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内省…偽りの快感(罪悪感)

昨日書いた心の中のぽっかり空いた穴、つまり「自分には誰にも愛される価値もない」という事実を直視するのは幼少のぼくにはあまりにも辛すぎるから、その穴を埋めるために偽りの快感に浸ることで「孤独感」から目をそらし自分を保ってきたんだと、内省をすることで認められるようになってきた。

「罪悪感」「劣等感」「怒り」「不安」などなど、穴を塞ぐために浸っていた偽りの快感はいくらでもあるんだけど、まずは罪悪感から…

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基本、自分自身の内省のために書いている文章なので好きなことを書いていきますが、公開しているものなので一つだけ最初に誤解のないようにお断りをば。

重いです、このテーマw 覚悟がある方だけどうぞ。

トラウマでマウント取りたいのではありません。

あくまで自分の場合の偽りの快感が形成されるまでの経緯がそうだったというだけです。寂しい思いをしている子供に「アフリカの飢餓で苦しんでいる子どもたち云々」と比較しても意味ないです。当人が感じる痛みは絶対的な痛さなんだと思います。自分の場合は大したことないからと、心の声を無視するのではなく自分の中の違和感を大事にして下さい。

なんか、ピンとくるものがあったなら大嶋信頼先生の本やブログを見るといいかと思います。きっと楽になれます。トラウマも記憶を思い出さずに治療できるすごい時代です。というか大嶋信頼先生すごいです。いい時代です。

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いわゆる一流大学を中退し地元の工場勤務で肉体労働の日給月給のバイトをしていた20代後半、なんの希望もなく生きる意味もわからず、仕事の終わる週末には大酒を飲んで時間をやり過ごすといった日々が続いていた。大学の友人達は一流企業のサラリーマン。劣等感の塊で彼らとは疎通も途絶え友人もいなく、後述する理由で自死は選べないから、人生死ぬまでの暇つぶしという毎日だった。

前日金曜日に一人深酒で二日酔いの週末の朝、テレビで王様のブランチの書籍案内のコーナーで紹介されていた「永遠の仔」(著:天童 荒太)が妙に気になりすぐに近所の書店で購入し一気に読んだ。幼少期のトラウマがその後三人の主人公にそれぞれどのような影響を与えるかという物語だったと思う。

その頃は感情なんて鈍化してぼーっと生きていたけど、文章の最後になぜか号泣した。そして「あ、自分も同じだ」と感じた。意味がわからなかった。

ネットでいろいろ調べてみて、幼少期のトラウマがその後の人生に莫大な影響を及ぼすということを知った。アルコール依存症の子どもたちにその影響が顕著に見られるということだった。

そういえば、ぼくは子供の頃は酒を飲む大人たちが大嫌いだったということを思い出した。

「なんでだっけ?」と自問した。

「だって、あいつら人間のクズじゃん」と瞬時に答えが出た。

そういえばそう思っていたことをぼんやり思い出し、不思議な気持ちになりながら、ネットで得た情報で、子供の頃の記憶を紙に書き出して整理するといいというのを知った。紙とペンを用意してやってみた。

子供の頃の記憶がきれいさっぱり何も出てこなかった。

???

そんな中、一つの記憶が出てきた。

その二年程前にとある事情で子供の頃の写真が必要になって母親にアルバムの所在を聞いたことがあった。

「アルバム、あんた昔自分で焼いちゃったじゃない」

?!?!えっ(⊙_⊙)?

言われてみれば、小学生高学年の頃に家族写真を自宅横にあった焼却炉で焼き捨てたことを思い出した。

「なんでそんなことやったんだっけ?」自問した。

「ペットとして飼われていた自分を残したくなかったから」と返ってきた。


そこから自分自身を取り戻す作業が始まった。

何週間も何ヶ月も時折出てくる記憶の断片をメモに残してはそれをつなげて、子供の頃の自分を掘り起こした。トラウマエピソードと結びつくテレビドラマや音楽がいつ放送されていたなんかもネットで調べて大まかなトラウマ年表が出来た。

