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時代が「追いついて」なかったBRTと、時代を「上手く」利用したSL列車

青春18きっぷ、2日目で「少々」長めの旅に出た。


亀戸 → 新小岩 → 秋葉原 → 上野

亀戸から
普通|千葉
クハE231-545

ホテル近くの24時間弁当屋で朝飯を仕入れ、亀戸駅へ。
新宿行きの初電に乗ろうかと思ったけど、それより10分ほど早く千葉方面行きがあったので、時間つぶしがてら乗ってみた。

待ち時間すらもったいなく、とりあえず来た列車へ

やってきた千葉行き初電は、昼間じゃ考えられないくらいガラガラ…冷房がよく効いていて気持ちいい。

5時前だというのにこの明るさ・・・

しかし東京は夜明けが早い。
地理的なものからの現象と判っていても、関西住みには夏でもなかなか明けない夜にもどかしい思いをしているので、羨ましさすら感じる。

当初予定していた列車に、ギリギリ間に合う新小岩で下車

4時44分、新小岩で下車。
本当に乗ってみただけだ。あと涼んだ、というのもあるか。

新小岩から
普通|三鷹
モハE231-569

本来乗る列車が到着

今度は新宿方面の初電だ。
千葉始発ということもあってか、座れなかった。涼しいだけでもありがたい。
55分、錦糸町。まとまって乗ってくる。やはり繁華な街の最寄り駅は、早朝とて活気がある。
両国、浅草橋と進んで、

秋葉原着。ウンザリするくらい人でごった返す

5時1分、秋葉原着。
朝から本当に人が多い…

秋葉原から
普通|山手線内回り
モハE234-50

山手線はすでに初電から数本目と、朝から活発だ

山手線へ乗り継ぎ。中央総武緩行から2分ほどで接続していて、頗る便利だ。
こちらは立ち客はいるものの、総じて空いている。冷房も心地よい。
乗り際に肩に軽い衝撃があった。比較的背の高い外人さんがこちらを一瞥しただけで何処かへ行ってしまった。「外人さん」って、当たってきても絶対謝らないな…自信のあるのは結構だけど、非礼はどうかな…と。
と、一人ごちていたら、

上野着。人の波に押されながら乗り換え

8分、上野着。
ごちていても仕方ないか。

上野 → 宇都宮

上野から
普通|宇都宮
モハE233-3428

これまた東北本線東京口の「初電」に乗れた

乗り継ぎ2分。当初は間に合わないと思ってた東北線の列車に乗り継げた。
先程乗った山手線からの客が結構小走りをしていたので、それに便乗したら…である。
結構空いていて、席も悠々と取れた。
20分、赤羽着。結構乗ってきたがホームに残る人も…多分後続の高崎行きを待っているのだろう。
折角早い列車に乗れたのだから…と、計画の練り直し。そんなこんなを携帯と格闘しながら調べて、大方の方針が決まった頃、

大宮着。乗降ともにまばら・・・

36分、大宮着。
土曜日ということもあるのかもしれないが降車もパラパラで、普段の東京の通勤列車とは思えない長閑さだ。
蓮田のアナウンスは憶えがあるが、そこからは居眠りをしてしまい気がつくと東鷲宮を出た所だった。

空と緑のコントラストが目に優しい

周りは田畑が広がっており、一気に遠くまできた気分だ。

大きな池のような利根川を渡る

6時6分、利根川を渡る。これから僅かな距離だが茨城県を走る。
といっても、これまで走ってきた埼玉県内の風景と変わるところは、あまりないが。

小山着。両毛線と水戸線が出る駅だが、客はやはりまばら・・・

24分、小山着。
そろそろシートに空席が目立ち始めた。外は…微妙にぬるい感じだ。
なお、ここからドアは自動では開かないと車掌から案内があった(温度保持的な意味で)
小山からこの方、新幹線の高架が「車窓の友」になっている。
まあ、在来線がそれだけ「直線」だということの証明でもあるが、寝ぼけ眼には結構うっとおしい(笑)

