第十三夜 後宮にて 前編

 江戸時代の大奥は男子禁制の場であったが、平安時代の後宮は、男子も出入りする場所であり、文化サロンとしての機能も果たしていた。
 天皇の寵姫たちは、寵愛を求めて、美だけでなく、文化でも競い合った。一条天皇の寵姫であった定子は、「枕草紙」の清少納言を召し抱え、そのライバルであった彰子は、「源氏物語」の紫式部を召し抱えて、互いに優れた文化で、帝の寵を争った。
 後宮は、美と文化の戦場でもあったのである。


 私と拾を乗せた牛車は、朱雀門の前を折れた。私たちは、宮廷の正門である、朱雀門を通れるほどの身分ではない。
 今日から私は、後宮に仕える。私が、自分の意志で決めたことだ。


「後宮に女官として仕えたい。そう申されるのですね」
 中将の君の問いに、私は同意の沈黙で答えた。
「私の妻、というだけでは不満なのですか」
「そんなことはございません。ですが……」
「ですが?」
「あなたに何かがあった時、一人でも生きていけるようになっていたいのです」
「私の、あなたへの恋が、冷めた時のことを心配しているのですか?」
「前の夫に捨てられた時、私は危うく飢えるところでした」
「私はそんなことはしません。仮に、本当に仮にですよ、あなたへの気持ちが冷めたからといって、あなたへの援助を打ち切ったりはしません」
「まるで、末摘花を支える、光源氏の君のようなことをおっしゃいますね」
 中将の君が、ふふ、と笑った。
「私は、そうなりたいのですよ。ですから、あなたが後宮に仕えたいというのなら、協力は惜しみません」


 そして、私は、侍女として拾を連れ、後宮に仕えることになった。
 揺れる牛車の中で、拾は不安げに私に寄り添っている。
 拾の手が私の手に触れ、握りしめてくる。
 私は優しく、しかしきっぱりと、その手を振りほどいた。
「後宮で、あなたが男であることが露顕したら、どのような騒ぎになるかわかりません。くれぐれも、ふるまいにお気をつけなさい」
「はい、奥方さま……」
 しゅんとした拾が可愛らしくて、思わず抱き締めたくなったが、私はぐっとそれをこらえた。
 あの婚姻の夜から、拾との間に、私は微妙な距離を感じていた。拾もそれに気がついたのか、あれ以来の数日間、私を求めてこない。
 私と拾はどうなるのだろう。
 不安を乗せたまま、牛車はゆっくりと進んだ。

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