「女性の恐さ」


女の人というのは、男を手に入れるまではたくさんの長所を求めるくせに、一緒になった途端、欠点を血眼になって探して愛でるものだ。
同棲を始めると、だから、女性は自らの欠点を受け入れてほしいと願う。すっぴんや、いびき、だらしのなさを曝け出して、欠点を愛してくれるように望む。女性が欠点を晒したらあなたは彼女に愛されていると思って良い。
さて、欠点を晒されるのは構わないが、女たちは私の欠点を探そうとしてくる。自分しか知らない私の身体上、精神上の欠点を。できればコンプレックスを探そうとしてくる。マザコン以外ならどんなコンプレックスも愛すべきチャーミングポイントになり、それを愛せば、私は彼女らのものになると思っているのだ。
どうやらその時分付き合っていた彼女は、私の中に満足いく欠点を見出せないと見えて、なんと欠点を作り出そうとしてきた。女の末恐ろしさを私はこの時に思い知った。
美しいものを醜くして、自分だけのものにしたい。魔女的な発想が女の中にはある。そして女の人がすごいのは、こうした思考の流れを全く意識していないのだ。ここが女の最も怖いところである。無自覚なのだ。自分が何をしているのか分かっていないのだ。そして正当な権利と言うように、私に欠点を要求する。私がそれを拒否すると、烈火の如く怒って、手がつけられない。女性の無意識。これが怖い。例えば、私の母と妹の喧嘩は全く無意識に行われる。「皿洗っといたよ」と妹はいう。いつもは母が皿洗いをしているが、この時妹は機嫌が悪くて、機嫌が悪い女の人というのはきまって掃除をするものだから、キッチンを綺麗にしていた。母が仕事から帰ってくると、嫌味を言った。「キッチンが汚いのはイヤだな」と。それは多分、彼女自身嫌味だと思っていないのだろう。母はごめんと言った。そう、女性の喧嘩というのは、その場で言葉の応酬をするのではなくて、ターン制のバトルなのだ。しばらくして、母は言う。「あんたの部屋汚いわ。ホコリが舞って。ちゃんと掃除しなさいよ。漫画とか全部捨てとくからね」これは絶対に断言できるが、母は妹の部屋の汚さなどどうだっていいのだ。さっきキッチンのことで嫌味を言われたから、仕返しをしたのだ。私はそれに気がついた時、全身に悪寒が走ったものだ。こんな陰湿な仕返しを男ならしない。口論にはなるし、時に掴みかかることもあるが、喧嘩はその場限りである。男は問題をその場で処理したがる。しかし女というのは、こんな陰湿な応酬をしながら、5分後には妹は母の膝の上で頭を撫でられているのだ。女!なんて恐ろしい生き物だろう。
私の女の話は、これ以上に陰湿で無意識で効果的で、恐ろしいものなのだ。
女性は無意識的な生き物だ。彼女は私をダメ人間にしようとしてきた。私はしばらくの間、彼女の試みに気がつかなかった。例えば、彼女は私にご飯を食べさせようとする。外食して帰ってくると、すこぶる機嫌が悪い。一緒に食べたいのかなと思ったが、違うのだ。彼女は胃袋を掴みたいのだ。胃袋を支配したいのだ。彼女がいなければ、私はひもじい思いをすると、私の体に教え込みたいのだ。だから、彼女はご飯を作ると自分で言い出したくせに1、2時間もテレビを見て何もしない。私がお腹が空いたよと言ったら、しぶしぶご飯を作るのだ。私としては、ご飯を作るというから待ってるのに、彼女はわざと私を空腹にさせているのだ。私が彼女を急かすことで、彼女は私にとっていなくてはならない存在だと認識させるのだ。これを全く無意識にやる。彼女には、今私が書いているように、彼女の思考を言語化することは不可能であろう。それほどに無意識に、こんなことをやってのける。女性は恐ろしい。
性行為もそうだ。彼女は決して、私を満足させようとしない。分かっているのだ。満足させたら、嫌でも他の女に目が行くことを、私を常に欲求不満にして、彼女のきまぐれでしかその欲望を解消させられないという状況を見事に作り上げる。天才だ。女性はみんな天才なのだ。
私は少し頭がよかったのでこのことに気が付けた。もし気づけなかったら、私は今頃彼女の奴隷になっていたことだろう。私は誰の奴隷にもなりたくないし、誰も奴隷にしたくない。もしかしたら彼女は奴隷になりたかったのかもしれない。しかし私はそれを拒否した。全く独立した2つの人格を、融合させまいとした。依存させまいとした。
私は、不謹慎な話だが、彼女に死んでほしいと思った。愛しているが、死んでほしい。こんな倒錯した文学的な心情に自分がなるとは思わなかった。しかし私は実際に、彼女の帰りが遅い時、交通事故で死んでくれたらいいのにと思っていた。とはいえ、殺すほど愛してはいない。どこかで、不慮の事故で、死んでほしい。そのために神にだって祈ってやる。私は天気がいい時は、太陽に向かって彼女を殺してくれるよう頼み、雨に月に風に、彼女の死を願った。もちろん、こんな呪術的な試みは達成されるはずもなかった。だから私は徹底的に彼女を拒絶した。彼女の飯を食わなかった。性行為も我慢した。アイロンがけも、外れたボタンを直すのも、洗濯も掃除も、全部私がやった。徐々に彼女の愛が冷めていくのを感じた。

彼女はもう、他の奴隷候補を見つけたようだ。私は彼女と別れ、1人になった。寂しさはあまり感じなかった。むしろ晴れ晴れしていた。ようやく自由になれたんだ。
世の男性が、結婚は人生の墓場と言う理由がわかる気がする。人生とは、自由のことである。結婚は自ら進んで奴隷になることに他ならない。
しかし、私はそう嘆く友人たちを少しだけ羨ましくも思う。奴隷の快楽は、私の想像も及ばぬ深いものがあると思う。奴隷になるか、自由に生きるか、私にはどちらがいいか結論を出せない。あなた方はどちらを選ぶ?

プチ文学賞に使わせたいただきます。ご賛同ありがとうございます! 一緒に文学界を盛り上げましょう!