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『マッチ売りの少女』・アンデルセン作 (新訳2020年10月)

『マッチ売りの少女』・アンデルセン作

 寒さが身に染みる大晦日の晩、辺りは薄暗くなり雪が降っていた。冷たい闇が降りた夜道を、貧しい少女は帽子もかぶらずに裸足で歩いていた。家を出るときにはもちろんスリッパを履いていたのだけれど、それが何の役に立ったか! ママが履いていたスリッパだったから少女には大きすぎた。道を渡っているときに、二台の馬車がものすごい勢いでやって来たのに慌てた少女は、スリッパを無くしてしまったのだった。一個のスリッパはどこにいったのか見つからず、もう片方は男の子に、「僕に子供が生まれたらベビーベッドにでも使わせてもらうよ」と持っていかれた。

 赤紫に霜焼けした小さな足で少女は街を歩きながら、古びたエプロンにマッチの束を抱えて売り歩いた。まだ誰もマッチを買ってくれていない。そればかりか、一円さえも恵んでもらっていなかった。寒さに震えながらお腹をすかせた少女はみすぼらしく見えた。
 ああ、なんてかわいそうな子!
 肩にふんわりと垂れたブロンドの巻き髪に落ちる雪は美しく見えた。だけどそんなことを考える余裕は、少女にはなかった。窓からこぼれる明かりと美味しそうなローストグースの香りに夜道は満たされていた。そうだ今夜は大晦日なんだわ、と少女は思った。

 通りから陰になった家の隅に少女は縮こまって座った。胸の下に足を抱えて座っていたけれど、寒さは増すばかりだった。一本のマッチ棒も売れていないし、一円すらも恵んでもらっていないから、お家には帰れない。パパに叩かれるのは目に見えていた。お家に帰ったところで寒さに変わりはなかった。屋根を載せただけの家は、壁に大きな穴が空いているので、藁や雑巾で取り繕っていてもつねに風が吹き込んだ。少女の小さな手は寒さにかじかんでいた。
 ああ、一本のマッチを壁にこすりつけて手を温めたら少女は救われるのに!
 少女はマッチ棒を束から取り出した。ぽっ、と火がついてパチパチと燃えはじめた! 手を添えるとキャンドルの灯のように暖かい光だった。ほっとした。少女は大きな暖炉ストーブの前に座って、輝く真鍮の取っ手や煙突を眺めている感じがした。眩しく燃える灯は暖かかった。少女は足を伸ばして温めようとした。
 あれ、どうしちゃったの!
 マッチの火が消えたとき、暖炉も一緒に消えてしまった。少女はマッチ棒の燃えかすを手にして座っていた。

 新しいマッチをこすると眩しく燃え上がった。明かりが落ちたところの壁は、紗のように透き通って見え、少女は家の中を覗くことができた。
 真っ白に輝く布で覆われたテーブルの上には、絢爛なポーセリンの食器が並べられ、プルーンと林檎を詰めて焼いたローストグースからは美味しそうな湯気が立ち上がっていた。さらに素晴らしいことに、食器から飛び降りたローストグースは、フォークとナイフを背に抱えて、よちよち歩きで少女のところまでやって来た! だけどマッチの火が消えたとき、少女の前にあったのは冷たくて重い壁だけだった。

 またマッチをこすると、少女はきらびやかなクリスマスツリーの下に座っていた。先日のクリスマスに、窓から眺めたお金持ち商人の家に飾られていた物よりも大きく、華やかな飾りに覆われていた。緑色の枝には何千本ものキャンドルの灯が輝き、おしゃれなショーウィンドウで見かけるようなカラフルなポスターが少女を見下ろしていた。少女は両手を宙に伸ばした。だけど、マッチは消えてしまった。クリスマス・キャンドルの千の輝きは、空へと高く昇って光る星となった。その一つが、空に炎の線を描きながら落ちていった。

「誰かが亡くなるんだわ!」と少女は言った。
 いまはもう他界しているけれど、誰よりも一番優しくしてくれたおばあさんがこう言っていた。
「流れ星が落ちるとき、神様の元に魂が上がっていくんだよ」

 少女はまたマッチを壁にこすりつけた。辺りが明るくなる。その明かりの中には、穏やかで優しい顔のおばあさんが、輝かしくはっきりとした姿で立っていた。
「おばあちゃん!」と少女は叫んだ。「お願いだから、わたしも一緒に連れていって。マッチが消えるとおばあちゃんも一緒に消えてしまうでしょ。暖かい暖炉や、ローストグースや、華やかなクリスマスツリーみたいにおばあちゃんも消えちゃうでしょ!」
 おばあさんを手放したくなかった少女は、手にしていたすべてのマッチを慌てて壁にこすりつけた。マッチの束は、陽の光に負けないくらいに輝かしく燃え上がった。明かりの中のおばあさんは、大きく美しく見えた。おばあさんは少女を抱き上げると、深い喜びの中へと飛び上がり、空高く昇っていった。寒さも、空腹も、恐怖も何も感じない神様の元へ!

 寒さが身に染みる朝、住宅の隅に座ったまま少女は、霜焼けした頬に笑みを浮かべて死んでいた。大晦日の晩に少女は寒さで凍え死んだのだった。マッチの燃えかすを手にして座る少女の体に新年の朝日が降り注いでいる。
「体を温めようとしたんだな」とある男が言った。
 だけど新年を迎えた明け方に、少女が見た美しい物や、おばあさんと一緒に出掛けていった輝かしいところを知る者は誰もいなかった。

おわり

翻訳者・原田周作


毎日の空いている時間を見つけてコツコツと翻訳しています♪これからもデンマーク文学を日本に広めるために頑張ります〜。