宇都宮貨物ターミナルを通過

石橋を出ると宇都宮貨物ターミナルに差し掛かる。
高崎線の熊谷貨物ターミナルと同じで、着発線と仕分け線が別の位置にあって、何となく昔の「操車場」みたいな雰囲気だ。

何となく謂れが知りたくなる雀宮

45分、最後の停車駅・雀宮。
降りる客が大半だったが、宇都宮へ向かう客が少なからず乗ってきた。

宇都宮着。まだまだ北を目指す

54分、終点の宇都宮着。
ワッと列車から降車客が吐き出されるサマが、終点に着いたことを実感する。

宇都宮 → 矢板 → 野崎 → 黒磯

宇都宮から
普通|黒磯
クハE130-607
先程の上野始発の中電からの乗り換え客で、3両のこの列車は結構混んでいた。

E131系。幹線ローカル向け、とでも言うのか

しかし、この焦げ茶とクリームベースの薄茶という帯色…これまでの東北本線なら湘南色で統一してたであろうところ、地域色とでもいうのか結構シックなカラーリングで驚いている。
57分、宇都宮発車。東北本線のような「大幹線」でもワンマン化の波はやってきており、この黒磯行きもワンマン列車である旨を自動放送で伝えていた。

宝積寺。中線で貨物列車が待避していた

7時8分、烏山線の分岐駅である宝積寺を発車。
ここで貨物列車を追い抜く。

空はイマイチだが、稲田の緑は目に鮮やかだ

外の車窓も、埼玉や茨城と同じような田畑が広がっている。が、何となく埼玉より奥行きがあるような気がする。
蒲須坂という駅に着いた。
国鉄配線と呼ばれる2面3線の中線が無くなったんだな…と思ったが、どうやら上り線のホームの屋根の形状から察するに、上り線の外側にも待避線があったような感じ。
大幹線の駅でも、ローカル化が進行しているようだ。

矢板で途中下車

27分、矢板で途中下車。
部活の練習なのか、学生の一団も降りて行った。

矢板から
普通|黒磯
クハE130-611

矢板駅をしばし眺める。

屋根瓦の色に「時代」を感じる

色褪せた赤色の瓦が、何とも言えない「渋さ」を醸し出している。
今どきは橋上駅や、下手すると「経費節減」のためにプレハブのような駅舎に置き換えられてしまう可能性がある分、よくぞまあ「残っている」と感激すら覚える。

コンテナ基地にも目が行くが、僕は旧式駅名板に目が・・・

そして駅構内には貨物扱い場が残っていた。
と言っても、駅所属ではなく「矢板オフレールステーション」というJR貨物の施設だ。
しかし傍から見ると「旅客駅」と「貨物駅」が併設しているように見えて、国鉄時代には随所に見られた風景のようだ。

この線区では「破格」の6両編成

やってきた黒磯行は何と6両編成。多客対策だろうか。48分、発車。
林の中を走ったかな、と思ったらボーンと平野みたいなところに出る。
北関東の端ではあるが、なかなか変化に富んでる。
53分、野崎着。ここでまたも途中下車。

野崎から
普通|黒磯
モハE131-613
野崎駅は思ってた以上に渋かった。

野崎でも途中下車。「渋さ」は矢板駅を越える

外観は矢板に似ているが、こちらは何と明治期に建てられたもの。待合室もペンキを重ねて塗っているが、木製の柱がいい感じだった。こういう「駅舎巡り」が気軽にできるのも、「青春18きっぷ」の良いところだ。

またもや6両編成

野崎からの列車も6両だった。
おそらくだが、沿線の各家庭の利用者が「朝の用事」を済ませ出かける際に各駅に「集中」するためだろう。
次の西那須野は新幹線高架下にあり、思わず「新幹線停車駅か」と見紛うほど立派だ。
本当の「新幹線停車駅」である那須塩原で車内は一気に空いて、

