「ジョギングの効果」


村上春樹を嫌うのは簡単だ。安易だ。凡庸だ。私は別にハルキストでも、村上主義者でもないが、この作家は好きではない即ち嫌いであるという即物的な計算方式が成り立ち易い作家だ。10人いたら5人に好かれもう半分に嫌われるのが本物だというが、私は新たな11人目を気取ってみよう。私は彼の小説の読みやすさ、仮想敵の作り方のうまさ、難解さの入れ込み具合をあっぱれだと思う。好きでも嫌いでもないのに気になってしまう。そういう作家はすごいと思う。
さて、この小説はあんまり村上春樹とは関係がない。関係があるのは、私は彼のエッセイを読んで、ジョギングを始めて見たことだ、作家にジョギング なんて害にしかならないと思っていた。江戸川乱歩は言った。「貝殻の病が重ければ重いほど、その生み出す真珠は貴いのだという、あの古いたとえを私は今も信じている。」精神的病がなければ良い作品はかけやしない。そんなふうに思っていた。が、始めて見て、なるほど最近小説を書く元気がなかったのに、新たな物語に着手することができた。なんだかんだ、売れている人のことの言うことは試して見るものである。
ほんの短い距離しか走らなくても、精神体力面における効果は目を見張るようで、目はいつもより輝きを増し、笑みが増え、足取りが軽くなる。声もいつもより大きくなっているようだ。だから気分良く母から頼まれたクリーニングを取ってきたり、図書館に行ったり、給与の受け取りに行った。その帰りのことである。
日はすっかり落ちて、街は前屈みになってクリスマスを待ちわびている。綺麗なイルミネーションは画になるな。イヤホンからはおしゃれで都会的な音楽が流れている。すると横からにゅっと黒い影が覗いた。なんだと思うと影が話し出す。「すみませーん」女だった。黒髪のロング、背は155cmくらい、顔は可愛い。いかにもイケてる女だ。私が目を丸くしていると女は「ありがとうございます」と言った。こちらが相手を見たことに感謝の意を表したのだ。明らかに怪しい。イヤホンを外さず苦笑いをしている私に構わず女はまくしたてた。「新入社員を募集してまして‥」それ以後の言葉は私の無関心と耳から流れる音楽がかき消した。「あのちょっとだけ‥」と言ったところで、私はあることを試したくなった。ここで少し私の回想に付き合ってもらいたい。
私は中学時代、魅力的な親友がいた。彼はとても頭が良く、センスが良かった。背はスラリと高く、痩せ型、目は切れ長で、鼻はすっと伸びている。唇は細い。こんな男だった。魅力的というよりも悪魔的と言った方が良いかもしれない。後から考えれば彼はサイコパスだったのだろう。およそ人の心を持っているとは思えない、良心がないのである。例えば彼には盗み癖がある。銭湯に行けば備え付けの化粧水を盗む。理由は「いい匂いだったから」。私が彼と一緒に行くバンドのライブのチケットを取る際に、彼は必ず自分の名前を印字するように言った。私が申込者の名前でしかできないと言うと、どうしてもだと言う。私は仕方なく嘘の申請をした。ライブは無事に行けたが、後から彼に聞くと「チケットに自分の名前があったほうがよかったから」だという。私はそんなことのために平気に嘘をつく彼に心酔していた。彼に憧れていた。高校の途中から彼は勉強を初めて、全く勉強しない私とは距離を置くようになった。私が彼の元に行くと、しっしっと手を払うのだ。極め付けは彼は早稲田大学に入り、私は地元のFランク大学に入ったことにある。この事実が、大学生活4年間の中で、ぬくぬくと彼に対する嫉妬と憧れの気持ちを大きくし根付かせていった。
そして場面は私が詐欺師の女から話しかけられたシーンに戻る。私はとっさに彼が私にやった手を払う動作をした。女は絶句し、足早に去る私に置いていかれた。その瞬間、私はしまったと思った。ひどいことをしてしまった。彼女も仕方なくあんな行為をしているのに。私はなんてことをしてしまったんだ。自分がやられて傷ついたことを、弱い立場の女性にしてしまった。
すまないことをした。と私は思う。そろそろ彼から卒業せねばならないと思う。晩秋の夕暮れのことであった。

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