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若者達へのメッセージ

最近noteは読み専門になっていたが、久しぶりに下書きに眠っていた文章に手をつけてみた。

少し前になるが、デンマークでも公開されている、宮崎駿の映画「君たちはどう生きるか」を観に行った。宮崎駿ワールド全開のストーリーで、先祖代々からその子々孫々へと命のバトンを紡いでいく、過去と現在そして未来、あの世とこの世、生と死を行ったり来たりするような、壮大なスケールの物語。主人公の少年目線で描かれていて、観ているうちに、少年が体験する現実から離れて行く不思議な世界へと自分もいざなわれていった。

映画のあらすじや良し悪しをここで書くつもりはない。強いて1つ言うとすれば、映画館でイヤマフをつけて自分で音響調節していた自閉症の息子でさえ、私の心配をよそに宮崎駿ワールドにすっかり吸い込まれていたようだった。映画館での楽しみの1つ、コーラとポップコーンに手をつけるのを忘れるくらい、微動だにせず2時間真剣に見入っていたのだった。

音響も映像も内容も、感覚過敏のある彼には刺激が多すぎるのは百も承知だった。翌日はそのリアクションで朝から落ち着きがなく些細なことでイラついたりしたのも想定内だった。

それらを差し引いても、自閉症の彼を完全に映画の中に吸い寄せて、終わったあとに「今までで一番いい映画だった」と言わしめる宮崎駿映画はやはり素晴らしい。

私自身もこの作品を通して、80歳を過ぎた宮崎駿監督の、若者の内側から見る異次元世界を描く瑞々しい感性、そして彼自身が次世代に伝えようとしている力強いメッセージにすっかり魅せられてしまった。

そして、また映画のように命のリレーが存在しているのなら、自分はどんなバトンを次世代に渡せるのだろうか。自分の息子も含め、今の若者達に一体どんなメッセージが残せるのだろうか。自分がどんな存在でいれば彼らに「大人になるのも悪くはない」と思ってもらえるのだろうか、と考えるいいきっかけともなった。

私自身は、残念ながら若者時代(特に20代)と呼ばれる時期を無駄に生きてきてしまったように感じている。でもだからこそ今、自分自身の置かれたこの環境で、自分の出来る精一杯の挑戦をしながら、ここから何らかの形で未来を担う若い人たちにエールを送り続けたいと思っている。

子どもの頃小学校の6年間はあんなに長いと感じていたのに、今になってみると人生は本当にあっという間だ。命に関わる病気を経験した私にとっては、色んな人に助けられ支えられ、今ここに生かされていることそのものが奇跡だとしか言いようがない。

そして、ふと気が付けば、自分自身が「若者」だった時代も驚くほどあっという間に過ぎ去り(今でも気持ちは自称若者ではあるが)、人生の折り返し地点も過ぎて、今自分の回りの若く希望とエネルギーのあふれる人達を「若者達」と呼ぶ年齢になっている。

デンマークであれ日本であれ、若者達は間違えなく、自分の人生を模索している。そして、自分は何者なのか、一体何が出来るのか、自分の器がどれくらいの物なのかを見つけようともがいている。

どの国でも一緒だと思うが、流されている人もいれば、尖っている人もいる。瑞々しい感受性を持った人もいれば、妙に悟ったように大人びた若者もいる。本人の個性以外にも、育った環境が彼らのアイデンティティーを形成していることは否めない事実である。

混沌とした社会に生きる今の若者や子ども達が、将来を悲観的に見ているとすれば、それは希望を与えてあげれない私達大人の責任である。彼らが自分自身の居場所が見つけられないとすれば、それは多様性を持たない社会の責任である。

若い人たちにとって大切なことは、自分の意見にしろ、感性にしろ、知識にしろ、自分を表現することを恐れない、諦めないことではないかと考える。彼らは素晴らしい感性やアイデアを秘めていて、私たちは常に彼らから沢山の学びを頂いている。

もし、自分自身を表現する上で、誰かと対立することがあったとしても、それはあなたが悪いのでも、相手が悪いのでもない。

ただ単に、2人居れば2通りの考え方、10人居れば10通りの違った考え方があるだけ。自分が表現したことに相手が賛成しなかったとしても、例え批判を受けることがあったとしても、恐れないで欲しい。それはあなたが間違っているのではなく、ただ単に相手と自分が違う意見を持っている、それだけのこと。

「君たちはどう生きるか」の主人公の少年真人は、母親を亡くし彼を取り巻く回りの世界がどう変わって行こうとも、たとえ先に何があるのかわからなくとも、自分の心が赴く道を、ただまっすぐ勇敢に求めて突き進んでいった。若者達はこの主人公のように、自分自身の可能性を信じることを諦めずに、どんどんと前に進んで行って欲しいと思う。

なぜならば、それは、誰かにジャッジされるものではなく、自分がこの世に生きている使命だから。そして、願わくはそのエネルギーを、回りの人が悲しむことではなく、自分の回りの誰かを笑顔に出来ることに使って欲しい。

どの国でも少子高齢化のスピードが進んでいる。だからこそこれからの社会を、世界を、地球を良きものにして行く今の若者たち一人一人は、たくさんの良き個性、そして良き可能性を秘めている宝物だ。

自分の置かれている状況の中で、自分のペースで出来ることから1歩ずつ前に進んで行けば、道は必ず開かれていくと信じる。

ゾウの歩幅で大きく社会に貢献していく人もいれば、アリの歩幅で身近な人に尽くしていく人もいる。アリがゾウになれなくても、自分はちっぽけだと思う必要もない。

世の中というものは様々なもので構成されていて、自分がその一部であるということを知って、誇りと自信を持って自分の歩幅で進んで行くことが大切なのだと思う。

この文章が若者と呼ばれる未来あふれる人達にとって、映画のタイトルにもある「君たちはどう生きるか」を考えるきっかけになってくれればと願っている。

(ちなみにデンマーク語でのこの映画のタイトルは、"Dreng og hejren(少年とサギ)"。音声は日本語でデンマーク語の字幕翻訳版であった。)


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