「赤線」


「バカなことをいうな」と俺は言った。

「バカなこととはなんだ!」砂場は顔を真っ赤にして叫んだ。

俺は友人の砂場を赤線に連れて行った。砂場はウブなやつだが、話は面白いし、女にモテないのが不思議なくらいだ。多分、経験の不足が彼から女が遠ざかる理由だ。じゃあその経験をさせてやれば、こいつはもっと魅力的になるだろう。俺はそう思った。砂場はもともと赤線に興味があったみたいで、俺が誘うと2つ返事で了承した。

18時に入谷で待ち合わせた。砂場は15分前から待っていた。「遅れてすまん」と俺は遅れてもねえのにいう羽目になった。赤線地帯を歩いて行った。砂場は流石に意気揚々と言った感じではなかった。背中を丸めて、まっすぐ前を見ながら、時折ちらりちらりと売女どもを見遣る。やはりこいつは楽しいやつだ。

「年増と若いの、どっちがいい?」俺は聞いた。
「若いのがいい」
「俺としちゃ初めては年増をすすめるがね」
「そうかい。じゃあ年増で」

砂場は普段はもっと活気があって、機智を楽しめるやつだが、この時ばかりは俺のいうことに従った。俺は砂場のそういう姿を見るのは初めてだった。こいつは女のことになると素直になるな。と思って愉快だった。

俺の馴染みの店に向かった。23から32くらいの女が集まってる。

「いらっしゃいどうぞ」ボーイがお茶を出す。
「一服どうだい」俺は砂場に煙草を差し出す。
「ああ」砂場はすぐ応じる。
スッー
2人の息が待合室に響く。
向いには、白髭を生やしたオヤジがいる。砂場はオヤジをちらちら見遣る。
「今日はこんな感じです」売女どもの写真を見せられる。
「こいつは初めてなんだ」俺は砂場を指差してボーイに笑いかける。「よくしてやってよ」
「左様でございますか!ではこのDちゃんなんてどうです。サービスよし、おっぱいよし、見た目も悪くはありません。ただ‥」
「ただ、なんだい?」俺とボーイが話してる間、砂場は俯いて煙草をふかしていた。
「ただ、胸も出てるんですが、腹もでてます」
「そりゃいけない」
「いや」砂場が声を上げた。少し上擦っていた。
「その子でいい」砂場はボーイでなく俺を見ながら言った。
「けど、君、腹も出てるって」
「いいんだ、それで」
「初めては大事だぜ?一生の記憶だ」
「いいんだって、その子で頼む」砂場の目は燃えていた。
「そうかい、じゃDちゃんで。俺はそうだな、Mちゃんいるかい?」
「今日欠勤なんですよお、いつもありがとうございます。」
「そうかい、じゃあどの子がいいかな」
「Wちゃんなんか、新人で結構人気ですよ。若くて元気な子です」
「じゃあその子で」

待合室でしばらく待つ。さっきの白髭のオヤジが呼ばれる。店の奥に消えていくオヤジを砂場は目で追っていた。

さて、俺とWちゃんとの内容は、さして重要じゃないからここでは省く。一言いうならMちゃんの方がやっぱりいいなってことだけだ。

砂場はなかなか出てこなかった。延長かましたらしい。初めてのクセにやりやがる。

砂場が出てくる。息を弾ませて、顔を紅潮させて、砂場が出てくる。

「D子!」砂場が叫ぶ。
「なんだ一体」
「D子!現世のアフロディーテよ!」
「アフロ‥なんだいそりゃ」
「女神だよ、美の女神だ」
「よほど気に入ったらしいな」
「気に入った?バカをいうな。気に入ったなんて汚い言葉を使うな。俺は彼女を手に入れるぞ。なんとしてでもだ」
「バカなことをいうな」
「バカなこととはなんだ!」

やれやれ砂場は面白いやつなのに、女は人を駄目にするのかね‥



俺は相田に赤線行こうと誘われた時、やっと言ってくれたと思った。

ドキドキしたのはもちろんのことだ。駅で待ち合わせていても、相田は遅れてきやがった。人の初めてをなんだと思ってるんだ。15分!15分も悶々とさせやがって。もしかして相田は来ないんじゃないか。俺を冷やかしたな。なんて思った。そしたら15分後、あいつは来た。悪びれもせずに。

酷い奴がいたもんだ。俺は今夜が初めてなんだぞ。
赤線はこの世とは思えなかった。精液の匂いと煙草の匂いで俺はトランス状態になった。見まい見まいとしても道に立ち並ぶ遊郭の中の妖艶な魔女たちに、心奪われずにはいられなかった。


