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【自己紹介#3】職歴の話

おはこんばんにちは『でんこう』です!
前回は好きなものや趣味のことについて書いたので
今回は今までどんな仕事をしてきたのか
自分で一度振り返ってみる意味でもまとめていきます。

【高校時代】

 初のアルバイトは、3年生の11月頃から始めたロッテリアです。
 部活も完全に引退し、受験も終わっていて暇になったので始めました。
 入った時の店長は超優しかったのですが、すぐに店長が変わり
 その方はすぐ嫌味を言ってくる人だったので3ヶ月ほどでやめました。

 2つ目のアルバイトは、少し高級志向の回転寿司屋です。
 ロッテリアをもうやめよーと思っていた時、友達の紹介で入りました。
 寿司屋になることが小さい頃の夢だったので
 それが叶えられたような気持ちになりました。
 ここでは年上のヤンキーが数人いたのですが超良い人たちで
 主につまみ食いのノウハウを丁寧に教えてもらいました!
 平日の夕方からのシフトだとそこそこお腹がいっぱいになれましたw

【大学時代】

 3つ目にオープンスタッフでスポーツ用品店のアルバイトを始めました。
 半年ほど寿司屋と掛け持ちをして、最終的に大学卒業までやりました。
 ここでのアルバイトは一言でいうと最高でした!
 とにかくスタッフ全員仲良く、可愛い子も多く、居心地が良すぎました。
 休みの日には、BBQ、キャンプ、スノーボードをしに行ったり
 泊りで富士急やディズニーにも行ったり、遊びまくってました。
 用品も社割で買うことができたので、大学生を最大限満喫してましたね。
 一夜限りのそういうのもありました、、特に主婦さんと仲良しで(省略)
 また、ここで大好きな子ができて、虜になっちゃいましたw
 人生で初めての大恋愛になり、恋の力の凄さを実感しましたね。
 詳しくはまだ別で書こうと思います。

 業務でいうと、ランニング、サッカー、テニス、野球、バスケなどの
 スポーツ用品全般のエリアを担当していました。
 野球をやっていたので、スパイクやグローブの加工/修理をやったり
 テニスやバドミントンのガット張りも担当したりしました。
 また、結構メーカーの勉強会や新商品の販売イベントみたいなものに
 アルバイトも参加しても良い会社だったので積極的に参加しました。
 これが結構良くて、知識や新商品を触れることができるのもそうだが
 担当者と仲良くなり、商品をもらえたりしたのがかなりメリットでした。

 4つ目は、大学3年の時から始めた大学近くの居酒屋です。
 ゼミが3年生からで、そこで仲良くなった友達と一緒に
 同じゼミの先輩の紹介で始めました。
 その友達は大学近くに住んでいたので
 夜中までバイトし、その後よく朝まで飲み明かしてましたw
 その後、一緒に授業をサボるという、大学生らしいですね。
 ほぼ半同棲状態でした。
 
 また、ゼミが始まったと同時に教授のお手伝いもしてました。
 調査の準備やデータ入力だったり、学校外へ同行したり
 教授って何かと資料いっぱい持っていかないといけないらしく
 荷物持ちとして重宝してましたw 報酬もよかったです!

 ある程度の期間続いたアルバイトはこんな感じですが
 他にもイベントスタッフ、メイドカフェの厨房
 知り合いのカフェのヘルプ、苺のビニールハウスの手伝いなどを
 スポットでやってました。
 とにかく、常に何かしら掛け持ちしていましたね、、!
 学費以外の費用は全部自分で払うというのを決めていたというのも
 ありましたが、体力がある若いからできたと今になって実感しますね。
 ブランドには興味なかったですが
 呑みはもちろん、遊びに行ったり、バイク買ったり
 消費していくスピードも速かった気がしますw

【社会人時代(アルバイト編)】

せっかく大学を卒業したのなら、普通に就職するのはもったいない
自分のやりたいことを極めたい、という思いがあったので
まともに就活せず、貴重な新卒カードを捨てて、上京しました。
とは言え、生活するにはお金が必要なのでアルバイトをしました。
せっかく田舎から都会に出てきたので
ビジネス街の大きいビルのおしゃれなオフィスで可愛いOLがいる
ところで働きたいと、漠然と思いました!

