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銭湯が好きな僕です

はじめまして。

僕は自分の仕事も好きなのですが、
風呂がもっと好きで、銭湯が何より大好きです。

そんな僕ですから、Twitterの投稿も風呂屋さんのお話が多くなって、いつの間にかたくさんの銭湯好きな方、銭湯で働く方をフォローし、返しても頂いて、開店時間になると色んなお湯の画像や動画が溢れ出すから、暫く見入ってしまいます。

https://twitter.com/inuyamayuge

お風呂屋さん巡りのおかげで、色々な街にも行く機会が増えました。だから少しずつ、お風呂屋さんのこと、街のこと、風景のことを書いていけたらと考えました。

今回は、ずいぶん前に他のサイトで「人に読んでもらうこと」を意識して、書き始めた頃の記事を載せて、ご挨拶に代えたいと思います。

書いている「清水湯」さんは東京の世田谷区、三軒茶屋と下北沢の間にありました。残念ながら今は廃業されています。

番台があり、お庭があり、高い天井と明るくて綺麗な浴室に、薪で焚いた熱めのお湯。初めて体験する東京の銭湯。一発で大好きになって、しょっちゅう通うようになりました。

中に出てくるクリーニング屋さんのおじいさんは、もっとおじいさんになった今でも他のお風呂屋さんでお逢いして、よーと声をかけてくれます。撮影の話も出てきますが、あるミュージシャンの方をお風呂で撮ったもので、冒頭にある画像はその時のものです。

文の書き方も乱暴だし偉そうだし少し長いのですが、そのまま掲載いたします。どうぞお付き合いください。2007年の文章です。

『清水湯』
茶沢通りに面して清水湯はある。

何度か登場している清水湯であるけれど、
また書いてしまうのである。
そしてまたしても長いのである。

清水湯に通い始めてどれくらいになるのか考えると、
初めて行ったのがソニーを辞めた頃だから、
もう7年以上になるみたいで、それにも驚いている。

失業保険が出ている間、何をしていたかと言えば風呂に入っていた。

天気の良い夕方に行けば、
まだ健在だった先代のじいさんが番台で身動き一つせず、
西日を浴びながら座っていて、誠に素敵な姿だった。
特に話す事もないけれど、顔を覚えてくれてからは、
仕舞う直前に行っても黙って入らせてくれたりした。

数ヶ月も通った梅雨の明けた頃、
突然爺さんに話しかけられた。

浴室や脱衣所で他の爺さん達と話しているのを聞いていて、
俺の話も聞けとばかりに、本当に突然昔話を始めた。
いや昔話だけではなく、最近考えている事なども溢れる様に、
何より急いでいる様に話始めた。

先々代が開いた風呂屋の話。
昔陸軍にいた話。
入営した晩の事。
休みの日に観た映画。
輸送船が撃沈されて九死に一生を得た話。
捕虜になってシベリアに連行された話。
強制労働の話。
何とか引き揚げて風呂屋を継いだ話。
進駐軍の横流し石炭で風呂を沸かしたこと。
出歯亀を客と一緒にひっつかまえた事。
浴槽の底が抜けて客がおっこちた話。
必死の思いで今の建物を新築した頃の話。
住み込みで大勢働いていた話。

最近酒が弱くなった事。
風呂の庭の池に鷺が来て魚を食った話。

他にも色々あるけれど、行く度に爺さんは、
とにかく沢山話を聞かせてくれた。
そんな訳で、風呂から上がって服を着るまで、
少なくとも30分はかかった。

その頃には近所のクリーニング屋のおやじも一緒に話を聞いた。
おやじは孫が可愛くてしかたなくて、風呂に連れて来ては自慢していた。

僕は九月に引越て、前ほどは清水湯に行けなくなった。

年が明けて久々に行ってみたら、
爺さんは亡くなったと聞いた。

爺さんは自分の死期をうっすら感じていたのかも知れない。
だからあんなにいろんな話を、兎に角人に伝えたかったんだろうなと思う。
二代目は番台から「寝込んだ頃に逢ってもらおうかと思ったがやめた」と、
いつもの笑顔で言ってくれて嬉しかった。

六月のある日、二代目が協力してくれて、
休みの日の丸一日、撮影をさせて頂いた。
お線香をあげて、爺さんに「ひとつよろしく」と頼んだお陰か、
とてつもなく良いものが撮れた。
もうじき皆さんにもご覧頂ければと思っている。

で、僕は今でもわざわざ世田谷線に乗って風呂に入りに行っている。
そして二代目と話し込み、今も服を着るまで30分はかかる。

二代目は音楽が大好きで、
僕の仕事の話もじっくり聞いてくれるけれど、
最近買った中古LPの話を、その倍はじっくり聞かせてくれる。

この前は、買ったLPを開けてみたら、
前の持ち主が書いた手書きのライナノーツが出てきたそうで、
それを読みながらじっくりと聴いているとのこと。
日付を見ると、20年以上前のものだそうだ。

クリーニング屋のおやじにもこの前逢った。
「焼鳥屋でひろを喰ってよう」と言うから、
何度も聞き返したら「シロ」だった。
「だから最初っからひろって言ってんじゃねぇか」とおやじは言い、
ラムネを奢ってくれて「そいじゃ、しっかり働けよ」と笑ってから、
帰りかけ、振り返って「そおいやぁおめぇ、孫はもう小学校へあがったよ」と言って、もう一回満面笑みになって、もう一度「ほいじゃ、ひっかり働けよー」と言った。

僕はやっぱり清水湯が好きだなぁと思う。


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