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本日の気づき…内省(性奴隷)

※刺激の強い内容になっています。自己責任でお読み下さい。

思えば母親との関係はずっとぼくの境界線を犯され続けてきた関係だった。

酔っ払って息が臭いのに幼いぼくをベタベタと抱きしめてくる。嫌だ、お母さん臭い、止めてと言うと怒り出して殴られる。

冬の夜には自分の足が冷えるからと布団の中で母親の足をぼくの足に絡ませてきて湯たんぽ代わり。

小学低学年のころ、ぼくの便秘がひどくなるということがあった。泣いて嫌がるぼくの下半身をおろし、浣腸をしてきた。あの時の女性をレイプするような表情というか勝ち誇ったような立ち振舞いはぼんやりとだけど強烈にイメージ残っている。

中学生になって思春期にもなるとマスターベーションもするようになりプライバシーを求めるんだけど、部屋のノックをすることもなくいきなり部屋に入ってくる。鍵のないタイプのドアノブだったから鍵をつけることを要求するも論理的な説明を一切することなく、「駄目」の一点張り。

学校から帰るとベッドや引き出しに隠しているはずのエッチ本が整理されて机の上に置かれていることは何度もあった。

母親がトイレに入るときは鍵をかけなかった。ドアを開けたら母親がいたということが何度もあった。鍵を締めるようにその都度お願いしたが、変わることはなかった。

中学の技術の夏休みの宿題でハンモックを作った。我ながらの自信作でベッドの代わりに使っていたけど、ある日学校から帰るとハンモックが片付けられて普通のベッドに戻っていた。

中学3年生の受験の前、家庭のストレス、受験のストレスもあり、頭がどうにかなりそうだった。今から思えば自己治癒のアートセラピー的なものなんだろうけど、ティッシュの箱に鉛筆を刺したり、消しゴムを糊付けしたりとなんかのオブジェを作っていた。それでメンタルを保っていた。ある日学校から帰るとそのオブジェが捨てられていた。

大学受験の模試の結果を部屋の中を勝手に探索し、元の場所に戻せばこちらも気づかないのに、なぜか机の上に部屋に入った証拠のようにきちんと模試の結果を置いていく。それが毎月のように繰り返される。母親を言葉で責める。言葉が通じないので怒りがおさまらない。そこに父親が仕事から返ってきて、「あまりお母さんをいじめるなよ」と…

週末の朝、母親が洗濯物を僕の部屋の前のベランダに干すんだけれど、いつも部屋を覗かれている感じがあった。視姦。

大学生の頃、自宅に帰ると勝手に部屋が掃除されてアダルトビデオが綺麗に整理されていたんだけど、ただ整理されているだけじゃなくて、途中までのものも全部巻き戻っている。母親はそれを観ていたんだよね、きっと。息子のアダルトビデオを息子の部屋で。

境界線なんてもの、一切なく、グッチャグチャだった。

幼い頃のぼくは母親のペットであり、ただの愛玩具だった。

母親なんてそんなものという人がいるかも知れないけれど、もし娘とその父親というように性別を逆にしてみるとその気持の悪さが伝わるのかもしれない。娘に執拗にまとわりつこうとする父親。


ぼくの存在は母親が自分を満たすマスターベーションのためのバイブでありディルド。

支配するものと支配されるもの。


母親は性的なものを汚らわしいという体でいたけれど、ぼくには違う姿が写っていた。

ネットで調べたらぼくが6歳の頃のドラマだったけど印象に残っているシーンがある。女性のマンションに不倫相手の男性が入ってくる。女性はひざまずいたまま男性のところまで這っていき、男性の股間に顔を埋め男性のものにむしゃぶりつく。

6歳のぼくにはこの行為がなんだかなんて理解できなかったけれど、くらいつくようにテレビをみる母親のなんだかおぞましい、というか獣のような表情は強烈に印象に残っている。