ガランとした黒磯に到着

31分、終点の黒磯着。

黒磯 → 新白河

黒磯から
普通|新白河
モハE530-4001

ここで東北行きの列車に何度か乗り換えた事があるが、年を追うたびに寂しくなっているような気がする。

東北線の「要衝」も今は昔・・・

昼行優等の廃止、鈍行の電車短編成化、国鉄分割民営化、夜行廃止、構内異電源デッドセクション廃止…
何だか、この駅の「良さ」みたいなものがドンドン「剥がされて」いるような気がしてならない。
時代の流れなのは仕方ないとしても、荒れに任せる構内を見ていると世間にとって鉄道とは「過去の遺物」的な存在になってしまったのだろうか・・・とは、ちょっと感傷的な表現だろうか。

新白河行きが入線。水カツのバイプレイヤーがやってきた

東京口では飽きるほど見ているE531系が、新白河行きとしてやってきた。
異電源デッドセクションが、黒磯駅構内から駅の青森方に移った関係で「対応出来る」電車が「水カツ」・・・水戸エリアの勝田車両センター(旧勝田電車区)にしかなく、はるばる水戸から栃木・福島のリリーフ列車として出張ってきている格好だ。
(駅構内にデッドセクションがあった頃は、番線ごとに電源を変えていたので115系の隣に701系・・・なんて風景も当たり前にようにあった)
9時8分、黒磯を発車。
直後にデッドセクションを通過。かつてのように車内灯が消えることは無く、技術の進歩に思わず目を見張る。

東北らしい風景が広がってきた

車窓は高原の町らしく、家々の間隔が広い開けっぴろげな雰囲気でまだ北関東とは言っても、もうほとんど東北のような風情だ。

豊原着。県境の駅らしく辺りは静まりかえっている

22分、栃木県最後の駅である豊原着。
面白いのは黒磯からこの方、高久、黒田原と進んだが降りた客は片手にも満たない程度しかおらず、あとは皆乗車し続けている。
おそらくだが、今車内にいる客のほとんどは18きっぷ利用者だと思われる。
次駅の白坂で福島県入りし、

新白河着。東北線ホームへ向かう客らとは袂を分かって駅の外へ・・・

32分、新白河着。
数日前に東海道本線の大垣駅で体験した「民族大移動」に参加・・・するのだが、僕は彼らが向かう郡山方面ホームではなくそのまま改札を抜けて、駅の外へ出る。

新白河駅 → 磐城金山

新白河駅から
白棚線|棚倉駅
L521-06503

国鉄バス以来の伝統ある路線・白棚線

さあ、8分の乗り継ぎで白棚線に華麗に乗り継ぎ…と思ったら・・・やってしまった。平日ダイヤで見ていたのだ。
今日は土曜日で、土曜休日ダイヤだった。よって来るのは30分後・・・僕はこの手の「勘違い」をよくやらかす(笑)

伝統の「国鉄色」をまとった、いすゞエルガ

仕切り直して、磐城棚倉行きに乗車。東京でも関西でも多く見かける、いすゞエルガだ。国鉄塗装がよく似合う。
新白河駅の駅前通りを進んで、行き止まりを右折。国道289号へ。
国道の青い距離表示の行先看板には「棚倉」の文字があって、それなりに大きな街であることを認識させられる。
白河モール前を過ぎると、辺りは青々とした田園風景に。

どこまでも地方の国道らしい風景を行く

森林に囲まれた南湖公園を過ぎ、ひたすら国道を南下する。
白棚線は鉄道として計画されたのだが、諸事情で断念し仕上がってた鉄道路盤をバス専用道として活用したものだ、と聞いていたが、今のところは普通のバス路線だ。

