見出し画像

変なやつと思われたくない

そもそもなぜ僕はブログを書くようになったのか。
答えは変なやつと思われたくないけど、心のどこかで誰かに自分の話を聞いて欲しいからである。
幸い先人達の努力により、日本では言論の自由が保障されている。
よっぽど誰かの安全を脅かさない限り、何を言っても自由だ。

憲法より強い国民

憲法で保障されている言論の自由だが、生きていくとなると話は別だ。
この国で生きていくのならば、常に大多数の意見に従っている方が楽に生きられる。例えば学校生活で修学旅行で山か海で意見を募ったとき、大多数の意見に従いなさい。たとえ自分の意見が山や海ではなく、自分の余命3ヶ月の曽祖父が太平洋戦争の最後の生き残りの兵隊で遠く離れた沖縄に会いに行くというアイディアがあったとしても、大人しく山か海で決めなさい。

先生も前例のない事は上司の決裁とか、交通手段の手配など、ただでさえ仕事に追われている可能性があり、誰も批判できないような意見を言うと却下したとしても後味が悪くなる。
仕返しに悪い点数をつけられるかもしれない。

会社員であれば上司の意見に口出しては行けない。
相手との関係を良好に保つことを前提とした言葉遣いが最優先だ。
出世や昇進を犠牲にしてまで、口出しする意義は無い。

また昨今、かなり斬新な意見を主張する政治家が出てきた。
一部の熱狂的なファンには受けるかもしれないが、大多数の国民からは支持されない。
また意見が斬新であればあるほど、それをきちんと説明する義務が生まれる。一つでも抜かりがあれば、一気に倒される。よって大多数の意見に大人しく従っていた方が敵も作らず、楽に暮らせる。

また政治家に限らず、変な事を言うとエンタメの材料としてネットにあげられ、拡散、笑い者として永遠にネットを彷徨う可能性がある。言論の自由は恐ろしいことなのだ。

相手との関係を良好に保つことを心がけろ

例えばあなたがオリンピック選手でメダルを取ったとしよう、たとえ正しかったとしても決して「これは俺の努力だ」とか言っては駄目だ。「地元の応援があってメダルを取ることができました」や「妻や子供がサポートしてくれたお陰です」とか他人を前提とした言葉遣いをしなさい。

言葉一つで社会的に抹殺されるかもしれないし、炎上するかもしれない。アンチが発生する恐れもある。
メディアに取り上げられる以上、常に国民を味方につける言論をするべきだ。常に人の顔を伺う発言を行うことがこの国で生きていく上で重要なことだ。結果、後々スポンサーがついたり、引退した後もキャリアの選択が広がるかもしれない。良いこと尽くめだ。

変なやつだと思われたら終わりだ、一気に自分の立場が悪くなる。
くれぐれも非国民だと思われないように気をつけましょう。

言論の自由と自由な言論は全く別物なのである。

  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?