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散文日誌「種々雑多」2021/10/23

鬱になると、自分の存在が一体何なのか、何のために自分は、ここに存在しているのかわからなくなる。いや、はたして、私はここに存在しても良いものなのか?
私がいることで誰かのためになっているのか?自分のためだけに生きろと言われても、それは自分勝手とどう違うのか?

普通に生きて、普通に家族や仕事を持ち、そのことに対して何の疑問を抱かぬ人は、きっと、今こそが人生!と謳歌しつつ、このまま突っ走っていけると思っているのだろう。おめでたいやつだ。そこまで振り切ったバカになってみたいものだ。

我々、鬱病患者は、多分、あらゆる事を考えすぎて、数学のグラフで言えばマイナスx+マイナスyに固まっている。グラフの右の隅っこで、つらい、しんどい、死にたい、消えたい…と泣いている。少しのことで傷つき、すぐに考えるスイッチを坂道を転がり落ちる方に転換してしまう。

例えば、私が働いていた時のことを話そう。部内でちょっとしたミーティングがあった。各人自由に発言してよろしいと言う暗黙のルールが存在しているので、私も思いついた事を、ここぞとばかりに、バカでかい声で大っぴらに発言する。しかし、周りは何の反応もしてくれない。その間、私の頭の中は、もう、最悪の事態しか思い浮かんでいない。余計な発言をしてしまって気を悪くさせてしまっただろうか…とか、もしかして、これが空気読めないってことなの…?とか、もしかして、場違いもいいところな発言をしてしまって、みんなを黙らせちゃったわけ〜‼️うわぁ〜どうしよう〜‼️やっちまった〜❗️…と私が発言した後、サブリーダーがリカバリーしてくれるまでの沈黙の3秒間にそれだけのことを身震いしながら考えていた。とにかくミーティングの時間は地獄だった。まるで晒し首にされているようなものだった。できないやつは打首獄門!

そんなこともあって、結局は、一生晒し首にされるようなミーティングに出て、仕事では囁きパワハラを受け、元々のADHD/ASD混合の特性がHSPという性質を生み、様々な音に対して敏感になり、最後には上司に対して声が出なくなってしまった。確かに年明けから、仕事に追い立てられる夢ばかり見てた。悪夢ばかり見続けるPTSDになってしまっていた。それでも、大丈夫ですって言ってた私…。何がそうさせていたのか今となっては分からない。おそらく、ただ飯の種がなくなるのが怖かったのだろう。飯の種か…。その時は、命より大事だったんだろうな。

そして、18ヶ月休職後退職したわけだが、未だ就職活動はドクターストップのままだ。事務所に行けば、あの嫌な思い出が蘇る。例え、精神障害者の配慮がある職場に入れたとしても、多くの人間に囲まれて仕事をする…それだけでパニックを起こす。何をどうしたらいい?どんなに、いいアドバイザーがついていても、職場の指導者はその通りに動く保証はない。だから、今は社会復帰をしないでおこうと思っている。そのかわり、作業所で、少しずつ人との関わりに慣れていこうと考えている。希望通りになるかどうかはわからないが。

そういいつつも、不安なことは不安である。不安が募るその度に、体の穴が増えていく。自傷としてのピアシングである。ピアシング専用ニードルで開けたいところに刺す。最初は怖かったが
慣れれば痛くない。今では耳だけではなく、顔にも開いている。ひどい有り様だ。今の時期は、鼻から下はマスクで隠れているが、マスクを取ったら大変なことになっている。いろんな人がもうやめたらいいのにというのに、やめられない。昨日も鼻の上の方を開けるつもりで、フォーセプターで摘んでニードルを刺したが、顔面が血だらけになった。そう、こうやって血だらけになることが、とりあえず生きている、という証なのだ。

こうして、少しずつ何かを削って、鬱病のモヤモヤを晴らしていかないと、我々は死に向かってしまう。心のずっと奥にいる死神に対峙してしまう。-希死念慮という感情とともに。

自傷することは、一時の逃げ場にしかならない。そして、その傷は、容易に消えない。本当は止めたいのだ。こんな、体を痛めつける危険なことは。心のモヤモヤをぶちまけられる、安全な代替手段があれば、きっと、傷つけることは無くなるのだろうけど。なかなかすぐには思いつかないものだな。

全く…我々が寛解するためには、もう少し、時間が必要なのかもしれないな。まあ、一生付き合う覚悟は承知の上だがね。

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