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「PMの仕事、東京と大阪の違い」プロダクションマネージャー牧村薫|社員インタビュー#5

電通クリエーティブX 広報チームです!
(社名の「X」は「クロス」と読みます。以下、クロス)

今回のnoteでは、プロダクションマネージャー(以下、PM)の牧村薫を紹介します。2019年に新卒入社し、2021年から関西オフィス(大阪•中之島)で働く牧村のバックグラウンドや、就活活動のこと、東京と大阪で異なるPMの役割について迫ります。

※インタビュー&撮影は、大阪市西区にある「49江戸堀スタジオ」さんのスタジオにて行いました。

牧村 薫(まきむら ゆき)
1996年生まれ。大学卒業後、クロスに新卒入社し、現在は関西オフィス勤務。PMとして、西日本旅客鉄道「WESTをもっと!WESTER」大日本除虫菊/虫コナーズプレミアム「聞いてへんで」「いい夏」などのCM制作を担当。

落ち着きのない、おてんばな子ども

- はじめに、牧村さんのバックグラウンドを教えていただけますか。

牧村:私には兄がいて、いとこも男の子ばかりだったので、一緒に虫を捕まえたり、走り回ったりしていました。おままごとみたいな遊びはまったくしなかったですね。母がピアノの先生だったので、3歳のころからピアノを習っていました。好奇心旺盛でいろいろな遊びをしたかったので、幼稚園のころはじっとして練習することが苦手で走り回っていたので、母に「まずイスにじっと座り!!(笑)」と言われていました。

- ピアノのコンクールにも出られていたんですか。

牧村:はい、出ていました! 大阪府代表として、全国大会に出場しました。そのころは一日8〜12時間と小学生ながらに練習していて、 指を痛めるとダメなので球技を禁止されていました。全国大会に出場した経験が、じっとしていられない子どもから脱却できたきっかけになりました(笑)。

球技を禁止されていた反動で、中学では運動も普通にやりたいというか、人並みの学校生活を送りたくて陸上部に入りました。陸上部では、リレーメンバーとして日々奮闘していました。1つの目標に向かって最後まで諦めず、粘り強く頑張ってきた経験は今の仕事に活きていると思います。

- 高校では何に力を入れてましたか。

牧村:「日本一の体育祭」とも言われる、体育祭が有名な東住吉高校で応援合戦の応援団になりたくて進学しました。応援団になるには、声出しテストに合格しなければならないのですが、私は野太い声が出せず、友だちと毎日川に行って日没まで声出し練習をしていました。

にも関わらず、周りの友人のように大きな声が出ず、1年、2年と声出しテストに合格できず・・・涙を飲みましたが、諦めずに3年生の春、再チャレンジして無事に合格できました。

とにかく嬉しくて、日々の練習を頑張り、列の先頭で型をし、自分の列を取りまとめるリーダーである列長に選ばれました。この体育祭は、東日本大震災のチャリティーも兼ねていて、頑張れば観客の方からその分支援があり、すごくやりがいのあるものでした。

体育祭で撮った写真

私は普通科でしたが、芸能文化科も内包する学校だったので、照明の知識や舞台芸術なども学んでおり、今の仕事と少しリンクする面白い高校でした。

ピアノや絵との共通点を感じた広告制作

- 大学生の時はビールの売り子をしていたんですよね。

牧村:1年生の時、「甲子園でビールを売りながら野球を見られるってめっちゃいいやん!」と思って始めました。2年生からは、服がとても好きだったので、心斎橋でアパレル販売のバイトを卒業まで続けました。

高校はアルバイトをしていなかったのでやりたいことは全部やろうと思って、カフェやお好み焼き屋さんの店員、工場でシールを貼る単発派遣など、いろいろなバイトを掛け持ちしていました。

シール貼りの単発派遣の仕事は、すごく記憶に残っていて。このバイトは私語禁止で、黙々とシールを貼るんです。この時、ルーティンの仕事は向いていないことを自覚しました(笑)。

- アルバイトの他に、夢中になっていたことはありましたか。

牧村:大学2年、3年のときは、大学が主催する新入生歓迎イベントのスタッフをしていました。当時は肝試しチームを担当していて、春休みは毎日のように学校に行って、セットや衣装を考えたりするのが楽しかったです。違う学部のまったく知らない子が集まるんですけど、みんなで一つのことに向けて準備をするので、すごく仲良くなるんですよね。

- 就職活動はどれくらいの時期からスタートしましたか。

牧村:けっこう遅くて、2月か3月から始めました。マーケティングのゼミに入って勉強していたこともあって、メーカーや人材、マーケティング関連の会社を中心に受けてたんですけど、本命だった会社で最終選考前に落ちてしまって。

気を取り直して、いろいろと会社を探している中で、広告制作会社という存在を知りました。小さい頃から絵を描くのが好きでしたし、既存の楽譜から曲の世界観を広げるピアノとの共通点が多いと感じて、広告をつくるのも絶対楽しいだろうなと、興味が湧きました。クロスを含めて制作会社を3社ほど受けて、一番早く内定が出たクロスに入社を決めました。

