ、なんてさんざん思ってきた。
だからそういう真逆の人に憧れるんだろうね。真逆とは言ってもオレにも多少はそっちのケもあるんだけど。
え、謙遜? 自慢? どっち?
どっちもあるってことぞ。それが人間ぞ。


ってことで、朝の散歩中はまどさんのカメラを無理矢理借りることにしたんだけど、そしたら一発でアリがよく見えるようになった。
こういうのって持って生まれたモノの差も多少はあるんだろうけど、やっぱりやるかやらないかだと思う。子供の頃にはみんな持ってたカメラなんだし。

それを見る用のカメラを持ってくかどうか。
茶柱とか虹とか、幸せなんかも、それだけのことなのかもしれんねぇ。




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