見出し画像

ホン雑記892「その時には違う頭になってるのでね」

オタキングの岡田斗司夫氏が「とりあえず5、60代まで生きてほしいなぁ」と言っていた。


動画で相談に乗ってる彼が、最後にそう言った。相談者の文面からみてアドバイスを変えたりするわけだけど、最後は全若者に向けた応急処置として5、60代まで生きてみてくれと。「このアミダくじはこんなふうになっていたのか」と思える日が来ると。

これは、わかりみあるねー。やっぱり人ってさ、生きてるだけで成長してんだよ。
オレは20代ぐらいまで「冬の人」だと思ってた。これたしかねー、高校ぐらいで片思いに破れて、それがたぶん夏とかだったんだよ。で、中学の時にもそんなことがあって、たぶんそれも夏場だった。
そこで「あぁ、オレは夏には運のない人なんだ」とずーっと思ってたからね。いまとなっちゃー笑い話だけど、そんな浅はかな呪いを自分でかけるんだな。でもいまでは、それが夏だったか冬だったか正直覚えてないほどだ。

それは逆に、希望に満ちた季節にやっちまう愚行なのかもしれんね。普遍的若者には、ほっといたって希望がいつもあるんで、コントラストゆえに絶望に気づきやすい。「あぁ、もうダメだ~」ってすーぐ思っちゃう。
で、歳を取ると希望がなくなる…とまでは言わんけど、ま、いろいろとマヒしてくるわね。誕生日にゲーム機本体プレゼントされて狂喜乱舞するなんてことはもうたぶん、ない。
けどそのぶん、いろいろのマイナスイベントにもなんとなく、振り返れば耐えられるようになってる。もちろん、子供の頃よりいらん考え事をしたりもするんで、メンタルを本格的に病んだりする時もある。だけどやっぱり全方位的にはびっみょーに強くなってると思うぜ。
子供のころは挨拶できたけど、大人になって引っ込み思案が出てきたとかあまり聞かないと思うんだよ。たいがいの人は無理して社会性を装える。

努力もしてないのに得たその強さってのは、かかとの皮の厚みと似てるなぁって思う。別にかかと鍛えようとしてこなかったし、積年の体の重みのせいで勝手にブ厚くなってきたのだな。
で、心もかかとと同じなんだよ、きっと。そしてですね、「心もかかとと同じ」と思い込めることがだいじ。
オレはよく眼球を守るものがこんな薄いまぶたしかないことを恐れたりするけど、そこんとこずっと考えてたら病むわね。つまり杞憂ってやつだけど。

だけど、かかとがブ厚くなったことの成長って、人はあんまり意識してないのよ。こんな話されても「ふーん」ってなもんでしょう。オレも。
でもこれだいじな話なんだけどさ、つまり人は自分が強くなった部分はなっかなか認識しないのよね。これ芸事も仕事もそうだけど。
昔見た大人や先輩たちと比べて、自分は全然どこにも到達してないように感じるのだな。だけどそんなこたーないんだよ。それがちゃーんとかかとに表れてるじゃーないか。
これ、そろそろ美談に持っていきたいのか、ふざけたいのか自分でもわからんようになってきてるんだけど、やっぱ無理あるよね。かかとで人を鼓舞したがるの、無理あるよね。

でもねー、自分的には結構いいこと言ってんなーって思ってんだよねー、いま。ちょっと浸っちゃってるほどに。まーたいいこと言っちゃってるよーって。
んで、やっぱり長生きするほどこういうお気楽野郎になっていく可能性は高いと思うんです~。それは人が老害と呼ばれる悲しき存在になっていくのと同様なんだね。
死の恐怖の緩衝材にほうけを賜るように、老害ってのはかかとの皮もツラの皮も心の皮も厚くするありがた~いメカニズムなのかもしれんね。年寄りがみんなシュンとしてる世界なんてイヤじゃん。ウザいほうがマシだわな。


さて、今日書こうとしてたことの枕代わりに挟んだつもりの話題が長引きすぎて、文字数的にお別れの時間です。
ではまた明日。




――――――――――――――――――――

【今日の過去曲】




サポート大歓迎です! そりゃそうか!😆 頂いた暁には、自分の音楽か『しもぶくりん』への「やる気スポンサー」としてなるべく(なるべく?)覚えておきます✋ 具体的には嫁のさらなるぜい肉に変わります。