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ホン雑記 Vol.193「限界コノハムシ」

昨日のダイエット決戦日。一応クリアなのである。
サウナに5時間いて69.95kgを見たので勝利なのである。いや、本質はそういうことではないのは分かっている。が、ボクサーだって測定日に規定の体重を下回ってればいいのだ。シイタケを口に含んで、唾液を出し続けるなんて方法でも下回ってればいいのだ。

ということで、いまのオレの体重は72.7kgある。昨日サウナに入る前より増えている。脳内のファンファーレを聞きながら、祝賀たこ焼きパーティーを開いたのが原因だ。強めの塩味をつけたマヨネーズたこ焼きで食う白メシは最高だった。負け犬である。


ダイエット結果の報告はこんなもんにして、昨日炭酸風呂に浸かりながらふと思った。

「限界は自分で決めている」という言葉の「限界」も自分で決めているのかな? ってことだ。

この時の限界ってどこか、サボってたりとか全力を出してないとか、他人にサポートしてもらえればギリギリまで攻めれるみたいな、肉体的&精神的にギリギリのラインのことのように思っていた。まぁ、「頑張ってない」とほぼ同義のような。
でも、昨日炭酸風呂に唇まで浸かってしびれを感じながら、そういうこっちゃないんじゃないの? って急に閃きがやって来たのだ。


それが、日本人の100m走の記録についてなんだけどもさ。
2017年、桐生祥秀が日本人で初めて9秒台を出した。それまでの記録は、1998年に伊東浩司が出した10秒00。
19年間不動の記録を更新してから、現在は4人が10秒の壁を破っている。最速は山縣亮太の9秒95。

これは不思議すぎる。脳幹のRASが作用しているのだろうか。「日本人が9秒台を出せる」という皆の認識は、その事実ありきの生活や訓練を引っ張って来る。

この引き寄せは何も超常の力ではない… と言いつつ、実は超常の力まで繋がっていると思っている。

それがタイトル画にもある「コノハムシ」だ。
こんな生き物がいながらまだ、生物学界では「自然淘汰&突然変異」による進化論が定説になっている。たまたま起こる変化のうち、より環境に適した者が生き残るという説だ。

どこにこんなたまたまがあるというのだ。
木の葉っぱを見て、これになれば敵に見つかりにくい、この形にならないと死ぬ、と思うほどの想いが先にあって、自らそうなったに決まってるだろう。
花の蜜が甘いのだって、糖をエネルギーとする昆虫がそれを吸いに来るから→吸いに来た昆虫に花粉がくっ付いて運んでもらえるから→そのことを分かってる花の中(外?)の何かが自らそうしたから甘いのだ。考えてやっているのだ。
袋状のウツボカズラだって答えをくれてるじゃないか。洋式便所のようにフタまでついてる。どこにこんなたまたまがあるというのだ。

「限界」ってつまり、このレベルにまで持って来れるものだと思うのだ。
人間の手がこんな形で、指にいくつかの関節があって、親指が他の4本と逆側に曲がるのも、木の枝を掴んで移動しないと死ぬと思うほどの想いがあったのだ。
読み返してみたら、のだばっかりなのだ。



「夢は必ず叶うよ」と、叶えた者が言うのは当然だよなぁ。
人間の決める限界なんて、自然界から見たらはるか手前に置いてあるんだから。

それと同じく、人… というか生命体によって限界の位置がまったく違うことを知らない者が「そんなの叶いっこないよ」と笑うのも当然なんだよなぁ。100%できないことをのたまうキチガイみたいに映るんだから。


ボディビルダーのマッスル北村が言っていた「魂の筋肉を鍛えている」がスッと入って来た時は嬉しかったなぁ。喜んだのと同時に、20年前の自分なら確実にバカにしていただろうことが瞬時に分かったから。

限界をどこに置くかは生まれつきの才能じゃない。




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