いよいよ専用線へ

30分、関辺から専用道へ。
国道の横に細い道があるがそこへ突っ込んでいく。唐突に「それらしい」雰囲気になった。

線路敷をそのまま舗装したようだ

先日乗った日田彦山線BRTと同じく、バス一台分のなかなか狭い道だ。
平均50キロ台でゆっくりと走る。
専用道と交差する一般道には鉄道線の踏切宜しく、一時停止の規制がかかっている。こういう所が専用線らしさが出ていて気持ちが良い。
基本的に専用道に入ると、運転士が無線で専用道に入る旨を何処かへ連絡しているので、バス同士が途中で「カチ合う」事はないのだろうが途中に緊急用なのだろう、離合スペースがいくつかある。

バス停付近は広く、まさに離合可能な駅のようだ

いくつかの停留所は駅のような待合スペースがある。
番沢で撮りバスの同志がいた。先日、この線で一部区間の専用道が廃止になって、この区間(関辺~磐城金山)が唯一の存在になり、再び脚光をあびているからか。

時間の都合で磐城金山で下車

41分、磐城金山で下車。ここまで500円…
ここもかつてはバスを滞留させるスペースがあったようで、今はJRバス管理の月極駐車場になっている。
そして日田彦山線BRTと同じく、白棚線の主要な停留所は「駅」という扱いだが、まさにここ磐城金山は「駅」のような雰囲気が残っていた。

磐城金山 → 新白河駅

磐城金山から
白棚線|白河駅
L527-19503

最新のバスも「国鉄色」だ

さて、新白河駅へ戻る。
今度は日野ブルーリボンの新型車だ。

「人も車も通れません」の文言に、ちょっと優越感を感じる

再び専用道へ。
ふと外を見ると、国道とは付かず離れずのポジションで走っており鉄道線で開通していたら、こういう感じだったのかな・・・と現在進行形で「架空鉄道路線」の妄想が捗る(笑)

ゆったりとした時間が流れる

山と田園風景の中をゆっくりと、それでいて信号待ちのストレスも無く走れる専用道というのは、実はすごく有能に思えてくる。
先日、日田彦山線BRTに乗ったがこの白棚線、まさに「早く生まれすぎた」BRTだと言っても過言ではないだろう。

関辺で再び国道へ戻る

関辺で国道に戻る。
実業高校前で乗降があった以外、淡々と白河の郊外を走り抜けて、

新白河駅着。ツバメマークに「伝統」を背負う白棚線に幸多からん事を

11時19分、新白河駅着。

青春18きっぷでは乗れなかったが、往復1000円でBRTの「ご先祖」のようなバス路線を堪能できたので、この出費は痛くも何ともない。
ただ数キロになった専用道が、この先残り続けるかというと疑問符が付く。趣味者としては残してほしいところだが、いずれは廃止され国道へ移されてその辺の一般路線と変わらない姿になってしまうのかと思うと、一抹の寂しさすら感じる。
まさに生まれる時代を「間違えた」公共交通機関、という言葉が白棚線には似合うと思う。

新白河 → 郡山

新白河から
やまびこ207号|仙台
E525-37

行程に少し余裕を持たせるため、新幹線にてワープする。
当然、青春18きっぷで新幹線には乗れないが、「課金」もある程度やることで利用価値が高まる性質のきっぷなので、こういう「課金」はそういうケース(行程短縮、余裕等)があるならば積極的にやる方が良い、と思っている。

メタリックグリーン、が如何にも「先進」的だ

33分、E5系が入線。
「はやぶさ」と共通だ。3号車の自由席に乗る。土曜日ということもあってか、座席は結構埋まっている。36分、発車。
東北本線と分かれ白河の街を俯瞰する。箱庭のようなコンパクトな街だ。

南東北は穏やかに晴れて・・・

今日は予報ではぐずつく、となっていたが南東北の今の空はピーカンとまではいかなくとも、いい感じに夏空だ。
こういう空のもとで旅ができるというのは、本当にありがたい。

