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ホン雑記 Vol.647「でも休憩じゃなくてまさに放課なんだよなぁ」

今日もネタがないなーと思ってヤフニュを見てたらちょっとおもろいのがあった。


「明日のパン」という言葉は大阪のオカンならでは…というものだ。
ウチのオカンは大阪のオカンだけど、オカンがオカンになってからはほとんど愛知のオカンだ。これはどうやらオカン言いたいだけのヨカン。

なのでオカンが「明日のパン」と言ってたかどうかあまり気にしてなかったけど、「明日のパンうとこ」という「概念」はスッと入ってきたんで聞くともなしに聞いてるのかもしれない。コメントには、
「めっちゃ言うけど本当にパンを買うかどうかはまた別問題」
「食べるかどうかじゃないんよ。家にあるかどうかやねん」
とあって「あー、なんとなくわかるわぁ」だった。オレの肌感では「いま家にあるかどうかわからんし」「ちょうど外に出たしついでに」という感覚が強い。実際のトゥモローのことじゃなく、明日と書いて未来と読むような…いや、もうちょっとズレてきてるな。
とにかく「ついでに」「せっかくやし」「とりあえず」「~しがてら(毒のほうではない(いま知った))」「そんなすぐに腐るもんやなし」「とりあえずうといたら安心やから」という概念だと思う。オレも人生で半分ぐらいしか大阪弁しゃべらんのでわからん。結婚したらさらに比率減ってもた。
って、とりあえず2回出て来てるやん。これなんかあれやな、「しらんけど」の精神がバックボーンにガッツリある気がするな。「明日のパン」の概念。ってか生き方。ってか哲学。


そうかー、その場所におると当たり前だと思うよなーって思ってたら、愛知にはドエラいのがあった。

「放課」だ。

これの意味が愛知だけ違うと知ったのはわりと最近のことで、そのこと自体にも驚いたけど、その当時も、そしていままで、よくオレにその事実が伝わって来ずに済んだなってのも驚きだった。よく情報の網の目をかいくぐって来られたな、オレよ、と。

愛知では10分放課、20分放課という使い方をする。そう、全国版の「休憩」「休み」にあたるものが「愛知の放課」だ。この数十年で一番びっくらこいたかもしれない。
だってよ? たとえば三重の人は「ホンマやに」って言うけど、アクセントが関西で「やに」はキッタナイ愛知弁のままだがや。
ちょうど地図上の位置関係と同じように言葉もハーフなわけ。境目はグラデーションになってるわけ。
だけど「放課」は愛知だけっていう。よくそれずっと漏洩しなかったね、逆に淘汰されなかったねって思うわけさ。隔絶レベルが横井庄一さん並みだよね。

たとえば、愛知の弥富市と三重の桑名市(隣接してる)をまたいで友人関係の小学校教師ふたりがいるとしてさ、そりゃいると思うんだけどさ、いや別に生徒でいいのか、「三重人が『放課後遊ぼうぜ~』って言ってきたら、愛知人は『ほ、放課…後…? それ授業中じゃない?』と話噛み合わない問題」が県境では連綿と続いてきたはずでさ、よく取り込まれなかったなぁと思うんだよね。愛知。



こういうなんてことのない記事もたまにはある。
そんで、こっちが理想の姿、と文字数。




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