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愛を込めておせんべいを

最強の片想い「12月の卒業式」から3年後、地方のメーカー事務所で働いていた頃のお話。

とてもピュアでカッコよくて、不器用でカッコ悪かったあの人。
遠い昔スマホもSNSもなかった時代。
すれ違いながら勘違いしながら私たちは気持ちを伝え合い、想い合っていた気がします。

***

短大卒の堀田理江と平野百合子、四大卒の阿部美幸と私が同期入社だった。当時の時代的象徴あるいは田舎的風潮として女性は適齢期をクリスマスケーキなどと称されて、入社2、3年働いた後の寿退社が幸せとされていた。腰かけでも婿殿探しでもそれが何の迷いもなく4人の共通の目標だった。

理江はスレンダーでスタイル抜群のワンレン黒髪、百合子は目がくりっと童顔、美幸はメガネの似合う優等生、私はショートカットのテニスとスキーに夢中の体育会系。

事務所は業務拡大と組織編成も重なって独身男性も多く、とても活気に溢れていた。私たちは仕事もがんばるし、おしゃれや気遣いもがんばるアピール合戦三昧の毎日。

美幸は美しい字を書いた。百合子の入れたお茶は特別美味しかった。理江はお菓子作りが得意だった。私はと言えば、電話に出る素早さと段ボールを運ぶ力自慢だけで、そもそもお弁当もお菓子も作ったことがなかった。

美幸は宛名書きや礼状代筆を一手に引き受けて、百合子は事務所全員の湯呑みを真っ先に覚えて、笑顔を振りまく。理江は何かにつけクッキーを焼いて家庭的イメージをアピール。力仕事担当で台車で走り回る私は早々に戦線離脱。

営業部の梶本さんは入社6年目。大柄で短髪。いつも汗をかきながら身分手振り大きな声で話す。地元の共学進学校で応援団長を務め、大阪の私立大学へ進学し、Uターンして就職したらしい。
気まぐれに差し入れを買ってきてくれるのだが、そのおせんべいは茶色の紙袋に大量に入っているし、数や種類は気にしていない様子。
「選ぶのめんどくさいんだよね。もうケンカしないで適当に食べて。」
「梶本さん、おせんべい好物なんですか?ところで事務所の人数把握してます?」
「独身寮近くのマリア製菓の量り売り大好きなんよ。クッキーよりお茶に合う。
人数なんか知らん。」
だからいつも余る。豪快でアバウト。

経理部の谷さんは入社4年目。細身で高身長のメガネ男子。優しい物腰で必要なことだけを淡々と話す。男子校から地元国立大学へ進学し、ずっと実家暮らしから独身寮へ。
部長に言われて月末に差し入れを買ってきてくれるのだが、いつリサーチしたのか見事にそれぞれの好みなのだ。ちなみに美幸はいちごショート、百合子はチーズケーキ、理江はチョコレート、私はモンブラン。
「今月もお疲れ様でした。」
「谷さんはケーキお好きなんですか?私たちの好みをよくご存知ですね。」
「甘いもの結構好きですよ。みなさんに喜んでもらえると嬉しいだけです。」
スマートで優しい。

入社して3ヶ月を過ぎた頃休憩時間になると梶本さんのデスク横に理江の姿があった。
「あの島へは私がお茶運ぶね。」
1番最後に梶本さんの机に湯呑みを置いて、親しげに話し込んでいる。上目遣いに話す癖の理江の目線の先に梶本さんの屈託のない笑顔があった。時々赤いリボンが結ばれたクッキーの袋が置かれている。いい雰囲気だなと思った。応援するね。

8月末の土曜夕方に独身寮夏祭りのBBQ。理江が梶本さんの皿に焼けた肉や海鮮や野菜を次々のせている。いつにも増して汗をかきながら豪快な笑顔を見せる彼とかいがいしい彼女。2人の雰囲気はもう公認の仲のよう。BBQより熱い。
少し離れて座る谷さんに声をかけた。
「谷さんは何か苦手なものありますか?」
「実はピーマンが。」
「あっ、偶然。私もです。」
何か嬉しい。
「谷さん、お休みの日は何して過ごしてるんですか?」
「部屋の掃除と読書かな。」
「梶本さんと理江って仲がいいですね。」
「そう言えば堀田さん先週独身寮へ来てたよ。」
「えーーー。」
もうこれはお付き合いしているに違いない。よかったね、理江。

12月は殺人的に忙しい月。タイミング悪くなぜかクリスマスイブに4人で食事会になった。百合子は社外にボーイフレンドいて、美幸はかなり年上の係長さんとお付き合いしていた。
「理江は梶本さんが好きなの?」
4人で食事した美幸がふと切り出した。
「うん、頼りにしてる。」
理江が弾んだ声で答えた。
「いつも仲良くお喋りしてるしね。湯呑みいつも洗うの2つだけ後からだもんね。」
百合子が微笑む。
「色々相談に乗ってもらってる。」
さらに理江の声が明るくなって私も嬉しい。そうかお付き合いしてるだ。お似合いだもんね。
「ところで片岡さんは誰かいいなって思ってる人会社にいないの?」
谷さんの顔が浮かんだ。だけど急接近するチャンスがなかなかない。
「今日はクリスマスイブなのにみんなが一緒だから寂しくなくて助かったわ。」
なあんて強がりを言ってみた。