その中で「罪悪感」で母親に完全にコントロールされていた事実が見えてきた。(いろんな意味で整理できるのにかるく10年以上はかかってます)

母親は昼間は周囲にどう思われているかばかり気にする人でとても冷酷な人だったけれど、お酒を飲むとその性格が一転し気持ち悪いほどベタベタしてくる人だった。「〇〇ちゃ~ん」とぼくの名を呼び抱きしめては猫可愛がりした。10歳にも満たない頃かな、多分。

母親が顔を近づけてくる時に感じる酒臭い息が大嫌いだった。(というか匂いが嫌いじゃなくてそのベタベタしてくる行為自体が大嫌いだった。酒が嫌いだから台所にあった一升瓶の中身を捨てたら殴られた記憶もある。)

「臭いよ!やめてよ!」と散々泣いて抗議すると、母親が激昂し暴力が始まる。いつも半ズボンだったから、足のももをピシピシと真赤になるまで叩かれた。しばらく暴力が続き母親の気がおさまると、ぼくは二階の部屋まで逃げ込んで、内側から引き戸に対してつっかえ棒をかけて外から開かないようにして部屋の中で泣いている。

そのうちに下の階から母親が階段を昇ってくる。「〇〇ちゃん、ごめんなさい。お母さんのこと許して。お願いだから開けて」

正確な時間は知らないけれど、ずーっとこんな調子で部屋の外から謝ってくる母親に対して泣いて抗議するぼくの構図で何回ものリピート。そのうちに謝っている母親が可哀想になりそれを無視している自分が申し訳なくなってきて、最後には許してしまう。

その後、いくつかの罪悪感注入のビッグイベントが小学生高学年になるまで続くw。

幼稚園~小学生1・2年の頃、毎年夏には家族で海に二泊三日で遊びに行っていた。小学生になってたとは思うけど、その年は旅行の少し前から母親がなんかおかしくて、死にたいと何度かほのめかすことがあった。幼少のぼくの頭の中で、母親は海に遊びに行った時に死のうとしているんだと理解した。

当時のぼくは大人は死ぬときには遺書を残すと思っていたから、母親のいない時に、部屋中をくまなく遺書を探した。引き出しの洋服の間、押入れの布団と布団の間、書棚の本と本の間、ページの間、壁にかかった額の裏…何日もかけて探し回った。

事前に遺書を見つけることで、海に行くことをやめられると思っていたんだと思う。でも、何も見つからなかった。そして結局皆で海に行くことになった。

父親がビーチでのんきにビールを飲んでいて、兄が近くで砂いじりで遊んでいる中、ぼくだけは母親から決して目を離さないようにしていた。目を離すと母親がいなくなってしまう気がしていたから。

母親が少し海に入って泳いで来ると言うと、ぼくは焦りながら浮き輪とゴムボートを抱えて一緒について行った。胸は心配でいっぱいで張り裂けそうなんだけど、そんな思いがバレてしまってはいけないから無理矢理に笑顔をつくって楽しそうなふりをして母親の側から離れないようにくっついていた。しばらくそうしていると母親がビーチに上がるというのでホッとした。

今から思えば、母親は死ぬ気なんてなかったんだよね。これっぽっちも。

そういえばこれ以降、家族旅行に行くことはなくなったんだっけ。ぼくが行きたくないと言い出したから。

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このエピーソドには後日談があって、過去振返りの作業をしてた時トラウマ治療のワークショップに参加したことがあった。そのウォーミングアップの時間にトラウマの1場面を画用紙に描いてという指示があり、ビーチの父と兄、海で泳ぐ母とその側で笑顔のぼくの絵を描いた。

するとファシリテーターの人が絵を裏返して両手でゆっくりとさすって下さいと指示を出す。

記憶の取戻しの作業をしていた当初って何が起きたという事実は思い出すんだけど、それにまつわる感情の記憶は全然ついてこなかったのね。なのでひどい出来事でも淡々と人に話すことが出来てた。