仕事の幅を広げて役に立つPMに

ー 入社前のイメージとのギャップはありましたか。

牧村:パソコンと向き合ってリサーチして、企画を考える時間がもっと多いのかと思っていたんですけど、撮影現場では身体を動かしたり、走り回ったりすることが多かったのはギャップのひとつでした。それと、早朝から撮影したり、緊迫感のある中で撮影を進めるとかもそうですね。ただ、業界分析が足りていなかっただけかもしれません(笑)。

ー 牧村さんの世代は本配属になるまで、複数の部署で仕事を経験していましたよね。

牧村:そうですね。入社1年目の12月まではメンターのもとで制作の基本を学びました。その後、他の制作部署を3〜6ヵ月ごとに経験しました。グラフィック広告の制作に興味があったので希望を伝えて、グラフィック広告の部署に行かせてもらいました。

ー 入社2年目の1月に本配属になるタイミングだと思うんですけど、関西オフィスに異動するキッカケはあったんですか。

牧村:私自身がPMとしてやり切れる仕事が多くなくて、周りに負担をかけてしまっていると感じていました。当時の仕事は、資料探しやロケ地や会議室の手配、撮影現場でのサポートなどが中心だったので、少しでも早く、仕事の幅を広げて役に立ちたいという気持ちがありました。

関西オフィスは、若手でもいろいろ任せてもらえると聞いていましたし、実家があるので仕事に集中できると思って、本配属前の希望面談で関西オフィスを希望しました。

東京と大阪、PMの仕事の違い

ー 関西オフィスで働き始めた時の印象を教えてください。

牧村:大阪のプロデューサーは、めっちゃ助けてくれます! 最初の頃、プロデューサーが作業を手伝ってくれた時は、「こんなんPMの仕事やのに…」「これって私ができてへんってことやん」って思って焦っていました。後から気づいたんですけど、大阪の場合は一人ひとりが領域を超えて協力しないと仕事が回らないことがいっぱいあるし、助け合うのがあたりまえっていう文化なんですよね。

ー そうなんですね。外部スタッフも同じような感じですか。

牧村:外部の協力スタッフを含めて、協力し合うカルチャーがあるように感じます。私が撮影現場で忙しそうにしていると、照明さんが「じゃ、俺やるわー!」みたいな感じで目線の印を出してくれたり、急遽買い出しが必要なものがあればアートディレクターが「買ってくるわ!」って走り出したり(笑)。それぞれが担当する仕事はもちろんあるんですけど、完全分業ではなく、みんなで協力し合いながら作り上げていく雰囲気が楽しいなって思います。

ー 東京と大阪で働いてみて、PMの役割に違いはありますか。

牧村:大阪の場合は、PM1人で仕事を回す範囲がすごく広いです。というか、すべて自分でやります。少し規模が大きい案件の時は、PM2人で担当します。東京の案件と比べて予算が多いわけではないので、PMの人数を増やせないこともありますし、一つひとつの作業で効率的にできるように工夫をしています。関西オフィスのメンバー専用チャットがあって、一時的にヘルプを頼みたい時にチャットをすると、「今から数時間だけ空くからやるよ〜」と返事をくれます。

ー PMとして鍛えられそうな環境ですね。

牧村:いろいろなことを乗り越えなきゃいけない分、早くスキルアップできたと思います。たとえば、PPM(広告主や広告会社、制作会社のスタッフが全員集まり、撮影前に実施する最終ミーティング)に提出する資料は、CM制作に関わる資料作成や画像合成などを担当するマッカーに依頼していたんですけど、今では自分で全部作っています。IllustratorやPhotoshopのスキルは自ずと上がりました。

ー 他に、大阪ならではのことはありますか。

牧村:広告会社のクリエーティブスタッフと距離が近いですね! PMの私に対して、「これどう思う?」とか「これどうしたらいい?」とか相談してくださることが多くて、自分で考えたことを提案できる機会が多いのは楽しいです。

それと、担当作品が増えました。東京で担当する案件は規模が大きかったで、2〜3ヵ月くらいのスパンで映像1本を制作、納品するペースでした。大阪では、毎月1本くらいのペースで納品しています。

 ー そういえば時々、本社ビルで牧村さんの姿を見かけます。

牧村:今は毎月、東京に行ってます。タレント出演がある案件だったり、クライアントの本社機能が東京にある場合、それと東京に住んでいる制作スタッフで編成されている場合は、東京で撮影・編集することが多いです。

本社には同期や年齢の近いメンバーが多いので、いろいろと喋ったり、ちょっとした質問を学校で話す感覚でカジュアルに聞けますし、東京のオフィスはいつも楽しいです。

ー ここまで、違う部分を聞いてきましたが、反対に同じ部分はありますか。

牧村:関西に本社のあるクライアントの大きなキャンペーンを担当した時は、PM4人で作業を振り分けて、東京にいた時と同じように分業スタイルで進めました。規模が大きい場合は、それぞれが担当する範囲をやり切る分業スタイルのほうが効率的に進められますし、映像のクオリティが上がる気がします。

ー それでは最後に、今後の目標を教えてください。

牧村:私は関西のチーフPMの中では若手で、今は大きな規模の案件が来るとベテランのチーフPMが担当しています。予算の多くない案件を担当することが多いので、東京の案件でお願いされた時にも対応できるような、規模の大小に関わらず対応できるPMになりたいです。


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