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自閉症息子の新しい療育施設(Behandling skole)

ずっと書きたいと思っていた過去の息子との不登校の日々。幼少期からザックリとここまで書いてきて、ようやく今やっと、最初の入学を含めて4回目の転校先となる、現在の療育施設までたどり着くことができた。過去を振り返りながら書くことは、私にとってのセラピーとなり、またその過程を読んで共有してくださっている方がいることが、私の書く気持ちの支えともなり、とても感謝している。

今日は4校目となる現在の療育施設について書いてみようと思う(ちなみに、デンマーク語ではBehandling skole といい、学校という言葉が用いられている)。場所は車で10分の緑の多い閑静な住宅地にあり、一番最初の特別支援学校の近くに位置しているので、地理的には馴染みのある場所だ。息子にとってもその事は安心材料になっているように思う。生徒数MAX10人(12歳~15歳)で現在の在籍人数は7人。今回の転入先は、特別支援学校ではなく療育施設。私は日本のシステムは良く知らないが、日本で言うところのフリースクールもしくは自閉症デイケアセンターみたいな存在にあたるのだろうか。。。

特別学校と何が違うかというと、自治体の中での管轄が違う。学校教育ではないので、いわゆるガイドラインに沿った学習カリキュラムや学力テストなども存在していない。そして、教育よりも療育、即ち子供達が生きていくのに必要な術を身に付けていくことにフォーカスしてくれる点だ。

私たちは、普通学校に併設してあった古い用務員室の建物を改築して、新しく療育施設を建設しはじめた昨年の秋頃から、何度か進捗状況の見学、また周辺環境に慣れるために足を運ばせてもらえていた。学校長は息子がコンピューターが得意ということを知り、最初の設備購入の時期に、息子も一緒にゲームコンピューターとゲームチェアの購入に連れて行ってくれたりもした。そのため、本人は「自分の居場所」として認識しやすかったのか、昨年11月から始まった、週に1回30分~1時間の学校訪問(カードゲームをして帰ってくる)も割とスムーズに始められたように思う。そして現在は日に2時間を週に2回のペースで通っている。そうは言っても、行ける日と行けない日があったり、少しの刺激で感情の浮き沈みは大きく、まだまだ学校に行った日は家に帰ると荒れる日が多い。

彼ら自閉症の子供にとっては、新しい環境に馴染むのは想像を絶する労力が強いられる。新しい職員、新しい建物、そしてそこに通ってくる新しく出会う子供たち。。。感覚過敏のある息子にとっては、座る椅子の感覚、建物周辺の音、庭の木々の匂い、出入りする大人達の姿や話し声、、、そんな小さな一つ一つが新しいチャレンジになるのだ。

息子は4年間、まともに通学が出来ておらず家で過ごしていたので、ことさらに、それらの外的刺激には慣れていない。そこを克服するのにこれから一体どれくらいの時間がかかるのかはわからない。でも、出来ていないことに目を向けるのではなく、ほんの数ミリずつでも前に進んでいることに目を向けていこうといつも心に決めている。

彼は自分の想いを言葉にすることがとても苦手である。頭の中ではきっとぐるぐると色んなことを考えてはいるのだろうが、それをアウトプットする機能が極端に弱い。うまく言えない感情を自分の中に持て余して、その苛立ちから、時には叫んだり物を投げたりが続くことがある。

今までも、ピクトグラムの視覚化を使ったり、一緒に絵を書いて説明してみたり、できる限りの工夫はしてきたつもりだが、IQの高い自閉症の子供にとっては、特に思春期ともなってくると、それらは「子供っぽいもの」と受け取り嫌がるようになり、あまり効果は期待出来ない。

それでも、数ミリずつ前に進んでいる。

今までは、次回の学校の予定など、とても話しに出来なかった。「学校」という言葉を私たちが口にしようものなら途端に怒り始めていた。過去の3つの学校でのトラウマ的経験が、彼の「学校」という言葉や場所に対する拒否反応、防御反応を構築してしまったとも言えるのかもしれないし、残念なことにそれは当然の反応だ。

ところが、今回の療育施設に移ってから、彼の中に少しずつ変化が見え始めている。夜寝る前に「明日は学校の日?」と自分から確認する日が増えてきたのだ。

たとえ結果的に学校に行けなかった日であったとしても、とりあえずは朝起きて行こうとする姿勢を見せる。そんな日は、行きたい気持ちはあるけれども、結局起きて朝ごはんが決められず(息子は酷い偏食である)、その続きの行動が出来ずに、折り合いが難しくなって布団に潜り込んでしまう。

でも、そんな時でも、今のところ「行きたくない」とか「学校は嫌だ」とは言ったことはないし、そこで朝から怒って暴れたり叫んだりすることもなくなってきた。

私はそんな小さな前進をとてもとても嬉しく思う。

彼はこの先、もしかしたら自立して1人で生活していくことはできないかもしれない。それでも、ひとつでも何か自分の自信を取り戻せること、また自分で出来ないことを知り、誰かに助けを求めることが出来るようになれること、あわよくば自分以外の同じ境涯の子供達と交流が出来て支え合えること、そんなことをほんの少しでも身に付けていくことが出来ればそれだけで充分だと思っている。

まだ、始まったばかり。そして、この先もどうなっていくのか見えないことばかり。それでも、息子は間違えなくゆっくり自分のペースで前に進んでいる。どんな方向に進んで行こうとも、先を明るくみて、彼の進む未来に光が見つけられることを信じて、そして出来るようになっていることに目を向けながら、これから先も見守って行きたいと思う。

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