「生活の知恵」


「今日くらいは読んでもいいか」彼は新潮文庫のモーパッサン短編集を開いて読み出した。
二つの人生がある。本を読む人生か読まない人生か。本を読む方が豊かな人生だ。彼はそう思って生きてきた。人より本を読むこと。それだけが彼の生きる糧であった。大方の読書家と同じく彼は本を読まない人間を馬鹿にしていた。彼は勉強も恋愛もてんでダメだった。軽度のADHDであり、おっちょこちょいで、間抜けだった。彼は物の名前を知らなかった。草津温泉がどこにあるのか、スラックスとは何か。彼は生活の知恵もなかった。洗濯機に柔軟剤をどれだけ入れるのか、お湯で手を洗うとアカギレになること、ハンカチを持ち歩くこと、食費をいかに安くするか。彼は人間に対する知識がなかった。程よいおべっかの度合い、笑うタイミング、適切に自分の秘密を開示することの大切さ。そのどれも知らなかった。
そんな欠点たちも本を読むことで霧散した。少なくとも彼の中ではそうだった。大学一年生の春彼は古典を読みはじめた。そうしてこれまで以上に本を読むことによる「変な自信」が彼の中で醸成されていった。
が、現実。事実が突如として彼を襲いはじめた。24歳。この数字が彼の頭をガシッと掴み無理やりに冷たい世間へと彼の目を向けさせた。生きること、生活、仕事、独り立ち、出世、恋愛、結婚、育児、つまり人生!
彼は人生を生きていなかった。正確には本の中の世界という第二の人生ばかりを生きていた。当たり前に第一の人生を生きる力、つまり生活力が彼には足りていなかったのだ。
こうして彼は本を読むことをやめ生活を始めた。人生を生きてみた。それでもやはりこれまでの読書の蓄積がある。読書家は自分に対して悲劇のヒーローヒロインとしての自画像しか持ち合わせていない。世間では当たり前の皮肉や嫌味が彼の身には人生の一大事だった。バイト先の人から怒られる。こんなことは取るに足らないことだ。反省し同じ過ちを繰り返さず、同僚や友人に二三の愚痴を言い、350mlの缶ビールをサバ缶などの適当なつまみで流し込んで寝ればいいだけのことだ。しかし彼にはとかく生活の知恵がない。鬱々とした気分でトボトボと帰路につき、しばらく悶々としてベランダでぷかぷか煙草をふかしてああでもないこうでもないと考えていた。
しばらくして、読書の毒は徐々に彼の体から抜けていき、彼は元気になってきた。元気よく返事をすることを覚えた。酒で悩み事は一時解消できることも覚えた。友人の大切さも覚えた。週2日ジムで汗を流すと仕事をする体力と精神の安定を獲得できることを知った。それでもまだまだ遠くにある「普通の人」になるという目標には及ばないが一歩ずつ歩んでいることは確かだ。
だから彼は、久々に本を読んでみた。モーパッサン。好きだった。この作家を真似して二三小説を書いたこともあった。「宝石」を読んだ。見事だった。人生を生きる前には発見できなかった素晴らしさがあった。自分でも書けるさと思っていた過去の自分を恥じた。それからPCを開いて自分の過去の作品を眺めてみた。とても読めたものではなかった。彼は皮肉めいた微笑を浮かべ、温泉の素を入れた41度の風呂に浸かり、髪をよく乾かして寝た。
翌朝起きると、彼はモーパッサンのことなど忘れてしまっていた。

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