で、絵を裏返して両手でさすっていると、胸の奥からものすごく大きな巨大な塊のようなものが湧き出てきた。そこには「お母さん!お母さん!」と号泣する自分がいた。もう抑えることが出来なかった。ずっと感情なんて鈍麻してたから、そんな感情が心の奥底に眠っているなんて思ってもいなかった。それまでただの過去のトラウマを記憶の整理として明らかにしようと思っていたけど、その爆発するほどの感情が自分の根幹で今も煮えたぎっていることを知った。

そして、それまでトラウマ記憶を思い出すときは母親=ひどい人間という認識で母親のいいこととか一切思い出せなかったんだけど、昔は母親のこと大好きだったんだということを思い知らされた。

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ぼくが小学生低学年の頃から、母親は新興宗教にはまりだして毎晩仏壇に向かって念仏を唱えるようになった。ぼくも中学2年頃まで宗教の集まりに何度もつれていかれたけれど、周りの大人達がちっとも幸せそうに思えなかったから、その宗教に深入りすることはなかった(名前だけはずーっと登録されてたらしいけど、自分の過去の振り返りを始めた時に内容証明郵便送って完全に名簿から抜いてもらった。スッキリしたw)。

土曜日の夜にお寺の坊さんを主人公にしたテレビドラマが放送されていた。そのドラマはその前に同じ俳優さんが主演を演じて大ヒットした後に同時間帯に放送されたので、自然とドラマを観ていた。

いつもその時間帯は母親は隣の部屋で念仏を唱えているんだけど、なんか母親の様子がおかしくなることがあった。

隣の薄暗い部屋から、「うぅ~、うぅ~」となんだか母親の小さい唸り声が聞こえてくる。心配になって隣の部屋を覗くと母親の上半身はだらりとうなだれて意識がなくなっている。

パニックになりながら母親の背中を擦り、何度も何度も「お母さん、お母さん!」と呼びかける。

本当はどれくらいの時間かわからないけれど子供のぼくには何十分も感じられた後、母親がゆっくりと意識を取り戻し、「だいじょうぶ…」とだけ言って何事もなかったように再び念仏を唱え始める。

何度かこれが続き、母親が念仏を唱えている時にテレビドラマでお経を俳優さんが唱えている時にだけこの事象が起きていることに気づく。

自然とぼくの頭の中で「別の神様のお経をお母さんに聞かせているから、お母さんを苦しめているんだ」という発想が出てくるんだけど、ドラマを見たい気持ちもあるからそのドラマを見るときは常に緊張して、お経を唱えている場面が出てきた瞬間にテレビに近寄ってボリュームを下げるようになった。(まだリモコンがなかったんだよね、その当時。)

この頃からぼくが母親を苦しめているという構図ができてくる。だからもちろん父親になんて言えるわけもない。

そして極めつけとなったのが、次の二つ。

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年子の兄とはしょっちゅう兄弟喧嘩していたけど、小学生低学年の頃はまだ力がなかったから、止めようとする母親に力負けしていた。でも小学生高学年にもなると、身体の小さい母親よりも力がついてくる。

そんなある日、兄弟喧嘩をしてる部屋へ母親が扉を開けて入ってくる。手には包丁を持っている。おもむろに自分の首元へその包丁を持っていき、「あんたたちが喧嘩止めないなら、お母さんここで死んでやる」と…

止めるよね、瞬時に。愛するお母さんが死んじゃうんだもん。自分達のせいで。泣いて謝るよね、ごめんなさいと。もうパニック。

この時にこちらに包丁を突きつけていたなら、その後の記憶も消えなかったんだろうね。加害者である危ない母親に対し、襲われる被害者である子供の構図だったとしたら。「お母さん怖い」と処理できる。ひょっとしたら周りの大人に相談できたかもしれない。

「お母さんを死ぬほど苦しめている自分」

悪いのはぼく。

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小学生高学年のある日、家に帰ると母親が妙に興奮した感じでその日に起きた近所での噂話をぼくに聞かせてくる。近所のマンションの高層階から下を見るとマネキンが燃えていた。そのマネキンが動いていてよく見たら実はそれは人間で、実はガソリンをかぶり火をつけた焼身自殺の女性の姿だったと。