母親は幼い頃はお嬢様として育つが、父親が病気で亡くなり兄弟が多かったことから奉公に出されたらしい。以前、過去の振返りをするために両親それぞれの実家に行っていろいろヒアリングをしたことがあって、初めて事実を知ったんだけど、母親が30代に父親と結婚すると報告してくるまで、どこで何をしているか全く誰も知らなかったと。話を聞くと母親はキャバレーのホステスさんとして働いていて、そこに客として通っていた父親と一緒になったらしい。そんな話それまで両親からは全く何も聞いたことがなかった。(専業主婦だった母親に昔仕事したことがあるのかを聞いたけれど無いと言っていた。高卒と聞いていたが実は中卒だったこともその時知った。)

ホステスさんだったから性的に奔放だったかどうかなんて決めつけはできないけれど、少なくとも仕事上性的な部分を前面に出していた時期もあったんだとは思う。

今から思うと母親はそういった自分の仕事も性的な部分も忌み嫌っていたように思う。

その性に対する抑圧を入れられたことで、ぼくも性に対してはおぞましくて汚らわしい感覚がものすごく強かった。

中学生の頃にマスターベーションをする際に、好きな女の子が頭に浮かんでくることがあると自分の顔をひっぱたいてそのイメージを消していた。

今思うと性に対する罪悪感・羞恥心の裏には母親の自分自身への自己肯定感のなさがあり、それをパッケージにしてぼくは入れられてしまっていた。

これを「チクチク・いやみ・理不尽と感じる「ほんのひと言」に傷つかなくなる本」の中の本人に返すをしてみると…

「汚らわしくておぞましい悪臭を放つぼくの存在は周囲のすべての人に嗚咽感を与え、皆ぼくから遠ざかっていく。苦しくて、怖くて、寂しくて仕方ないけれど、ぼくは誰かに助けもらえるだけの価値がないゴミ溜めに湧く蛆虫以下の存在。ぼくはそれを認めるだけの力もないからぼくに関わる人に呪いかのように覆いかぶさり不幸にしていく疫病神。そんな自分が苦しくてしかたがない…」

そんな自尊心なしの状態で好きな女の子の裸を想像なんてしたら、自分が女の子を汚してしまうような、自分の醜さ・おぞましさを感染させてしまうような気がしてならなかった。

これも本人へお返し…

「こんな醜い贅肉ぶよぶよでみっともないぼくのことを好きになってくれる人がいるわけない。そんな人がいたとしてもそれは本当のぼくを知らないから。それを知ったら必ずぼくは嫌われる。ぼくは忌み嫌われた存在なんだ。それがとてつもなく寂しくて、苦しい。」

そういえば幼馴染の兄妹が隣に住んでいたんだけど、うちの家族が引越した数年後にそのお父さんが亡くなったという知らせがあった。確か中学1年生の頃。彼らに会いに行きたくて仕方なかったけれど、母親から贅肉がみっともないと散々言われていたから、そんな自分が恥ずかしくて会いに行けなかった。


そんな母親との関係性がぼくの性に対して及ぼした影響の象徴的な2つのエピソードをば。

その1。

小学生高学年か中学生の頃だったと思う。たぶん兄の買ったエッチ本の記事だったと思う。その中に西洋中世の性奴隷の子供たちの話があった。そういった事実が本当にあったかどうかは知らないけれど、その記事によると…

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中世の貴族が自分たちの快楽を満たすために、子供たちを性奴隷として飼っている。彼らは教育を受けることもなく御主人様のフェラチををするためだけに育てられている。フェラチオの邪魔になるから歯はすべて抜かれ、逃げ出すことにもつながるので目も潰され鼓膜も破かれている。フェラチをうまく出来たら食事を許され、日々そのためだけに生きている性奴隷が存在した。

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衝撃だった。

そんな世界が存在することが驚きだったのはもちろんあるんだけれど、何よりも衝撃だったのはその記事を読んで興奮している自分がいることに気づいたことだった。

その性奴隷を利用する貴族の立場で興奮していたのか、性奴隷の立場で興奮していたのかはわからないけれど、興奮している自分の存在がおぞましく感じられ、何か見てはいけないものを見てしまったように感じ自分の内面にそっと蓋を閉じたような覚えがある。

