第十一夜 被衣(かずき) 前編

 被衣とは、女性が徒歩や騎馬で外出する際に、顔が見えないように被る、袿(うちき)や単(ひとえ)のことである。後年には、被衣用に着物をあつらえるようになった。
 庶民はさておき、高貴な女性が顔を見せることは、関係を許すこととイコールであったこの時代、被衣は、ムスリム女性の被り物である、ヒジャブやニカーブ、ブルカ、チャドルなどと、よく似た機能を持っていたと言えるだろう。
 ちなみに、都市において、女性が被衣を被らずに出歩くことは、
「ナンパオッケー」
 のサインであった。ただし、女性には拒否権があったし、関係を持つ男性は、一夜の宿と食事を提供しなくてはならない。このシステムを利用し、一人旅をする女性も、決して少なくはなかった。
 被衣の習慣は、室町時代頃まで続いた。

 被衣越しに見上げるモミジは、一面に紅葉していた。
 私と拾は固く手をつなぎ、二人で紅葉を見上げる。
 傍目には私たちは、仲のよい姫君と侍女に過ぎない。本当のことを知っているのは、私たち二人だけだ。
「奥方さま、ありがとうございます。一生の……思い出です」
 拾の声に、わずかに嗚咽が混じっているのを、私は聞き逃さなかった。
 そうなると、私の目からも、自然と涙が零れる。
 二人きりで外出して、モミジを眺める。そんなことが、この先の私たちの人生に、許されるとは思えなかったからだ。
 と、うめき声のような声が、どこからともなく聞こえてきた。
「奥方さま?」
「しっ……」
 私は耳を澄ます。声は、少し離れた草むらから聞こえてくる。
 草むらをよくみると、肌色の何かがちらちらと動くのが見えた。
 手? いや、脚?
 私は、拾の手を引いて、息を殺して草むらに近づく。
 近づくと、草むらの影でうごめいているものが、はっきりと見えた。
 それは、絡み合う男女の姿であった。近くには、抱き合いながら脱ぎ捨てていったであろう、二人の衣類が、点々と落ちている。
 私は、彼らの邪魔をせぬよう、拾をうながして、静かにそこを離れようとした。
「奥方さま、あちらにも……」
 声を潜める拾の、指さす方を見ると、あちらの草むらの影、こちらの樹の影に、絡み合う男女の影が見える。
 どうやら私たちは、とんでもないところに迷い込んでしまったようだった。

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