そんな話を少し喜びながら笑顔で話しかけてくる母親に違和感を感じていたけど、その夕方になんと、その人の子供という近所の小学1年生ほどの男の子がうちになぜかやってきた。多分母親と同じ新興宗教の仲間でその関係でうちが選ばれたのだと思う。

母親にその子の面倒をみておいてねと言われぼくが子守役になるんだけど、その子はお母さんが心配で心配でたまらず何度も何度もお母さんの様子をぼくに尋ねてきた。どういうふうに慰めたのか覚えていないけど、結局その子のお母さんは助からず、残された家族は引越していった。

それからどれくらい経ったのかわからないけれど、また兄弟喧嘩をしていた冬のある日、母親が突然部屋に入ってきた。よく見ると手に赤い灯油缶を持っている。

「あなたたちが言うことを聞かないから、お母さん灯油かぶって死んでやる!」

泣きわめいて謝るしかないよね。お願いだから死なないでって。土下座でも何でもするよね。

もう、そうなると「ふぅー」という母親のため息ひとつでぼくは母親の様子を伺うようになる。Hey、SiriとかOK,Googleが出てくる何十年も前の話だよw。そんなテクノロジーなんていらなくて、ため息一つで簡単に子供を支配できるんだ。

でね、こんなことが何度か続いたんだ。

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これも後日談があって、もう専門家に頼ろうとトラウマ外来に初めて行った際(FAPがまだ無い時代だった、残念!)、精神科ドクターの前で第一声出てきたのが、自分でもびっくりだったんだけど…

「ぼくのせいでお母さんが死んじゃうんです!

 ぼくが悪い子だからお母さんが死んじゃうんです!」

だったよね。

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母親の死ぬ死ぬ詐欺、ぼくもバカじゃないからそのうち気がついた。

あ、こいつ死なないな。と。

今まで何度も何度も死ぬ死ぬ言って、ちっとも死なないじゃんって。

ただの嘘つきじゃんって。


ちょうどそれが反抗期の時期。

そうなると、母親が死ぬ死ぬ詐欺することがあっても嘘だとわかっているから泣いて土下座することはなくなる。

「死んでみろよ、ここで今死んでみろよ!」

「早く死ねよ!とっとと死ねよ!死ねるもんなら死んでみろよ!」と叫んでた。

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こんなことがあったから、自分の状態がどんなに悪くても「死にたい」と思ったことがなかった。もちろん自分が自死を選んだとしてもその遺体を片付ける人たちに迷惑がかかるし、それだけの価値が自分にない自己肯定感どん底というのもあったけど、「命を人を操る道具として使うな!」というマグマのような怒りが植え付けられてたんだね、罪悪感と一緒に。

だから踏切で小さな子とかお年寄りが転んで彼らを助ける際に自分だけが電車にひかれてといのが自分の中での理想的な最後だった。それなら自分が生きたことに何らかの意味があるかなと。

周りで「死にたい」という人がいたけど、心のどこかで「今死ね、すぐ死ね、ここで死ね。死なないなら殺してやろうか?」というフレーズが条件反射で頭の中に出ていた。言わないけど。

自分が楽になる過程で「死にたいなぁ」とふと思えた時に、「あ、回復したなぁ」とちょっと嬉しかったw。

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ぼくが子供の頃の写真を燃やしたのもこの時期。ペットとして親に支配されていた自分を消したくて燃やした。

反抗期になると腕力でも母親を上回るようになり、「表面上」親との立場が逆転する。さんざん罪悪感を植え付けられているので母親に暴力をふることは一切ないのだけれど、母親に対する暴言や要求がひどくなる。(コンビニとかそんなになかった時代で、夜コーラが無くなっていて母親に今から買ってこいとか無茶な命令とか→これも結局罪悪感になるんだけど)。

すると急に母親が「話し合いをしよう」と言い出した。

母親は幼少期からぼくをペットのように扱ってきたけれど、今までさんざん力でねじ伏せてきたにもかかわらず。

それならと話し合いとやらをしようとしても、母親に「あんた」「ばばあ」と呼ぶぼくに対し、「お母さんに対してその言葉遣いはなに!?」とスタートからつまづき、話し合いになんてならない。

