コジコジ第6話と第7話

何話にわたって引っ張ってきた“神様”のネタ……とうとう物知りじいさんの嘘がバレるかな?とハラハラさせておいて、やっぱりバレずに最後まで物知りじいさんは物知らぬじいさんにはならずに物知りじいさんのままでいられた。

物知りじいさんって、多分子どもよりも大人の方が共感しやすいキャラクターだろうなあ……と思う。
自分の社会的ポジションを守る為に付かないといけないウソというのは多かれ少なかれある。

ただそれは建前上では良くない事とされているので、やしろあずきの様なインフルエンサーが観客を楽しませる為についたエンターテイメントな嘘ですら社会的に明るみに出ると糾弾され、それを行った者たちは痛い目に遭う。

昔、吉田拓郎の『永遠の嘘をついてくれ』という歌で、見栄っ張りの男が本当は大層な偉業を成していないのに、ドラえもんのスネ夫ばりに僕はおフランス…ならぬ上海の裏街で病んでいて大変なのだと友に嘘の手紙を書いて見栄を張り続けるというストーリーが語られていたが、ああいう無害な嘘をソッとしておくのも人情である……と実世界で身に染みるほど私が学べたのは今日この頃である。
アラサーになるまで、この様な事すらきちんと身に付かなかったのは親の教育のせいだ社会のせいだと今さら嘆いて外に向かって呪詛を吐きたくもなる。

なにしろ、そういうものは子ども達に真似してはならぬ悪癖だと大人たちが思い込ませて刷り込ませてしまうほど、大抵の子ども向け作品においても、その様な行いをする大人のキャラクターは大体最後に痛い目に遭うからだ。

しかし、コジコジの世界においては、前のエピソードで明らかに人に害を成す様な詐欺行為を働いたスージーとブヒブヒの二人組ですら大して痛い目に遭わずにいるので、この作品にそういうタイプの教訓を求めるのはナンセンスだろうし。
そして、この様に白黒ハッキリさせないグレーな世界観に、そういう永遠の嘘を誰しもがつくこともある現実社会を生きる大人たちの価値観との類似点を見出した者ほど、このコジコジという作品を高く評価するのだろう……知らんけど。

そんな事を考えながら、第6話の『江戸っ子の国ゲタ屋一家がやってきた』を見た後に、すかさず第7話『頭花君のお見舞いに行く』を見る。

コジコジが図らずも頭花君の命を救ってしまうというエピソード……。
展開に意外性はあまりなく、オチは序盤で安易に想像がつくけど、明らかに生命も人格もあるはずのやかん君に対して周囲の人々が露骨に便利な無機物扱いをする様がシュールで面白かった。

生命も人格も人並みにあるやかん君と、そんな彼に生命や人格や知能があると認めつつも同時にめちゃくちゃ便利な無機物扱いをするその他の者達の、このビミョーな精神的距離感が何とも言えない。

やかん君が、この状況下で「俺は、ただのお茶沸かし器じゃないぞ!人の気持ちをバカにして弄びやがって!」と怒る事なく、己のこの様な世間からの扱われ方;社会的立ち位置に納得して己の仕事を全うしているのが、それがうまくできない人間を多く見てきた私から見たらすごいと思う。なにしろ、私もそれがうまく出来ていないからだ。

そんなこんなで順調に見進めているコジコジのTVアニメシリーズ……果たして飽きっぽく移り気な私は最後まで完走できるのだろうかと思いながら、今度は第8話『キノコ狩りへ行こう』を見ようと心の中でそっと決めるのであった。

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