「ババアと若いのどっちがいい」と相田は言った。ふざけるなと言いたかった。同い年か、年下かしかないだろう。俺がそういうと奴は
「ババアにしとけ、初めてっては男慣れしたババアがいいんだよ」と言った。
俺はもう相田を殴りつけそうだった。けど、奴の方がこうしたことに慣れている。そういうもんかもしれない。俺はよくわからんのだ。若いのがいいのは、くだらない童貞の独りよがりなのかもしれない。俺は仕方なく了承した。

店に入ると、ボーイがバカでかい声で喋りかけてきた。もちろん俺ではなく、相田にだ。相田は冗談を言ったり、ボーイの肩を叩いたりして、流石に手慣れた様子だった。

待合室に通された。目の前には白髭のオヤジがいた。ん?こいつどこかで見たことがある、白髭じゃなかった。誰だろう。あ!高校の先公じゃねえか。数学の滝沢だ。こいつこんなとこで何してやがる。滝沢は俺をチラッと見て、何事もないかのようにスポーツ紙に目を戻した。なんで滝沢がいやがる。俺のことに気づいただろうか?もしかしたら、こういうところでは、挨拶とかするのはマナー違反なのかもしれない。

相田から煙草をもらう。俺は落ち着きたかった。これからくるのはどんな子だろう。俺は実を言うと、自分に自信がない。童貞だってことは相田以外にバレてないが、クラスの女子たちとは目も合わせられない。もし、クラスのマドンナのA子ちゃんみたいな子が来たら、どうしよう。俺は多分、インポテンツになっちまうだろうな。最悪の経験だ。それだけはいけない。どうしたらいい。

なにやら相田とボーイが話し込んでる。目の前に女の写真が並べられる。グラビア写真みたいに、胸をはだけてポーズをとってる。これを見ただけで、俺のナニはいきりたった。胸、胸、胸!女の胸だ。俺は今からこれを揉むのだ。
「Dちゃん」という単語が聞こえる。どれだ。どの子だ。
Dちゃんは胸が大きく、太っていた。ああ、このくらいがいい。A子ちゃんみたいな子が来たら、俺は絶対インポテンツになる。この子だ。この子がいい。
「Dちゃんはよせ」と相田が言う。こいつ。いつも俺と考えることの反対を行きやがって。ここだけは譲れんぞ。俺は今夜を最高の経験にしたいのだ。
俺は自分を貫き通した。相田は皮肉っぽい笑みを浮かべた。
ボーイが出て行った。

待合室でしばらくして、白髭の滝沢がボーイに呼ばれた。あいつは妻子持ちだったはずだ。こんなところに女を買いにくるなんて、最低な野郎だ。俺は滝沢を睨みつけた。けど、滝沢は俺のことなんて意に介さず、店の奥に消えて行った。

またしばらくして、番号が呼ばれた。「いけよ」と相田は言った。俺の番だった。
「頑張れよ、そして楽しめ」と相田は笑った。その笑顔だけ、気に入った。

店の奥に行くと、D子が!胸をはだけた下着をつけて俺を待っていた。もう俺は、もう、一目惚れした。俺は太ってる女が好きだったのか。A子のことなんて忘れた。D子!ああD子!D子はふかふかしていて、笑うとエクボができて、優しくて、柔らかくて、暖かかった。声はまさしく女神だった!音楽のように喋る女だった。俺はもう決めた。彼女と結婚する。母親をひもじくして、大学を辞めることになっても、D子と結婚する。街で後ろ指をさされて、のたれ死んででも、D子を手に入れる。俺はそのために死んでもいい。D子を手に入れるために!

店を出ると、相田が先に待っていた。

「お楽しみだったようだね」相田は皮肉っぽく言った。
「D子はなかなかいい女だった」と俺が言うと相田が
「バカなことをいうな」と叫んだ。俺は何が起きたのか分からなかった。バカなこと?そりゃ一体なんのことだ。

相田がワーワー喚くので、俺は全く困ってしまった。なんだこいつ。いきなりどうしたんだ?俺がD子と楽しんだのが、羨ましいのか。D子が欲しいんだな、こいつ。バカめ。D子は俺に惚れてんだ。仲良くなったら結婚してくれるのだ。こいつは嫉妬してやがる。フン!いくら赤線慣れしてるって言ってもだ、純愛だけは手に入らんのだよ相田くん。バカな奴。もうこいつに教わることなんてねえや。ああ、D子!次はいつ会えるか分からん!仕送りは全部君に使う。よし、さっそく母に無心の手紙を書こう。将来の嫁なんだ。母の面倒を見る人だ。よし、そうしよう。フフフ、俺は全く、幸せ者だ。

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