そこで見つけたのが英語二文字で表せる某大手企業のカスタマーサポート
チャットでのお客様対応を担当しました。
世間を賑わす某社長だったのでオフィスはいくらお金がかかっているか、、
と思うほどアーティスティックで社風もかなりラフでいい人ばかりでした。
ただ、サービス自体を使ったことがなくルールが全く覚えられなかったので
同期がお客様対応デビューしているなか、精神と時の部屋のごとく
ロープレをひたすらやっていました。ここはかなり苦労しました、、
バリキャリの女上司に厳しくも優しく教えられ
関西弁コテコテの女上司に尻を叩かれ、なんとかなりました!
そこからは覚醒して、ピアノを奏でるかの如く速いタイピングで
あらゆるお客様を対応し、満足度・対応数ともにトップに君臨しました。

ここまでやれたのは社員さんが丁寧にサポートしてくれたこともあったが
同期が年齢が近く、仲が良かったことが大きいかもしれません。
チャットなので業務中はおしゃべりしながらできるし
業務後は飲み会に行くことはもちろん
ゲーセンやカラオケ、カフェでゲームやディズニーなど行ったり
その中で恋愛もあったりで
仕事というよりは学校に行く感覚に近かったです。
第二の青春を味わえましたw

楽しかったものの仕事面では、ここまでくると仕事というよりも
ゲームをやる感覚に近くて
どんどん現れる敵(お客様)を体力ゲージ(満足度)が5個ある中で
高スコアでクリアしていくみたいなアクションゲームでした。
それもそろそろ飽きたなーと思ったので
2年ほどやって電話・メール対応の部隊に異動しました。

チャットをやっていたのでメール対応はスピード感がなくて
結構ストレスでした。早く終わらせたいのに返信全然ないみたいな、、
なので、電話対応のほうが楽で面白かったです。
カスタマーサポートの電話対応と聞くと「クレーム」があって
精神的に病む、といったネガティブなイメージが強いですが
ここではお客様の民度が良く、ほとんど良い人ばかりでした。
もちろんクレーマーと言われる人の対応も経験しました。
ただ、暴言やクレームは基本的には聞いていれば済むので全然良くて
追い立てるようにわざと超早口で喋る人の方が嫌でした。
こういう人は実際に用事があってちゃんと対応を進めないといけないのに
確認事項や質問に全然答えてくれないのが超ストレスになりました、、、
あとは「私のことはお母さんと呼びなさい」と
毎日自分指名で電話してくるメンヘラがいたのでちょっと病みそうでした。

そんなこんなあり研修期間の4か月を終えようとしていたときに
カスタマーサポート内のデータ分析部隊の応募があったので異動しました。

【社会人時代(社員編)

高校では商業高校だったのでエクセルに強く
大学では心理学科たったのでデータ分析に強かったので
社員登用を前提でアルバイトとしてデータ分析部隊へ異動しました。
仕事内容としては、カスタマーサポート内のあらゆる数値の管理
VOC分析、SNSの監視など、運用側の部隊になりました。

ここでは社会人としての基礎を叩き込まれ、論理的思考を染み込ませ
正しい日本語とは、コミュニケーションとは何かを常に考えさせられ
違う会社にきたと思うくらい、より会社感が強く
以前の学校のような雰囲気とは真逆でした。
上司(管理職)がとにかくくせ者で会話するのに相当苦労しました、、
社会学者的というか哲学者的というか
しっかり見ればその人の言っていることは正しいですが
社会人として未熟な自分では何を言っているのかさっぱりでした。
もう何が分からないのかすら分からないレベルです。
また、文面だと口調も硬いので、別に怒られているわけではないのに
会話するのが怖かったですw
それで辞める人もいるくらいで
当時は上司を変わることを願ったりしたこともありました。ただ、実力は相当なもので仕事はめちゃめちゃできて
「あの人に言えば解決してくれる」レベルで上層部からの信頼も厚いです。
そんな人とやり取りしていたので社会人としてのレベルは相当上がったので
今では逃げずに頑張ってきてよかったと同時に超感謝もしてます。

