「狂信と中庸の間で」
第二次世界大戦は、疑う余地なく、ドイツ国民や日本国民の狂信によって引き起こされた。「ユダヤ人を絶滅させよ」「満州は日本の生命線」など。
それだけでなく、連合国側にも狂信があった。「ドイツのやつらを叩きのめせ」「憎きジャップを殺せ」などである。
ある特定の主義主張を盲目的に信じ、反対意見を黙殺するのは、狂信である。
狂信はあらゆる害悪を引き起こし、最悪の場合、殺人や憎悪をもたらす。
宗教テロ、世界大戦、リンチ、誹謗中傷、ヘイトなどである。
戦後、世界は常に、狂信と戦ってきた。
狂信は偏狭とも言い換えられる。日本国憲法にはこうある。
「我らは、平和を維持し、専制と隷従と圧迫と偏狭を地上から永遠に払拭しようと努めてゐる国際社会に伍して、名誉ある地位を占めたいものと思ふ」
狂信とは、多様性の敵である。
21世紀ほど多様性が叫ばれた時代はないだろう。戦後人々が狂信のもたらす害悪と戦ってきた証が「多様性」という言葉である。
ところで、狂信には利益がある。ともいえる。
狂信の特徴は、なんといっても行動をもたらすということだ。世界を変革しようと努めるのも狂信者の特徴である。
ホリエモンこと堀江貴文氏は、狂信者であると言えよう。彼の宗教には多くの信者がいる。その教義は、「行動することがすべて」というものだ。
堀江貴文氏の実績は、やはりある程度は評価されなくてはならない。日本の起業家精神を養い、民間ロケットの打ち上げに成功している事実は、狂信のメリットであるといえる。
彼がもし、多様性や中庸という語を知っていたら、彼はここまでのことを成すことができなかっただろう。
歴史上のあらゆる人物は、極端な人物である。彼らの辞書には中庸という語はないだろう。だからこそ、偉人たちはあらゆる価値を世界に提供でき、天才と呼ばれるのだ。
さて、ここで問題が出てくる。すなわち
「我々は狂信と中庸どちらを選ぶべきか」ということである。
狂信者になれば、様々なことを成すことが出来る代わりに、様々な害悪をもたらす可能性もある。
中庸を目指せば、害悪をもたらさない代わりに、何も成すことができない。
このジレンマに私は一つの答えを見つけた。それは哲人皇帝マルクスアウレリウスの著書「自省録」の中にある。
「継母と実母の間を往復するように、宮廷生活と哲学を往復せよ」と言うものだ。
宮廷生活とは、実生活、つまり狂信の分野であり、哲学とは瞑想的な私生活、つまり中庸の分野である。
狂信と中庸を往復せよ、ということだ。
ハンナアーレントはちくま学芸文庫「責任と判断」の中でこう言っている。
「思考は危険な代物である。それをすると、人と同じことが出来なくなる」
中庸は明らかに、行動を抑制する代物である。現代においても「他人がすることをしないと批判される」のである。
しかしながらアーレントはこうも述べる。
「思考する人間は、立ち止まってしまう。しかしそのことで、人とは違う道を歩んでいるように見える。思考する人間は立ち止まっているだけなのに、行動するように周りから見えるのだ」
彼女はソクラテスを例に挙げる。思考する人間の代表例がソクラテスだからだ。
「彼は周りからシビレエイと呼ばれていた、彼と交渉すると、シビレて動けなくなるのだ」
シビレる。とは思考すること、つまり立ち止まることだ。
ソクラテスの業績は周知のとおりである。無意味な議論で大衆を欺瞞するソフィストたちの面の皮を剥ぎ、そのことによって、死刑にされてしまった。
思考は、危険である。
アーレントがそういうのは、思考すること、立ち止まることは、社会に対して反旗を翻すことだからだ。
ソクラテスは後世の我々に対して、何の害悪ももたらさず、むしろ多大な利益を提供してくれている。そしてソクラテスは思考する中庸的な人間でありながら、凄まじい行動をした。
ここに狂信と中庸のジレンマを解決する方法がある。
つまり、思考することだ。
思考すると、行動できなくなる。周りに流されて、遠くに行くことが出来ない。自分の足で踏ん張って、世間の荒波から独立しなければならない。
しかし
そうすることで、逆に、一番行動する人間になれるのだ。立ち止まることが、すなわち行動になるのだ。
これが「真の行動」である。立ち止まることこそが行動なのだ。
だから、私が皆さんに言えるのは
思考せよ!
ということなのだ。
思考するのは簡単だ。何もしなければいい。
部屋の中で、椅子に座って、2時間待ってみるといい。
あなたが今やっている行動をやめてみるといい。
そうすると、「真の行動」が見えてくる。
それは狂信者たちがいくらやっても掴み得ない、唯一価値のある行動だ。
彼らがたくさんの行動で害悪を垂れ流す反面、あなたは行動しないことでたくさんの利益をもたらすだろう。
真に価値がある行動、それは何もしないところから生まれる。
むやみやたらに行動するのをやめて、2時間。考えて見てほしい。
「今やっていることは、本当にオレがやりたいことなのか」
「これをすることで、世間に害悪を流しはしないか」
と。
そうしてくだらない行動がそぎ落とされた先に、「真の行動」がある。
それはもしかしたら、失敗に終わるかもしれない。
しかし、失敗したとしても、あなたの行動は人類を一歩よりよい社会の実現に近づけるのだ。
天才たちから成る人類を進歩させた偉大な軍勢の一員になれるのだ。
立ち止まることこそ、「真の行動」をもたらす。
そのためには思考するしかない。
ぜひ、本を読む手をやめて思考してみてほしい。
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