「労働日記」



おかま茶髪外人に「私の言ってることわかりますよね?」と聞かれた「何回も言わせないでください」とも言われた。このとき私はああ、こんなセリフはネットで見たことがあるが本当にいう人がいるとはと思った。無論ハラワタは煮え繰り返ったし、ウザい理不尽だと言うことも思う。怒鳴り散らしてやろうかとも思ったが、元来私は気が小さいので(僕の友人のKならすぐさま彼特有の皮肉めいた笑みで持って見事に仕返しをしただろう)波風立てずという日本人らしい標語を思い出して目をギンギンに開いて相手を見るくらいしかできなかった。
私をフォローしてくれる人もいた。25歳で2人の娘がいての佐川急便で働いている先輩が間接的に助け舟を出してくれて私の中の黒いモヤは霧散しつつあった。あとは家に帰ってこのことを小説にするだけでよかった。
さらに嬉しい発見があった。私はこの派遣の現場で嫌なことがあればあるほど公務員になりたいという決意を更新するのだ。私はもっと嫌なことが起こってほしいと願う気持ちすらあるかもしれない。「なるほどこれがパワハラというものなのか」「この人はなんでこんなに怒っているのだろう」「自分は能力があると思っていたが並以下のようだ」などなど小説を書くにあたって必要な人生経験をしている。この考えが私を支えていた。人生が苦しいとき、実家の六畳間の自室で経験できなかった「人生」を生きているという実感がある。確かにこれは長続きする観念ではないが、差し当たりこの思考をよりどころに様々なことを経験したいと思っている。なにより働いている、稼いでいることの自己充実感や自尊心は、自室に篭りこそこそ小説を書いて世間をバカにした虚栄心よりも確かなものだと思う。この生活がいつまで続くかは分からないが、やるだけやってみるだけのことである。世間からすれば屁みたいな経験も私にとっては驚異である。生きている。この感覚がこの3年間欠けていた。良くも悪くも生きている人たちに対する私の尊敬の念は本物だ。週5日働いているだけで彼彼女は私より数百倍えらい。いくら本を読んでも、いくら小説を書いても、いくらいいねを稼いでも、この点だけは忘れてはいけない。私はそう自分に言い聞かせて、今夜も労働の心地よい疲れを抱いてベッドに入る。

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