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散文日誌 「種々雑多」 2021/12/06

12月に入るとあちこちから、クリスマスの音楽が聞こえてくる。まあ、賑やかしで、いろいろな音がするので、うるさくて仕方がない。だから、なるべく外出はしたくない。コンビニでも、ケーキやらチキンやら。予約すると何かいろいろ特典つけて、よその店で買うよりお得だからよろしく~ってなPOPがいっぱいぶら下がってる。

町のケーキ屋が減ったのは、どこでもクリスマスケーキを買える様になったからで、誕生日も、昔ほど盛大に祝わなくなったし、大きなケーキじゃなくても、最初から小分けになっているコンビニのケーキのほうが、どこぞで修行したケーキ屋よりおいしいし、ごみも少なくて済むからだ。

私の小さいころは母親が、懸命にバタークリームでケーキを作ってくれたが、実のところ、バタークリームは生クリームと比べ解けにくい反面、脂っこいので、食べている途中で飽きてしまった。そんなことおくびにも出せないので黙って、胃もたれに耐えながら、母親に気を使いつつ食べたものである。だから、生クリームをはじめて食べたときの衝撃は、まさに雷に打たれたようなショックだった。決して母親が料理が下手なわけではなく、こんなものがこの世にあったなんて…。しかも、お値段が結構したように思う。だから母親は節約して生クリームなどという高級食材を使わず、バタークリームでがんばってくれたのだ。

今ではバターも、生クリームも乳製品全体が高騰しているから、コンビニスイーツのあの値段の企業努力には、脱帽する。ちょっとおなかが空いたときに食べると、120円のシュークリームでも「幸せだ~」と思うのだ。

糖がほしいときは、脳が疲労しているときだというが、我々鬱病患者はしょっちゅう甘いものが欲しいと思う。脳が疲れすぎているというより、多分何かが壊れているせいだと思う。自己の中の制御スイッチが壊れてしまっている。食べなくてもいられるけれど食べ始まったら止まらない。食べるという行為がトリガーになって、過食してしまう。かといって運動もしんどい。外に出て人に会うのもしんどい。すれ違いざまの挨拶もしんどい。散歩中の犬に吠えられるのもしんどい。何故か不審者と間違えられて猫に追いかけられるのもしんどい。私はいったい何をしたいのだろう。

今年も多分ボッチマス。コンビニでボッチマスセットとか売ってくれると助かるんだよね。それを買えば、とりあえずひとりクリスマスの雰囲気味わえるじゃん?みんな、家族とか、友人たちを想定してるけど、そういう人たちがいない独り身のために、全て1~2人前の料理がセットになっていて、可愛いLEDツリーとちいさな造花でも入っていれば、何となくさまになるんじゃねえかな?

クリぼっちセット。きっかり1000円くらいなら需要ありそうな気がするがどうかな?

やっぱり…さびしいか。

寒い部屋独りでナゲット15個ぺろり食う

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