この頃、母親が読んでいた本に「子供の叱り方」というのを見つけて、中身を読んで愕然としたw。感情で怒るのではなく論理的に叱りましょうって。論理なんてうちにはなかった。あるのは支配関係だけだった。

そんな反抗期であっても、母親の罪悪感注入は止まらない。

中学2年頃、通っていた塾を止めることになって母親に退塾届けを出しに行ってもらった。雨の降る夜だった。

うちから塾まで自転車で30分ほどだろうけれど、3時間経っても帰ってこない。反抗期であってもすごい心配になる。もちろん携帯なんて無い時代だからひたすら待つしか無い。

結局4時間程して23時もまわる頃に母親は帰ってきた。全身ずぶ濡れで。

どうしたの?と聞くと、田んぼのあぜ道で転んでそこにしばらく倒れていたと。

実際何が起きたのかはわからない。ただ、反抗期のぼくにとってまたひとつ罪が増えた出来事だった。


高校生になり周りが反抗期を終え親との関係が落ち着いくるようになっても、ぼくは相変わらず親への暴言や要求が続いていた。そのうち、そんな自分が欠陥なんじゃないかと思えてきた。周りがちゃんとしているのに、自分だけ相変わらず親へ無理難題を言って成長出来ていない。

もう、この頃には子供の頃の親からの罪悪感注入エピソードとかあまりに脳や自我に対する負荷が大きすぎて記憶から抜けていて、それらの体験が自分の思考パターンにどのような影響を及ぼすなんて知らないから、その結果としての罪悪感だけが自分の中に残った。

「自分は罪深い人間」「自分は欠陥人間」

もちろんこんな重い十字架背負って生きるのはしんどいから普段は意識なんてできないんだけど、心の底に常にあった。真っ黒いキャンバスとして。

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どんなに必死に明るい色を重ねても、キャンバスの黒がその色に侵食してすぐに消えてしまう。もがき苦しんで少しでも光のある世界に行こうとしても真っ黒い世界が追いかけてきてすぐに飲み込まれてしまう。

そうなると、もう自分から逃れるしかないんだよ。自分の現実から逃げ回って、酔の世界に浸ってごまかして。常に何かに酔って必死にしらふにならないようにがんばる。それが唯一の自己治癒の方法だから。ずーっとそんな人生だったなぁ、FAPに出会うまでは。


今思うに、親の罪悪感をパンパンに入れられて本当にこんな状況でよく生きてこれたと思う。そして、この罪悪感を母親から偽りの快感として入れられてきたという物語で振り返ると、そこからの抜け出し方も見えてくる。

目をつむり目の前に母親に座ってもらい、感じてきた罪悪感を伝える。

「ぼくがこの世に生きていることが申し訳なくて、すべての人からお前なんて消えてしまえ。お前が存在することが迷惑だ。誰もがお前を嫌っていると言われ、呼吸をすることすらも人に迷惑をかけている気がしてた。ぼくに生きる価値がないことはわかっている。汚物を避けるように皆は近寄らず、近寄る人はみな鼻を押さえ、吐き気をもよおし、顔を歪める。

そんな状況を変えたいとは思うけれども、何も出来ず、人のために何かを奉仕することしか出来ない。皆の軽蔑を喜んで受け入れることしかできない。汚物を身体中に塗りたくってでも人が喜んでくれるなら嬉しい。でも、本当は苦しくて苦しくて仕方がない。でも誰にもその声は届かず、理解されず、絶望だけがそこに残る。

一人ぼっちで未来も見えず、過去も重荷でしかなく、ひたすら辛い。助けてほしい、でもどうにもならない。苦しいよ!苦しいよ!助けてよ!」

今まで感じていたけど言語化できずにいた辛さや苦しさを母親に向けて伝える。途中からいろんな思いが出てきて思わず涙が出てくる。


ババ抜きのババを持ち主に返す。


なんかイメージの中の母親が笑顔になった気がする。

内省のちから、凄い。













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