今から振り返ってみると、幼少期の母親との関係性から支配者に隷属するという偽りの快感を入れられていたのだろう。自己肯定感の低さも相まって、「御主人様のためなら、私の身を投げ売って満足させて下さい。この価値のないボロ布の私がほんの少しでも存在意義を感じられるのであれば何でもさせていただきます。」という性奴隷になっていたんだと思う。まさに目を潰され鼓膜も破かれた性奴隷の子供たちと同じように罪悪感や羞恥心で自由を奪われ、でも少しでも温もりをくれる可能性がある母親に奉仕するだけの性奴隷。

厄介なのは幼いぼくはそんな仕組みを知るわけもなく、被虐待児の悲しい性として痛めつけられればその反動で母親への執着が強くなる。

過去を振り返っていて、やられたことばかりが思い出されていたんだけれど、ある時に母親をおんぶすることが好きだったということを思い出した。

幼いぼくにとっては重い母親の体重をぼくの小さな背中に背負って部屋の中を歩き回るだけの小さな遊びだったけれど、初めは重くて背負うことができなかったけれど、そのうちなんとか母親をおんぶすることができるようになった。小さな騎士の自分がお母さんを守れるんだというような誇りのような気持ち。

母親の性奴隷なんだけれど、母親を守る騎士。

どれだけ母親に支配されているんだってね。


その2

反抗期で表向きは支配関係が逆転し、ぱっと分かるようなものではなくなったけれど、自己肯定感の低さ、過去に入れられていた罪悪感、性に対する嫌悪感、孤立・孤独感といった母親から入れられていたネガティブな感情は水面下、記憶下に追いやられ気が付かないだけで、実際は幼い頃からと全く変わらない性奴隷のまんまだった。

大学中退して日々肉体労働で週末に酒に溺れてという頃だったと思う。今だったらおまわりさんこっちです案件だけれど、3ヶ月ほど幼女・少女の写真をネットで集めていた時期があった(まだ児童ポルノ法ができる前)。

でも、ある日を境にきっぱりとデータを削除して、それ以来今に至るまでそういう気持ちになっていない。

そのきっかけはひとつの気づきだった。

何がきっかけだったのかわからないけれど、ふとした瞬間に「これって自分に全く自信がないから、こんな俺でも支配できると思える対象を選んでいるだけだよね」と気づいたことだった。

それは当時のぼくの精一杯の内省で、母親との関係性から支配・被支配というものにうんざりしていて、それと同じことをやっている自分に気づいてうんざりしたんだと思う。当時はその気づきは自分の内面の小さな方向修正はしたけれど、それ以外の関係性を構築するやり方がわからない自分の自己肯定感を上げることにはならなかったけれど…

蛇足だけどこんな経緯が裏にあるからか、ぼくのアダルトビデオのジャンルはレズビアンになっていた。多くのアダルトビデオでは男優が女優さんをイカせるのがメインになっていて、その構図が受け入れられなかった。どっちが上でどっちが下みたいなものじゃなくて、二人の一体感を感じられるようなそんな関係性がまだレズビアンものの方が多かったから自然とそういう選択になったんだと思う。

昔付き合っていた彼女とセックスをしていた時に、彼女が激しく突いてくることを求めることがあった。ぼくの中ではオラオラセックスと内心読んでいたんだけど、それをするとなぜか母親の顔が浮かぶことがあった。

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ぼくは母親の性を満足させるバイブやディルドであったんだけれど、それと同時に「男として役立たず」というメッセージも入れられてきた。


ここにどれだけ自尊心無しになっていくかの経緯は書いたけれど、その奥底には実際に意気地なしのフニャチンとしてのぼくを蔑んだ冷酷な目で見る母親の姿にずっと怯えてきたような気がするんだよねぁ。

バイブとして母親を喜ばせる使命を帯びながら、そのくせいざという時にフニャ~と折れ曲がって役に立たなくなる。一人の女声を満足させることもできないダメ男。そう言って罵倒する母親の姿。

こうして文章にしてみると、どれだけ幼少期の母親との関係性がその後の自分に影響を与えてきたのか、そして今現在の自分の世界を作り上げているのかがはっきりと分かるようになってきた。

内省すごい。

完全にぼくは母親の性奴隷になっていた。それも喜んで。

それでしか自分自身の存在価値が認められないから。それが自分の生きる道と思い込んできた。

でも、それは母親に入れられていただけだった。そのからくりが大嶋さんのおかげでようやく腑に落ちるようになってきた。









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