郡山着。家族連れが多く降りていった

48分、郡山着。
ムワッとした熱気が体を包む。

郡山 → 猪苗代

郡山から
ワンマン快速|会津若松
クモハE721-16

「仙台の顔」E721系に乗る

新幹線ホームから、ゆっくりと磐越西線ホームに行くと既に快速は入線していた。
仙台エリアでお馴染みのE721系だ。実際車両も仙台から出張ってきている。しかし早い入線だな…
客が増えだしたのは、発車7分前あたりから。

「焼き塩鮭幕の内弁当」よくぞまあ、ここまで盛り込んだものだ

それまでに新白河駅の「ニューデイズ」で買っておいたコンビニ弁当でお昼とする。惣菜の塩鮭がいい具合に塩が効いていてご飯が進む。
郡山駅にも駅弁はあったが、なんとなく食指が動かず非常用にと思って買っておいたこの弁当が、こんなにも早く出番があったとは思いもしなかった。
12時15分、発車。ゆっくりと東北本線から離れ、

郡山富田着。摂津富田と混同しないように「郡山」を付けたか?

19分、新駅の郡山富田着。
つい最近まで郡山の次駅は喜久田までなく、8キロ近く駅間が空いていたらしい。新駅設置は自然な流れか。降車はあったが乗車は無し。
しばらくは田畑と新興住宅地が入り乱れていたが、その次の停車駅・喜久田を過ぎると、

郡山から10分ほどで緑豊かな車窓に

すっかり郊外の趣だ。
会津若松を経て新潟へ向かう国道49号と並走しながら、

熱海と聞いて賑やかな駅を想起させたが、実際は静かな駅だ

32分、磐梯熱海着。
あまり降車はない。乗ってる客はみな会津若松まで行くのだろうか…

「熱海」らしく温泉街が形成されている

熱海、と名が付くくらいだから温泉街か?と思ったが駅前ではなく少し離れたところにホテル街があった。
なるほど、熱海よりは小規模だがちゃんと温泉街があるようだ。
スイッチバック跡が残る中山宿を過ぎて、

磐梯山に抱かれた猪苗代に到着。

雄大な磐梯山を眺めつつ51分、猪苗代着。半数ほどが降りていった。

猪苗代 → 会津若松

猪苗代から
普通|会津若松
クモハE721-18

純米吟醸の「もっきり七重郎」と「しそ巻き」。最高の組み合わせだ

駅前にあった「あまの食堂」で、「もっきり七重郎」という猪苗代町の地酒(稲川酒造店)と、食堂名物のソースカツ丼を飲み食いしながら列車待ち。純米吟醸ということもあって米の味がしっかりした新潟を思わせる旨い酒だった。
・・・や、こう書くと酒が飲みたくて途中下車したみたいになってるな。まあ最近の僕の旅は、そういう所が増えてはきているが。

郡山から会津若松行きがやってきた

上り郡山行き快速「あいづ」にやや遅れて入線した会津若松行きは、さっき乗ったのと同じE721系。
58分、発車。
翁島を出ると。下りながら左右に…丁度、自転車で急坂を登る時のような感じで降りていく。

坂の途中にあった信号場

その途中にあった更科信号場を通過。
磐越西線はこんなに曲がりくねってはいるが、一応は「幹線」に指定されており、戦前までは首都圏と新潟を結ぶルートとして重宝されていた時期があったくらいだ。そうなると行き違い設備を作らなければならないほど、かつては多くの列車が行き交っていたのだろう。

磐梯町。駅舎は最近流行りのものに建て替えられた

14時15分、磐梯町。後ろの車両からドヤドヤと数人が降りていった。ワンマン列車だと後部はドアは締め切りになるので、降車客が把握しやすい。
稜線の緩やかなところを狙うように曲がり、東長原でようやく平地へ。
最後の停車駅、広田で郡山行きとすれ違い…

