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ホン雑記944「そろそろ死ぬと強烈に思い込みたい」

昨日ちょっといい考え方を思いついた。
いやさ、読者のみなさんにはまったくと言っていいほど役に立たないと思う。嫁にも3回説明してなんとな~くしか伝わらなかったでな。

(いま書き終えてから戻ってきたけど、まったく何を言っとるのかわからん。でも、オレの「感じ」は強烈に差異があるんだよ)


とにかく生き急いでいる。精神的に。そう、精神的になので、別に忙しくて忙しくてしょうがないわけじゃーない。
だけど、とにもかくにも過ぎ去る時間がイヤすぎて、時間を無駄にしたくない無駄にしたくないと思いつづけている。

オレは鍵盤奏者だ。奏者って言っても職業ではないんだけど、3カ月ほど前からそうなった。そういうことにした。誰に習うわけでもないんだけど、趣味の範疇を超えたと認識したのがそのあたりからだ。
最低2時間は弾こうと決めて、なんとか習慣化して、この2日は4時間弾いた。

で、ですよ。
やっぱりゲームしたりボケーっとテレビ見たりネットにつながりに行ったりするほうが、圧倒的に敷居低いし、楽に時間を過ぎ去らせられる(潰せるとは言わない)んだな。
鍵盤に向かうのは、集中してくれば別にいいんだけど、最初はちょっと「さて、やるか~」なんて感じなわけ。
子供の頃のゲームみたいにやりたくてやりたくてしょうがない…って感じでは全然ない。多少は上がってきたけど、それでもあの頃のファミキチほどじゃーない。あれは時間を制限されたから余計なのかもしれんけど。

で、ですよ。
ゲーム・テレビ・ネットなんかは、もちろん血肉になることもあるんだけど、惰性でやってることも多い。
この時間をだよ、最低限の2時間弾いてからも、鍵盤にあてがったらどんだけいいか、ってのはいっつも思ってたわけ。でもなかなかね、課題を終えたら楽なほうを選んじゃうんだな。

で、ですよ(話は飛ぶがまとまります)。
人生の総残り時間は、いや、残り時間でもいいんだけどさ、まぁ、なんとなく総残り時間は、「今日より明日のほうが増える」という状況は一瞬だってないわけだよね。
たとえば、オレが50年後のある日に死ぬと運命が決まっているなら、今日より明日のどこか一瞬のほうが長い、なんてことは未来の中のどの一瞬にだってないわけだ。同じことを言っているな。

で、ですよ。
鍵盤に戻るんだけど、もしオレが明日から、いや、1年後からでもいいんだけど「最低毎日3時間弾く人になったら」どうなるか。
どうなるかって、こんな明白なことはないんだけど、毎日2時間弾く世界線のオレよりも、人生で鍵盤を弾く総時間(だから人生全体でも「総」と思ったんだな)は明らかに増えるんだよ。

あぁ、わかってるさ。わざわざ太字にせんでもいいことを。右足と左足を交互に出したら歩ける、というぐらいあたりまえ体操であることを。
でもですよ、人生の総残り時間はオレがいつどこでどう思おうと増えないのに対して(健康に留意すれば変わるってのはいまはナシだぜ)、やりたいことをやる総残り時間は、いまの、いや10年後でもいい、これからの自分がどれだけ割り当てるのかを決め直すことで、増えるんですよ。増えるんです。
これってすごくないか? と思うと同時に、こうやって文章化すると恐ろしくあたりまえ体操だとも認識してます。えぇ、してます。

だけどね、こう考えるとまさに「時間もったいない感覚」が変わるんだよ。この肉体を使って、この地上でやれることの時間には限りがある。そう、限りがあるんです。みなさん知ってましたか。
鍵盤も弾かずに、他人の奸計でなるべく見させるように仕向けられたテレビに、弾けたかもしれない時間を割り当てることは、まさに緩やかな自殺なんだよ。
(ただし、これはこう思う人にとってはであって、そう思わない人にとってはまったくゆるジサではない。以前はすべての人にとってそうだと思ってたけど)


しょうもないことで話が伸びてきたな。

ホントはこの思い方ですら足りないんだと思う。自分がなんとなく想像する寿命まで生きられる保証はまったくないんだから。




って、締めようとしたんだけど、保証がないことなんて当たり前すぎるぐらい当たり前だなんてこと、普段忘れて生きてるなぁ。




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【今日のオリジナルソング】




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