「隠れナルシスト」

と、彼を名付けようか。
彼は普通のナルシストとは違い、自分の話は滅多にしない。基本的に聞き役である。
その代わり、相槌の節々に軽蔑の念が込められている。相手はそれを無意識で感じ取り、彼は誰とも仲良くなれない。
彼が興味あるのは彼だけであり、世界中の誰もが彼に注目していると思っている。それが好意であれ、憎悪であれ、人々は彼に注目するはずだと彼は思う。
彼は当てが外れた自身家である。その容姿、体力、精神力、頭脳において、外形だけは彼に優っている人がいたとして、実際に賢いのは彼だけなのだ。無論それは彼の頭の中でだけ通用する論理だが。
すべての女は彼を一目見た途端いいなと思うはずなので、オシャレに気を使う必要はないし、会話の技術やデートスポットを学ぶ必要もない。彼はありのままで、女性や友人から愛される人なのだ。
彼はとんでもなく不幸ではないが、それほど幸福でもない。彼は自信があるので表面的には楽観主義者だ。しかし、根源的には自分に自信がない男だ。
彼は完璧主義者だ。完璧な人生を送るために凡庸な人生を送るための努力を放棄する。遠くの目標はいつだって彼を慰めてくれる。しかし彼がその目標を達成する日は、仮に人間が百万年生きるとしても来ないであろう。
彼は普通の不幸を孕んだ幸福な家庭に生まれた。そのほんのちょっとの不幸が彼のナルシズムの源流であり、彼が考えを改め、真剣に努力をすればもしかしたら彼の悪癖は治癒できるかもしれない。それには格好をつけて生きるのをやめなければならない。ヒーローでも悪役でもない、ダサい虫けら、モブにならなければならない。彼はまだ物語を始めてすらいないのだ。スタート地点でゴールの瞬間をあれやこれや考えるのをやめて、走り出さなければならない。泥臭く、ダサく生きなければならない。そうしたダサい人生は彼が思い描く完全無欠の人生よりは濁って見えるかもしれない。しかし麻薬患者が本当に幸福でなく、地味な場所で取るに足らない生活をしている人の方が幸福であるのと同じく、実際に有り得ない楽園の夢に浸るよりは、モブキャラや普通人やそれ以下の生活の方が、より幸福なのだ。このことを彼は理解した方が良い。そしてこの彼とは、私のことである。

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