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ホン雑記 Vol.100「3ケタは長いぞ~」

おめでとうございます。
あ、どーもありがとうございます。
一人二役でございます。


「ホントにとりとめもない雑記」も100回を迎えた。
ま、100日連続でもないし、1年経ったわけでもないんで、なんてことないんだけど、ずーっと「Vol.」のあとに2ケタを打っていたのでね。
あぁ、今日から3ケタなんだなぁと思ってね。こうやって書いてみると全然たいした話じゃないんだけど、本人はちょっと感慨深いのだ。

SNSやここでの、いいねやスキやフォロワー数やコメント数を気にして、ずっとしょぼくれていたような日々だったなぁ。いったい何度やめようかと思ったことか。ホント。
好評も批判も、人の目を気にしない人格になりたいと思いながらも叶わない情けない人間だが、こんな性格でも良かったのかなと、いま少しだけ思う。


実は、ずっとずっと日記を書きたい人間だった。
中3の時に書きかけたが、ホントに3日ぐらいで終わった。それからは、神に選ばれしめんどくさがりのオレには無理だろうと思って書かずにいた。
あ、いやいや、ウソこいた。数年前に日記のようなものである「モーニングページ」というのをやってみた。ってか、ほぼ日記だ。
「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」という書籍の影響だった。起こったことだけでなく、やりたいこと、思い浮かんだことなど、何を書いてもいいのだ。なんにも書くことがなーーーーーーーい、でもいいらしい。
これも数カ月続いたけどやめた。

この1年ほどは、SNSで人に近づき、興奮し、人に飽き、落ち込み、また倦怠の日々に戻りつつあるが、今となっては人の目を気にする性格のお陰で、SNSとnoteが続いているのだと思っている。

いつも1ケタのいいねであっても、どこかの誰かが、自分が伝えている以上に受け取ってくれている回があるかもしれない。そんな記事がひとつでもあればいいじゃないか。

その想像上の「目」を気にする性格だからこそ、何度も何度も読み直して数カ月前のnoteの誤字を見つけたりすると異様に苛立つのだ。
「あんなに何度も見直したのに」と。

誰からも期待されていないのは分かってはいても、その時のオレは、自らの担当編集者なのだ。



最近気にかかっているメンター(前からでもあった)が、
「私たちの、人生の大事な仕事は、誰も評価なんかしてくれない」
と言っていた。

孤独の深淵を覗いたことがなければ、浮かび上がらない言葉だろう。
先達の傷は、触れるだけで不思議と後進を癒す。


他者の苦しみにフォーカスしようと思った。

やりすぎない程度に。




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