人生がいきなり変わってしまった時のことの話29

◆寄生生物と対峙する

電波塔と宇宙人の心は共有しすぎていて実はどちらがどちらなのかわからない部分がある。
なので一人称はメチャクチャだけど大目にみてほしい。

寄生生物はペテン師だ。
とはいえ彼ら自身まで自分のペテンにかかっても困るので中心にある黒い種の部分(多分これが核)は嘘はつけなかった。
これらの動向さえ見てれば何を起こしたいのかわかった。
言っている内容よりもその発言によって起こしたい内容を計算したらいいし。

寄生生物の仲間どうしの協力体制は恐ろしく強いように見えたが別にそうでもない。
私に寄生したら私の仲間が助けに来るのではと考えて寄生しようとしたし、実際いくつかは入り込んできた。

私は寄生生物の成分表をスキャンして仲間に送った。
仲間はどういう方法か知らないけど白い錠剤のようなものを沢山送ってくれた。
それらを私が飲むと異常なまでに暴れて嫌ったので効果は一定数ありそうだった。
でも結構寄生生物は強くて弾機飛ばしていた。
なんの成分なのかは知らない。

何度も寄生生物をスキャンして送りつけたが、寄生生物は2000年前と全然進化してないらしく、母星の星団の人は情報に飽きていた。
一応対応策として、どの生物にも消費する生物はいる。

虫を食べる鳥
鳥を食べる動物
動物を食べる虫
こんな感じで。

彼らに対応してもらおうと試みたが寄生生物は割に合わなそうだった。
本当に何も生産できないからこそ嫌われている。

とはいえ私(宇宙人)のやることは基本的に味方の星団情報送るだけだ。
その情報を発信し続けるだけでも意味がある。

ここに寄生生物がいるって分かるだけで、他の星は特別な理由があるもの以外寄り付かないことができるからだ。
対等な契約を結べるまともな星のものは基本的に降りてこない。

来るのは繁殖して増殖されると困るという理由から経過を見る者、あるいは地球人に全員が寄生生物ってわけでもないので、地球人を助けようとするボランティア。
そして寄生生物と同じ系統の星のものは餌場として来る。

私(宇宙人)を殺せる、壊せるくらいの者は特にいなかった。

情報の星としては、地球は放っておけば最終的に餌がなくなってその内共食いを始めて滅ぶので静観すると言う方針だ。

情報の星の住人は確かに死にはしないけど偽情報をばら撒かれるのは星団からの信用が落ちるから。

電波塔を誘ってくれたのも心からの心配と親切心だった。

寄生生物自身が滅びたくなくて宇宙人のいる私の中に寄生してなんとか逃れようとしてきた。
寄生生物は寄生生物同士でも捕食する。

私に寄生してれば助かると思っている事自体がおかしいのに。
彼女の仲間は私から寄生生物が死滅するまでは基本的にはもう来ない。
それでも寄生生物にとって宇宙人は一縷の希望なんだろう。

宇宙人の彼女は死なないから、なんなら電波塔と残された宇宙人でそれらの免疫を作ってみてねという感じだ。

別にそれが名目の仕事で宇宙人は地球に来たわけじゃないんだけど。

情報の星の人の仲間が一切構ってくれなかった訳じゃない。
助けにはきてくれたし寄生生物にも特に取り憑かれはしなかった。

電波塔が地球を離れなかったし、結局、電波塔にかまってしまった宇宙人の一人が取り残されて寄生生物の相手をする羽目になった・・。
考えるとこう言うことなんだろう。

彼女のパートナーの宇宙人もずっとフォローしてくれている。

宇宙人は電波塔に「地球人はね、電波塔も含めてみんな神様の卵なんだよ。大きくなったら今度は育てる方へ行くの」と言っていた。
英霊のお兄さんは神様になりかけの人だったんだな、だからあんなに大きくて白くて綺麗だったんだ。と思った。

宇宙人は「私が理論で話すのは、誰が話しているかで惑わされないためだよ。誰が話しているかで物事を判断してしまったら、大変な時に騙されたり利用されたりする。まだ判別のつかない弱い卵だからね。
目の前が真っ暗になった時でも自分で分かるように理論が必要なんだよ。
ちゃんと理を自分で考えることができたなら、光のふりをしたペテン師には騙されなくなるからね」

私の一つ前の話を聞いて、確かに悪い人なんだろうけど環境が悪いとかちょっと可哀想とか、ちょっとでも同情しなかっただろうか?

寄生生物は弱者と聖者のふりをする。

そして例えわかってても無闇に手を振り払えば罪悪感も煽れる。
そうやってからそこから付け込むようにしているわけだ。

今思い出したが、私は初手で悪意に最初に視覚を奪われていた。
あとは単に私は悲鳴に惹かれがちなのだ。

私は英霊のお兄さんのふりした誰かに振り回されていた。
(たまに完全な偽物もいて切り刻んだのもあったけど。)
好きだから、単に悲鳴が聞こえたからとかで、助けたいとか、感情のままでは正確な判断はつかない。
冷静に判断したら全く同じ人に見えていても他人だって分かる筈なのに。

だから例え苦難が起きて何もわからなくなっても落ち着いて理詰めで答えを出せるようにと教えてくれた。

この思想は現実社会で私に良い影響を残してくれた。

現実世界でも有名な大学を出たとか、なんとなく有名人だからとかなんとなく肩書きで「信じる」「信じない」を分けがちになっている人はいないかな?
逆に今度は同情すべき背景のある人とされる人物の発言だったりとか・・・。
この人はいい人(そうに見えるから)だから言っていることを信じるとか。
そういうのはラベリングとかハロー効果とかいうんだっけか。
他に呼び方はあるのかな。

誰しもそういう部分はあると思う。
でも全てにおいてもう鵜呑みにしないと言うことを決めた。


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