会津若松着。避暑に来たのかキャリーケース姿が多い

32分、終点の会津若松着。
キャリーケース率が高いのは、夏休みをここ会津若松で過ごす客がそれだけ居る・・・という事か。

会津若松 → 新津

会津若松から
快速|SLばんえつ物語号
オハ12-314

次は、今回の旅のメインディッシュともいえる「SLばんえつ物語号」だ。

普通列車で会津若松に着いて構内を一瞥すると、離れたところにこの列車が止められていたが、その時から仕切りにカメラでその様子を取る人が多く、

「推回」で入線。この時点でカメラ率高し・・・

出発間際の列車入換作業の時も、カメラを持った客が追いかけ回していた。
令和になってなお、SLは人気者だ。
ゆっくりと入線し、予約された3号車の窓際進行方向に座る。
この客車は国鉄中期に作られた12系客車というものだが、この「ばんえつ物語」用に改造されボックスシートも何となくレトロチックな雰囲気になっていた。
まだ客がうごめいている中、15時30分、発車。
3分遅れ…大きく長い汽笛と「ガツーン!」という、客車列車特有の「しゃくれ」と共に…

郡山からの線路と分かれる。会津若松がスイッチバック駅だった事を忘れていた・・・

さきほど乗った普通列車が走っていた郡山からの線路と離れたあたりで、ハイケンスのセレナーデ(電子音)のチャイムの音とともに車内案内が始まった。
「皆様。こんにちは!」
こういう出だしで始まる車内放送は初めて聞いた。

クーラーは効いていたが、窓からの風はまた「別物」だ

向かいに座っていた客が席を立ったので、それを機に窓を開けてみる。生ぬるい風かと思いきや、一定の涼しさを感じる風だった。
考えてみれば、今どきこういう感じで窓の開く列車などほとんど無く、周りでも僕のように窓を開けてはしゃいでる客を見てこういう体験すら貴重なものになっているんだな・・・と、自分がかつての鉄道旅で当たり前のように「やってきた」事が、本当に貴重になってきている事に驚く。
列車はそんなに飛ばす風でも無く、あくまで流すように走っている。時折心臓の脈動のように小刻みにしゃくれる感覚というのも、今の鉄道旅ではまず味わえない。

喜多方着。ここで降りる客が少なからず居た・・・

54分、喜多方着。
ドアが開くと同時に、鉄道ファンが風景の写真を忙しなく撮る…僕も昔はああだったのかな。彼らの趣味への「熱量」に懐かしさすら感じる。
トンネルやや山麓をすり抜けて、16時10分、山都着。

酒、飲めずして旅を語る莫れ(笑)

ここいらで、先程ビュフェで買ってきた新潟の地酒「越後鶴亀」と「鮭の焼き漬け」で猪苗代以来の「二杯目」を頂く。SLに乗りながら日本酒を頂く…これ以上ない贅沢だ。
トンネルに入る。俄に車内が暗くなる、いやムーディーな感じになる。交通機関が鉄道しかなかった頃は、そんなことも言ってられないだろうが、「SLばんえつ物語号」のような「クルーズトレイン」となった今では、このムーディーな雰囲気も充分「売り」になりそうだ。
車窓には阿賀川が流れている。これが新潟県に入ると阿賀野川になる。

ラウンジカー。なんと郵便が出せるようだ

尾登あたりからラウンジカーにいるのだが、何となく煤の臭いがする。そういえば車掌も、窓を閉めていても煙が入る事があるって言っていたな…

野沢でまとまった時間停まる

30分、野沢着。
ここで機関車の点検を兼ねて10分停まるとの事。会津若松では撮れなかった機関車を撮ろうかな…と思ったら、

時ならぬ「大撮影会」に参加

ご覧の人だかり。みんな考える事は同じなんだな(笑)
野沢を出ると、じゃんけん大会があるとのこと。僕はこっぱずかしさもあったので遠慮したが、こういう光景もイベント性の強い列車ならではか。それにしてもJRも色々考えるものだなぁ。

川霧が幻想的だ

篠つく雨に煙る川面が幻想的だった。
グーグルマップで確認するといつしか新潟県に入っており、17時10分、日出谷着。
かつては「朝陽館のとりめし」という駅弁が売られていた駅なのだが、そんな気配がウソのように静まり返っていた。

