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ホン雑記842「Connecting the dots」

コロナで朝の散歩に行けてないんで、このnoteのネタが思い浮かばないってのもわりかし苦痛になってきた。散歩ってのはすごいもんだね。たびたび言ってるけど。
日光浴ついでにでも散歩は行ったほうがいいんだろねぇ。紫外線によって皮膚で生成されるビタミンDは風邪予防にもいいらしいし。へー、ビタミンDはコレステロールを元に生成されるんだー。


あー、ホントに書くネタがない。つらたん。書きはじめてから30分が経とうとしている。今日はもうやめたろか。最近閲覧数も減ってるし。
いやいや、人目は関係ないんだった。日記の代わりに書いているのだ。そもそも、自分で書いたものをこれだけ(人と比べようもないが)見返すのが好きなヤツもあまりいないと思う。見直しとは別に、気に入ったのは3回ぐらい見返したりもする。その日のうちに。
だから何か書き物をするのにはきっと向いてるんだろう。人から見て価値があるかどうかはしらんけど。
でもあると思ってるから書いてんだろね。タイトルにナンバリングまでして。

オレは人に興味がとんと無いくせに、特に普通の人に興味が無いくせに、人が長年続けてきたことにだけはやたら反応するところがある。冷たいオレだけど、このたちがあるからこそ自分を悪魔くんと見限らずに生きていられてる気がする。

こないだ「出川哲朗の充電させてもらえませんか」をなんの気になしに見てたら、たまたま67年間も営業していた薬局を閉めるその日っていう店を発見して、最後に店主のおっちゃんと写真撮影してたんだよね。
で、出川が店の外で、十数人ぐらいいた地元の人たちに「67年間続いた薬屋さんが今日閉店するんですー!」「お父さんお疲れ様でしたー!」と呼びかけて、みんなでお疲れ様モードになるんだけど、店主のおっちゃんが泣く前にもう号泣してた、ワシ。

やっぱりね、普通がイヤとかね、働きたくないとかね、同じことずっとやってたくないとかね、メンドくさいとかね、そんなことを思ってる反動ってすごいんだなって思った。
そんなもん、って思う反面、ひとつところで町のみんなのためを思って(思ってやっていたわけではないかもだが)ひとつのことを続けてる人を見ると、尋常じゃなく尊敬してんだよ。自分ができないからね。
だから最近、オレが唯一の常連やってる地元の中華料理屋があるんだけど、帰りの車中でいつもウルウルするようになってきた。中3の時からずっと行ってるからなぁ。回数はめっちゃ少ないけど。年に数回ぐらいだけど。

別にお金を払うほうが上なのではないと、数年前からしみじみ思うようになってきて、そう思ったらそこでずっと同じ料理を提供してくれることってすんんんごいことだなって。オレにはそんなもん、何かあるのか? って、いつも思うようになってきた。そのたびに尊敬心が湧いて、同じだけへこむようになってきた。

でも、昔見たジョブズの「愛せる仕事がまだ見つかってないなら探し続けろ」がオレにはたまたまブッ刺さったまんまで、それがいつも希望になってるとこがある。それを聞いてなかったら、ヤバかったかもなぁ。生きてる意味のない人だったわ、ってな。

って、意味のない人なんていないんだろうけどさっ。




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【今日の過去詩リーズ】




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