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秘密の扉を開く鍵をあげるよ…とその人は言った。(かのように感じた)

おばんです。電飾の月書房の店主のんでございます。いろいろとこじらせながら、生きてきました。大したことないと思うようにしていましたが、割とガチ目でこじらせています。

毒親育ち(わかりやすいからこういうね)でも、愛する夫と息子たちがいて、それなりに幸せを形作っていたと思っていました。それが、信じきっていた夫の6年半の不倫が結婚23年目で発覚すると同時に、夫のASDグレーゾーンという特性までも見つけました。

子どもたちも大きくなったことだし、あとは夫婦で仲良く楽しく暮らそうね(ハート)などという夢を見ていました。笑う。そんなもの、とっくに終了していました。はは。

夫がなぜ不倫をしていたのか、それは不倫と呼ぶには切ない、ただの排泄行為だったのではないか、なぜ、長い時間、気がつかなかったのか、などなどは、夫の特性と関わることなので、めんどくさいし、どうでもいい。今のところ。

最近思うのは、その必然性です。こうなるべくしてなった、というような。

わかりにくい毒親だったのです。なんの問題もないような家庭でしたが、私にとっては猛毒でした。厳しい母でしたが、私をお人形のように好きに使っていました。時に可愛がり、自分の気にいる服を着せたり、自慢できる成果をあげると喜んだり。時に私の才能や境遇に猛烈に嫉妬し、大抵は愚痴のゴミ箱として使っていました。

表向きは、何不自由なく育った箱入り娘でしたが、またまた、そのわかりにくさも仇となりました。

自分に、アダルトチルドレンと呼ばれるような要素があること、愛着障害と呼ばれるような要素があることは、前々から感じてはいました。でも不運なことに、専門家に出会えなかったのです。

精神科の通院は30年前から断続的に、15年前からは定期的に行っていたし、病院を転々としていたのにも関わらず、です。明らかに今で言う、パニック障害の症状なのに「思春期だからね」で済まされる。「朝より夕方に気分が落ち込む」と薬を飲んでも改善しない私に「あなたは鬱じゃない」と言ってのける。

貧乏くじ引きすぎで笑う。

でも、それもこうなるべくしてなったかな、と思うのです。

根底の問題がわかりにくかったから。
途中で自分を放棄したから。
さまざまな要因でこじらせすぎたから。

「そうしないと生きていけなかったから。」

そうまでして生きたいと、肉体は思っていたのでしょう。心は死んでいるようだったのに。そう考えると不思議ですね。生きるって。

やたらに、生命力のあるうつ病患者。

4年近く前、私は船に乗り遅れまいと、ODをしました。(「船に乗り遅れまい」は比喩です。ある思いに固執していました)救急車で運ばれて、大きい病院で診察を受けて、なぜかショッピングモールでパンケーキが食べたいと言ったらしく、それを食べ、かかりつけの心療内科でも診察を受けて帰ってっきたといいますが、一切記憶がありません。パンケーキを食べるあたり、夫のASD受動型が発動しているんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょう。

それから半年後に、不倫が発覚し、もうダメだと思うでしょう?逝っちまえと思うでしょう?それがそうじゃなかったのです。

ある時、以前読んだことのある、愛着障害を取り扱った本の著者である精神科医のクリニックに電話をかけ、いつ取れるかわからない予約をしました。「診察の枠が空いたらご連絡します。年単位になりますが」と電話口の女性は言い、私は携帯電話にそのクリニックの電話番号を登録しました。

それが、最近、本当に電話がかかってきたのです。なんと3年の時間が経過しています。

で、初診に行ってきました。どこまでもクリーンで穏やかな待合室、アメリカの精神科個人医院みたいな診察室、そして物腰柔らかな著者の先生。細やかに気遣われた全て。

そこで、30分話をして、残りは10分。先生が穏やかに言うことには、「こんなこと言ったら失礼かと思うけど…ひどい家に育ったね」初めて専門家が私を診てくれたと感じました。アダルトチルドレンも、愛着障害も、この生きづらさも、ファンタジーではなかったと感じました。

そして、通院予約の方法、メールアカウントの登録も全て先生自らしてくださって、私は秘密の扉の鍵を渡された気持ちになりました。とさ。

少々自分語りが過ぎましたが、こんな感じで。

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