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未来の共食 「食べ物を分け与える意味~”インドで少年にご飯をもらった話”」

※本投稿は株式会社デンソーデザイン部の自主研究活動であり、
弊社の開発案件や事業をご紹介するものではありません

こんにちは。デンソーデザイン部の佐藤です。

「人は誰かと食事をすることで幸せになれる。技術はそれを助ける。」という仮説のもと、今ならこういう食卓が作れる、こんな流通の形がある・・・と実験・考察を繰り返しています。

前回はオンラインでの共食についてお話ししましたが、今回は「食べる」前のプロセス:「食事を分ける/分けてもらう」という「配食行為」が食事と社会参加に強く影響しているのでは、という考え方を紹介します。

インドでごはんを分けてもらった話

インドに行った時に、あるヒンズー寺院を訪れました。

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日本人が珍しいのか、チラチラと多くの人からの奇異の眼差しを感じつつ、鮮やかな建物を眺めながらひと休みしていました。すると、一人の子供が何かを持ってこちらに近づいてきたのです。何でしょう?

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葉に添えられたインドの炊き込みご飯。私にヒンズーの「施し」をしてくれたのでした。そしてこれを渡した後、その子は恥ずかしそうにどこかに消えて行きました。

いつも彼は地元の人に「施し」をしているのかもしれませんが、この日、私に「施し」てくれた経験は彼にとってどんなものだったのでしょうか。私にとっては、その子から「友達になろうよ」と言われたかのような非常に嬉しい思いで、未だに忘れられません。

ヒンズーの寺院では寄付をもらって、このように食の提供をしているところがあります。寺には食を目当てに来る人も、徳を積むべく「施し」を行いに来る人もおり、「食」を介して社会参加ができるのです。

「食」を媒体とした社会参加

世界各地で昔ながらの暮らしに生きる原住民について様々な研究がなされていますが、人々が食事をするその共食のシーンはもちろんのこと、狩猟から分配、調理のプロセスにおいて個人が相互に関係しあい、「食」を媒体として部族・村という社会に関与していることが知られています。では、どのようなシーンがあるか?ということですが、そのような原始的なアプローチにおいては、プロセスは大きく以下のフェーズに分割されます。

狩猟採取
肉・果実を分配
調理
料理を分配
食事

分配行動はコミュニティの人々間での食料の均衡をもたらすものですが、与える・与えられるの関係を作ることとなり、それに伴って様々な儀礼や振る舞いの文化が形成されてきました。均等に分配する文化もあれば、獲った本人ではなく、近親の誰かが分配を司り、かつ本人には食べにくい部位が少々与えられるという、手柄も糧も一度に多くを得ることを避ける文化など、土地ごとに考え方があるようです。せっかく獲ったのにあんまりだなぁ、なんて思いませんか?私は思いました。

動物的な知恵の「食」と「関係性構築」

さらに、人間以外の生物でも食料分配行動をすることが知られており、ボノボは群れで果実を分けることがあるそうです。さらに、メスのごく身近に食料があるにも関わらず、わざわざ離れたオスのところに食料を分けてもらいに行く様子が観察されています。※1 そのオスと何らかの社会的な関係を築く意図での行動とも推察されます。(※1黒田末寿「人類進化再考」以文社より)

食料を与えに行くこともできたはずなのに、敢えて貰いに行ったこと。オスを立てつつ、関係性を構築しようとしている気遣いのような知恵が面白いと思いました。

このように「食」をエクスキューズとして、更に高い目的を達成せんとする知恵が、ボノボにも我々人類にも備わっているのかもしれません。

原始的な例から現代社会を振り返って

先ほど、獲物を獲ったら良い部分は仲間に分けてしまうという文化を紹介しました。獲物を捕らえた自分はちょっとしか食べられないなんて・・・と思いましたが、私の経験を振り返ってみると、贈り物の際に「つまらないものですが」「お口に合うかわかりませんが」など、自分が優位に立ちすぎない、相手を尊重する意識があることを思い出しました。また、ボノボの行動のようにお菓子をあげたりコーヒーを飲みに誘うことをトリガーとして誰かと話すことを普段からしていることも思い当たります。

食を通じた社会参加については、その前のプロセスの「配食」を含めて考えると、より様々な取り組みに広げることができ、このような原始的な成り立ちや心遣いからヒントを貰える気がしています。

大阪・京都では中高年の女性が「飴ちゃんあげる」と言って飴を渡す人も少なくないようですが、こちらの行動を大真面目に分析すると他人とのコミュニケーションという点が大きいことがわかります。関西学院大学の島村教授はイーアイデムさんの記事で「食べる物をあげるのは大阪に限らない」としたうえで、以下のように話されています。

既知の間柄で成り立つ地方のムラ社会と違って、都市では次に接する相手が誰なのか想定しにくい。だからたまたま持ち歩いている飴がとっさにコミュニケーションの小道具として用いられるんです。(関西学院大学今村教授/イーアイデム)

人と繋がりたい、人を集めたい、と悩まれている方も今の世の中には多いのではないかと思います。もし「食を分けること」と「社会参加」「コミュニケーション」の考え方が、何かしらのアクションのヒントになったら幸いです。

最後まで読んで頂きありがとうございました。次回はいよいよ採集-分配も含めてリモート共食の実験について記事にしたいと思います!

※「産地と食卓をつなぐオンライン食事会」「オンライン○○」などリモートで食事の場を繋げる実験に協力頂ける方を探しています。もしご興味のある方がいましたら、クリエイターへの問い合わせまたはコメントをお願いします。