津川で会津若松行きとすれ違い。最新鋭の列車とSLの「邂逅」・・・

24分、津川着。
ここでも「機関車点検」の名目で15分間停車。

石炭を馴らす作業なんて初めて見た

や、実際に「点検」はしていた。SLにとって石炭と水は「必要不可欠」な存在だから、その補給は立派な「点検」だろう。
それにしても令和の世に、石炭をくべたり給水する風景が見れるとは思わなかった。37分、発車。

こういう風景は、鉄道マニアならば一度は撮ってみたいもの・・・

僕も童心に帰り、SLらしい写真に挑戦してみる。ほどなく短めの汽笛が続いたので急いで窓を閉める。程なくしてトンネルへ入った。
そのうち、というかトンネルに入る予兆みたいなものが、機関車の汽笛と周りの風景でわかるようになってきた。
それまでパッとしない天気だったが、東下条を過ぎた辺りで夕陽が差し込み始めた。

咲花で子供たちの「歓迎」を受ける

18時9分、咲花。
駅近くに合宿に来ていた小学生なのか、SLの見物がてら「出迎えて」くれた。彼らの中にはSLを見るのは初めてなのか、目を見開いて唸っている子もいた。
鉄道を好きになってくれるかどうかは判らないが、彼らの心の中にこのSLの姿が焼き付いてくれればいいのだが・・・

越後平野はもう暮れ始めていた

馬下を過ぎると険しい地形は通り過ぎたようで、気づいたら越後平野の中に降りていた。

五泉で再びすれ違い

25分、最後の停車駅・五泉着。
馬下行きの新型ディーゼルカー(GV‐E400系)とすれ違う。

思えば沿道に出てきて写真を撮る人、そしてそういう事関係なしに見送ってくれる人、共通して言えるのはみんな「手を振って」くれている事。
これだけ殺伐した社会の中で、強制をされずとも自発的に手を振ってくれる人がいるということに、感動を越えて何か「絆」みたいなものを感じる。

無事に終点・新津に到着

別れを惜しむかのようにゆっくりと歩みを進めつつ44分、終点の新津着。

イベントには縁の無い人間を自負すらしている感のある僕だが、久しぶりに客車列車に乗れたことや鉄道が「本来持っていた」であろう「時代」という光景を、JRという一企業が余すところなく再現している事に、素直に感動した。
確かに「また乗りたい」と思わせる列車で、そういう意味ではSLという「時代」を上手く観光資源に活用した一例だと思う。

「SLばんえつ物語号」のポータルサイト(JR東日本)
https://www.jreast.co.jp/railway/joyful/c57.html

新津 → 長岡

新津から
普通|長岡
クモハE128-107
SLの余韻に浸りたいが、東京へ戻らなければならない。

広い構内に長岡行きが到着

夕闇迫る中、やってきた長岡行は5両編成と長く悠々と座れた。
車内で携帯のメモにまとめてきた、さっき乗った「SLばんえつ物語号」の校正作業に入る。車窓が変わり映えのしない夕方~夜の列車だと、大体この作業をしている。

加茂着。パラパラと降りていく

一段落して、気づいたら加茂を発車していた。
19時15分。まだ薄ら明るいがもう夜と言っていいだろう。部活帰りの学生が車端部に固まる。

東三条。新潟に出ていたと思われる客がまとまって降りた

23分、東三条着。
特急停車駅らしくホームが長い。弥彦線の列車がチラリと見えたが、向こうも乗車率が良さそうだ。

夜の帳がおりた見附

36分、見附着。
これまではガラガラだったが、このあたりから長岡へ向かう客でポツポツ埋まり始める。しかし早朝に亀戸を出て15時間。そろそろキツくなり始めた(体のいろんなところが)(笑)
学生の頃にもこの辺りの路線には乗ったことがあり、あの時はこのまま上越国境越えの列車に乗って、高崎から最終の高崎線普通列車へ乗り継ぎ深夜にに東京入り・・・なんて事もやってたが、今はとても無理だ。
そして、今はそんなうまい具合に乗り継げる列車も少なくなったし。