解散して美幸と百合子は彼と待ち合わせみたい。理江とバス停へ向かっていると公衆電話の前で立ち止まる。
「ちょっと電話してもいい?」
「誰に?梶本さん?」
「少しで終わるから。」
「いいわよ、待ってる。」
あまり寒くない夜だったので、バス停横のベンチで理江を待った。楽しそうな身振り手振りの姿がぼんやりと見える。メリークリスマスは伝えられたかな。私も谷さんに年賀状書けばよかったな。このままだと私だけクリスマスケーキ確定だな。

年が明けて事務所での鏡開き。お飾り餅を割るのは梶本さんの担当でかけらをその横で手際よく網で焼いている理江との掛け合いは夫婦漫才ならぬ夫婦善哉。そして給湯室でぜんざいを作る。男子社員は当番の人が運ぶ。今年は谷さんだ。
「次は総務の島へお願いします。」
「終わったお椀を急いで洗って。」
「お餅焼けましたか?」
みんなの声が入り乱れてなかなかの戦場。やっとひと息着いた時にぜんざいをいただく。谷さんのお椀に注ごうとしたら
「あずき少なめでお願いします。」
「ん?」
「苦手なんですよ。」
何という偶然。私もあずきの入ってないお汁だけのぜんざいが大好きなのだ。
「谷さん、私もです一。」
「片岡さんもですか。僕も子供の頃からあずきが苦手で、何ならあん入り餅はこしあん派なんだ。」
いやーん、もう同志。決めた。バレンタインにチョコレート渡そう。そしてデートを申し込もう。

バレンタイン当日は日曜日、大安吉日。でも休日はなかなかハードルが高い。と言うのも独身寮を直接訪ねるか、共用電話から呼び出してもらうかしか方法がない。こうなったら行くしかない。大きな袋をかかえて歩く。ずるい手に出た。母に焼いてもらったマドレーヌにチョコチップを入れた。
「男性にあげるの?がんばって焼くわよ!」
前日に78個も焼いてくれたが、そんなには要らない。
「20個くらいは持っていきなさい。」
まあまあかさばった。

独身寮の前で深呼吸して大きな玄関のインターホンを押す。ドキドキ。

寮長の梶本さんが出てきた。
「何か用事?」
「今日はバレンタインですよ!」
「・・・」
「チョコを渡したい人がいて。」
「誰?」
ここでいつもなら「もしかして俺?」って続くはずなんだけど。
「谷さんに。」
「残念だけど谷なら出かけてるよ。」
そっけない口調。そうなんだ。電話してから来ればよかったな。

「ちょっと外で話そうか?」
少し暖かい午後。川縁の道を角のマリア製菓まで歩く。気まぐれなおせんべい屋さんが今日は空いてる。
「梶本さん、理江にチョコレートもらいました?」
「いや。」
「この後?」
「俺はもらえないよ。谷と堀田さんは一緒に出かけてる。今日結納らしい。」
突然で混乱して頭が整理できない。梶本さんと理江はお付き合いしてるはず。そう信じ込んでいた私。
「理江とは付き合ってなかったんですか?」
小さな声で恐る恐る聞いてみた。
「俺は最初は堀田さんの恋を応援してただけ。谷は鈍感だからなかなか煮え切らないし、キューピッド的な役割かな。秋が終わった頃に谷も堀田さんが好きだと言い出して。」
待って待って。私の谷さんへの恋心はまだ浅いから大丈夫。勘違いしてたのは恥ずかしいけどまだ無傷。そもそも好意持ち始めただけだし。
「クリスマスに谷から結婚申し込んだらしいよ。」
あの電話の相手は谷さんだったのね。
落ち着け私。でも梶本さんは絶対理江のことが好きだったはず。あんなにクッキーもらってたし、お肉乗せてもらってたし、何より距離近かったし。あの満面の笑顔は好きな人にしか向けられないと思う。
「相談に乗ってるうちに俺も好きになってたんだろうな。まあそんなものさ。いざ現実に結婚しますとか言われたらさすがに堪えるな。」
そんなこと私に言われてもって思った。痛いほど気持ちは分かりますと言ってあげたいところだけど、鈍いとんちんかん女子には全く分からない。どんな気持ちなんだろう。とてつもなく落ち込んでるのかな。
「2人が幸せになってくれればそれでいいさ。」
梶本さんをどう励ませばいいのか。持ってきたマドレーヌの横流しは誠意がないよね。うーん。

あっ。マリア製菓。計り売りおせんべい。

「ちょっと待っててください。」
急いで店主にミックスで袋いっぱい入れてもらう。
ガサガサワシャワシャ言わせながらそのまま梶本さんに渡した。
振られたもの同士、勘違いしていたもの同士。私からの精一杯の激励愛を込めて。チョコじゃなくておせんべい。
「とにかく元気出してください!」
「ありがとう。俺は勘違いしてただけだしさ。いつものパターンさ。」
早速大きなおせんべいを食べてる。
「片岡さんもどうぞ。」
川沿いのガードレールにもたれて2人でバリバリ。無言の時間が流れる。
何枚食べただろう。やっと言葉が出た。
「じゃあ帰ります。」
「はい、また明日会社で。」

しばらくして結婚式の案内状が2人から事務所で配られた。梶本さんどんな顔してるか心配したけど、満面の笑顔で理江から受け取っていた。どうしたらあんな笑顔が作れるんだろうか。心で泣いてってやつかな。それとも吹っ切れてるのかな。
知るよしもないけど、川縁で食べたあのおせんべいの切ない味を私は一生忘れないと思う。

***

梶本さんのモデルになった人は風の便りにずっと独身だと聞きました。
月日は流れ、あの頃の同僚や上司の方ずいぶん歳を取られたことでしょう(笑)
バレンタインになると思い出す若い頃の鼻の奥がツーンとなる記憶です。

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