なぜ、文化団体を立ち上げるに至ったか?②

こんにちは。随分間が空きました。この間出版塾に挑戦していたものが、各社のエース編集者さんたちの前でプレゼンさせて貰うということを個人的にさせて頂いてまして、ご無沙汰でした。

さて、忘れた頃に続きであります!
前回、箏に触れた高校一年生チマメができるぐらい、先生に借りて持ち帰った楽器で「さくら」を弾き込んでしまった訳です。

やや端折りますが、習いに行ってしばらくしたらもう「教える人になりたい」となぜだか思いまして、
ろくすっぽ練習せずに「いつやめるの?いつ練習するの?」と母に言われたエレクトーンの8年間(いやそれなりに弾けて好きだったですけど、さぼりもしました・笑)、それと取り組む姿勢が全く違ったようで、

おいおいその母が楽器を購入してくれたのですが、
またなぜだか本番楽器グレードのクリ甲を2面同時購入…(いやそんなリッチだった訳じゃないですよ。サラリーマン世帯ですから)
これはなにか投資してやらねば!と思わせたようです。
これは続ける!と思ったんだって。

おかげ様でいい音の楽器で日々練習させてもらい、
大学1年で准師範に合格(先生のところの当時は最速入門から合格)、
即先生の准師範を教える指導の一部をやらせてもらい、たまに代稽古させてもらい、「教えたい!」というわたしに存分に体験を与えてくれた親師匠に感謝しています。指導した同級生はわたしの入門合格記録を塗り替え最速で登第。嬉しかったな~

さて、結婚出産時期も乗り越え、いや~乗り越えるも何も、
出産寸前まで大学の部活へは指導に行き、出産1か月で復帰していたので。娘が2人なので×二回ですね!しかも切迫早産体質なので、どっちも陣痛の弱いのがずっと続く状態で育て、産み、おっぱいも絞って置いて行って乳飲み子を預けて指導。だったのでそれなりに必死でした。(遠い目…)

全然人生を振り返ってしまって、協会を立ち上げるに至りませんね!
長女1歳の頃に師範、3年前に大師範になりました。
その間、ケアマネなど福祉の仕事と兼業だったのを、音楽の仕事をメインに変更。演奏活動としてはデンマークのアーティストさんとコラボさせて頂いたり、ドバイで演奏活動したり、様々なジャンルの方とコラボしたりしていました。指導も海外留学生や小中学校への指導、大学の部活への指導は20数年を超えました。

この「色んな人とのコラボレーション」の中で伝統工芸の方や、筆文字、よく身に付ける着物にまつわる方、お茶の方、お花にまつわるアーティストさんたちなどなどすごく多くの方に出会わせてもらいました。
わたしの尊敬する友人の一人が、場を主宰していたのが大きいと思います。
彼女のお陰で本当に多くの出会いを得ています。感謝しかないですね。

そして、20代で指導を始めたわたしが、地方幹部として活動していく中で、「今後についての危機感」って皆さんどうなの?
と自分のジャンル内でも割と早くから思っていました。
きちんと活動を繋げたり、社会に貢献しないと必要とされなくなるよ!と。
若かったから本当にそう思っていました。

ただそれを吹聴する力も権利もなく、「まずは自分だよね」と
自分事に関して取り組んでさらに20数年。

今の世の中、日本の文化が大事で、後の世代にきちんと繋げることが
本当に本当に手薄だと思うのです。

それはもはや自分が親世代になってしまったので、教育は親の責任・社会の責任だということをつくづく感じるようになりました。
正直親がちゃんと伝えないから子どもまでいかないんだけど、その親を育てた世代や社会がありまして…と、決して個人の問題ではないところなんですよね。

箏や三弦って、盲人が長らく口伝で伝えてきたジャンルなので、
この伝わることの尊さ、循環を途切れさせずにこれたことの価値
って相当大きなもので、体感格であるんですよ。わたしには。

その端っこを、自分たちが途切れさせるのか~と思った訳です。

自分も40(しじゅう)の手習いで裏千家茶道を習いに行っていますが、
これ千利休や戦国時代からでしょ?と。
箏も奈良時代からですけど、とにかくいずれのジャンルも同じだと思ったのですね。

どれも絶やしてはならない大切なものなのに。
むしろ今の日本にはこれくらいしか誇るものないでしょ?
と思う日本の伝統文化なのに。


それがどこも後継者にうまく伝わらなくて、
育てられなくて困っている。
そうなると、本当に冗談抜きで
国家の損失なんですよ!お分かりですか?

海外で生まれたものは海外の人が上手なんです。
日本のお家芸を日本人が伝えずしてなんとするんだろう?

この思い反面、


だけど何の努力もしなくて
すたれていくのは、そこに責任があるよねぇ

とも思います。

なんの工夫も努力もなしで、人を魅了する事なんて
ないじゃないですか。
今まで通り、いつもの通りに成長も未来もないのですよ。

そんな、おそらく3~400年前の箏を箏たるスタイルに構築した人たちも
当時思っていただろうイノベーティブな気持ちを、
わたしはこの自分のジャンル、およびそれ以外の貴重な伝統文化について、

今までの形の肝は押さえつつ、
新たな形なのか、やり方なのか?
とにかく思考し模索することをやめない!
そうしていきたいと思って、

法人で文化団体を立ち上げるに至りました。
費用面は簿記経理ができるので、
ざっくりは調べたけどあまり細かくは始めながら見ていきました。
あんまり先に調べたら頭ガチガチでやれなくなると思ったから。

色々経費も必要なので、でもすぐパタリとやめたくないので、
夢も掲げつつ!このあときちんと循環していく運営にしていかねば!
このように、動きながらふんどしの紐を何度も締め直している状態です。

自分で引き下がれないようにしたと思ってもらえばいいです。そうなんです。

この先は、協会がしていく活動について発信していけたらな
そう思います。ここまでお読み下さりありがとうございます。

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