終点、長岡着

48分、終点長岡着。
幕を見たらもう新潟行きになっていた。

長岡 → 高崎

長岡から
とき342号|東京
(車番失念)

とっとと新幹線に乗って帰る

さっきの普通列車の車内で「もう無理」(笑)と悟ったので、とりあえず早く列車の多く走るところまで進めておきたい・・・ということで、せっかく取った「新幹線eチケット」(新幹線のインターネット予約チケットレスサービス)を券売機で「きっぷ」に変えて、そのままホームにやってきた新幹線に乗った次第。見ると北陸新幹線でお馴染みのE7系だった。

自由席に座り、車内巡回にやってきた車掌にこの旨を申告したら、そのまま高崎の改札は通れるとの事。
良かった。JRのこの手のサービスは、僕みたいな事をやると「無断キャンセル扱い」と見做される場合もあって、正規料金を請求される場合もあるので注意が必要だ。
この乗車時間(約50分)を使って、これまで撮ってきたスマホの写真整理をする。どうせトンネルばかりで、景色も何もあったもんじゃないし・・・

自由席はまずまずの乗車率

20時27分、越後湯沢で結構乗ってきた。ほくほく線が北陸との「接続」地点だった頃はハンパない数の客が乗降していったものだが、北陸新幹線開通で大人しくなったとは言え一定数はあるようだ。
43分、上毛高原を出てしばらくのところで、一応の写真整理のキリをつける。

高崎着。21時前に北関東へ戻れた

55分、高崎着。
こういう感じの、列車での過ごし方もあっていいと思う(笑)

高崎 → 赤羽 → 秋葉原

高崎から
普通|国府津
クハE231-6044
しまった。さっきの新幹線の車番取るのを忘れた。やっぱりダラけてくると、何か忘れるなぁ…

「終電」だった湘南新宿ライン

とりあえずホームに居た湘南新宿ラインの列車に飛び乗る。後で時刻表を調べたら、高崎を出る「最終の」湘南新宿ラインだった・・・
21時5分、発車。

さて、写真整理の続きをするか…と意気込んでみたものの、神保原を過ぎたあたりで力尽きて携帯を閉じて、目も閉じる。
だから籠原での増結にも気づかずに・・・結局、意識がはっきりしたのは北上尾付近。
これは疲れているなぁと思い、写真整理は後にして明日の計画を練り直す。そうこうしているうちに大宮を出て次は赤羽、というところまで来た。
このまま乗っても良かったが、新宿まで出て中央総武緩行でまた・・・というのも疲れそうなので赤羽で下車。

赤羽から
普通|大船
(車番失念)

ヘロヘロになりながら、京浜東北線の列車になだれ込む

京浜東北線には乗ったが、廻りを観察する余裕はなく明日の計画を再度練り直す。
これだけ疲れているのだから、明日はどこにも出ずに部屋でまったりする・・・という案も出たが、結果方針は決まらず秋葉原へ。
記録もグダグダになったので、今日はこれでお終い。
【令和6年7月27日乗車】

【完乗】JR東日本 磐越西線

JR東日本 中央総武緩行線 亀戸~新小岩 3.7km
     中央総武緩行線 新小岩~秋葉原 8.6km
     山手線 秋葉原~上野 1.6km
     東北本線 上野~新白河 185.6km
     東北新幹線 新白河~郡山 41.3km
     磐越西線 郡山~新津 175.6km
     信越本線 新津~長岡 48.1km
     上越新幹線 長岡~高崎 165.6km
     高崎線 高崎~大宮 74.7km
     京浜東北線 赤羽~秋葉原 11.2km
     中央総武緩行線 秋葉原~亀戸 5.3km
JRバス関東 白棚線 新白河駅~磐城金山 14.1km

小計 735.4km


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