1年ほど経過し、ちょうどコロナが流行り始めた頃に
社員登用に合格して社員として働き始めました。
一応、職業でいうと「データアナリスト」になると思います。
社員になってからは、主にVOC分析、SNSの監視を担当
色々な仕事を任せてもらうようになりました。
また、仕事のより本質的な部分まで足を踏み入れていったので
毎日、終業まで息つく暇もなく、頭がパンクするほど大変でした。
特に会社柄、たびたび突拍子もないことが起こり
その度にSNSは炎上してないか問い合わせはどうなってるのか
などを即座にまとめて上層部に報告しなければいけないので
ものすごくプレッシャーでした。
社長、取締役、他グループ会社のお偉いさんが見るものだったので
スピード、正確性、簡潔さを高水準で求められました。
時代の移り変わりのスピードが速い現代では
「データの鮮度」がいかに大事かを叩き込まれましたねw
そして、正しい文章かつ、粒度で報告することの難しさを
痛感し、超えて血肉になりました。
その時によく「具体と抽象」という本を読まされました。

そんな状況が2年ほど経ってから
部署編成により部署はそのままでしたが仕事内容や上司が変わり
カスタマーサポート内の数値管理やシフト作成、採用計画を担当しました。
以前のような忙しさはなく、わりと自分のペースで進めることができ
より数値、エクセルと向き合うことが多くなりました。
BIツール、SQLやVBAを駆使して
今までになかった数値(指針)を算出し
いつでも見られるようにビジュアル化、仕組化するなど
エンジニアに近い感じだったと思います。
また、Pythonで問い合わせ予測のモデルを作成し、採用計画を立てたり
何百人いるオペレーターの毎月のシフトを作成したり
「未来」のことを考える時間が増えました。
今までは「過去→現状」をずっと見ていたので

別の脳みそを使っているようで、それはそれで大変でした。
シフト作成に関しては、パズルゲームみたいで
自分の得意分野かつ楽しかったです。
お客様対応部門からこういう風に作ってくれとオーダーがきて
それを元に何百人いるオペレーターを対象に出勤日を埋めていくゲームで
そこには色々な条件があって、かなり複雑に絡み合ってる感じです。

・必要な人数は変動する
・配置しないといけない役割が複数ある上に、できる人が限られている
・各オペレーターの休み希望は絶対
・このグループは必ず全員出勤必須な日がある(これが複数)
・遅番の次の日に早番はNG
・出勤→休み→出勤→休みの配置はNG など

上記の他にも労働時間などの細かいルールも加わってきます。
一応、自動作成ツールである程度作成しますが
厳密にはできないので、ほぼ手作業になってしまいます。
そういうこともあり、時間がかかってしまうのが問題になってましたが
自分が作成してからは、1/3の時間かつ高クオリティになりました。
ただすぐに飽きてしまいました、、、w

という感じでずっとカスタマーサポート部門にいました。
それ以外には、時々社内全体に募集される
新企画のコンペ、イベント運営などに参加したり
別部署に期間限定でデータ分析の人として参加したりもしました。

【まとめ】

こうやって振り返ってみると
運よく人に恵まれ、長く続けられてきたなと思いましたw
基本飽き性なので色々なものに手を出すし
最初から「ここで長く働こう」と思ったことはありませんでした。
もしかすると、今の時代はそっちの方が珍しいのかな。

また、もっと欲を言えば
芸人が下積み時代にやっていた特殊なアルバイト、として紹介できるような
都会ならではのアルバイトも経験してみたかったですw
あと、副業も確立したかったです、、、

現在は、仕事を辞め、海外で働くために準備しています。
一応、転職活動をしていくつか内定をいただけたので
日本での就職は、ある程度余裕でできることを認識できました。
※年齢によって難易度が変わりますが、
なので、次は日本以外で働くことができるのか挑戦していこうと思います。

乞うご期待?
進展あればまた書いていきます!



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