#11, 息子の10歳の誕生日と私の抗癌剤治療開始
始めてのEC療法は副作用が強く出ると聞いていた。点滴を無事に終えた私は、少し身体がダルいなぁくらいで、これならいけるかもと思って喜んでいた。
ところが副作用は突然やってきた。
病院から帰宅後疲れて少し眠ってしまっていた私は、夕方主人の帰宅の音で目が醒めた。なんだかムカムカする、トイレに行ってみよう、と立ち上がって歩こうとした瞬間、私はひどい動悸と息切れ、そして吐きそうな気分の悪さとお腹の痛さでその場に倒れこんで動けなくなってしまった。
そこからは、ただ冷や汗と動悸がひどくなる一方で、私はただの副作用ではないと感じて、主人に救急車を依頼した。その間もどんどんと症状は悪くなり気が遠くなっていって、どんなふうに病院に運ばれたのかは全く記憶にない。ただ、救急隊員が何度も私を呼んでいたが次第に声が遠くなっていって、気がついた時には点滴を受けて病院のベッドに横たわっていた。
しばらくすると、主人とドクターが一緒に入ってきて、私の心電図に異常が出ていて、精密検査が必要との事。どうやら、滅多に起こらない、EC療法による心毒性の副作用が出てしまったとの事。その後点滴治療で少しずつ抗癌剤が身体から抜けていくと同時に少しずつ私の身体ももとに戻ってきた。
私はやむを得ず病院に1泊することとなり、主人はとりあえず家に帰った。
実は救急搬送されるときに、遠のく意識のなかで主人にお願いして、近くに住む友人に連絡をとってもらい、私の救急車が到着する前に息子を迎えに来てもらい預かってもらっていたのだった。翌日は息子の10歳の誕生日だというのに…
後で聞いたところによると、彼女がうちに迎えに来て、手を引かれてあちらの家に向かう途中、あまり不安などを口にすることがない息子は、友人に「お母さんは死んじゃうの?」と聞いたらしい。
私が倒れて気を失っていく様子を一部始終見ていた彼は、いったいどれ程不安だっただろうか。。。彼がそんな風に不安をハッキリと言葉にしたのは、後にも先にもその1度だけだった。
友人によると、息子は夜中の2時まで眠らなかったらしい。そして、翌日の10歳のお誕生日の朝、彼女は息子にパンケーキを焼いてお祝いをしてくれたというのだ。ホントに優しい心遣いにただただ感謝しかない。
自閉症の特性から、不測の事態、また突然の変更への対応が弱い彼が、この時ばかりは涙も見せず、不穏になることもなかったのがとても不思議だ。
そして、さらに、息子はその時の出来事をほとんど何も覚えていないというのである。見えない力で護られたことにまた感謝の気持ちでいっぱいだった。
その後落ち着いてから、我が家でも息子と一緒にケーキを作り誕生日を祝うことが出来たのだが、今でもその時のことを思うと心が痛む。
ちなみにEC療法の2回目は入院のもとで24時間心電図をぶら下げて行われたが、今度は病院で夜中じゅう大量に吐き続けた。どうやら、容量がアジアの体格の私には多すぎたことと、エピルビシンとエンドキサンの抗がん剤が私の身体にはあわなかったようだ。
EC療法は全部で3クール行われる予定であったが、副作用が強い割には腫瘍の縮小が見られなかったため、2回で打ちきりになり、その後予定どおりパクリタキセルと分子標的剤の点滴へと変更となった。
私の癌治療は手術と放射線治療も含めて1年以上に及び、現在は抗ホルモン剤を服用しつつ、運動や食事に気を付けながら再発の防止につとめている。