あの時よりマシな未来

年末から春風が吹き始めるくらいまでの間は、Twitterのタイムラインが優秀な美大生による卒業制作でたびたび華やぐ。見るたびに胸がチクッと痛み、同時にあのほこりっぽくて寒い廊下のことを考える。思い出しただけで身震いするのは、寒さのせいだけではない。

遡ること数年前、大学の寒い廊下にて。わたしもまた、懸命に卒業制作を作っていた大学4年生だった。卒業制作とは、美大での卒業前最後の制作物で、美大生にとって大学生活の集大成である。その後の進路にも大きく影響してくる可能性もある大事な作品だ。
わたしの卒業制作の作品は簡単に言うと巨大な風船の彫刻だった。ビニール袋をいくつもつなげて扇風機で空気を断続的に送り込むことで、ビニールがフワフワと蠢く様を、空気を食べる生き物として表現したかった。
入学して3年間の借りを返すために、わたしは必死だった。

今思えば最初から燻っていた。どうしても入りたかった東京芸大の3度目の受験も虚しく、仕方なく入ったとまで思っていた某T美術大学。しょうもないプライドが邪魔をして妙な肩肘を張ってしまい、なかなか実力を発揮できない毎日。こんなはずじゃない、自分はもっとできるはずと信じても頭と手が動かず、わたしはとうとう入学してから大学3年までの間で一度もやり切ったと思える作品を作ることができなかった。
なんのために美大まで入ったのかわからなくなっていた、そんな日々を経て迎えた卒業制作。うちの学科は空間デザインや建築を学ぶ学科だったので、1年かけて数メートル級の大作を作る人もいたりして、皆かなり気合が入っていた。
わたしだってなるべく大きく、すごいものを作りたかった。今まで誰も作ったことのない作品を作って皆をあっと驚かせたい。そういう理由もあったけど、今まで自分に満足できなかった自分を慰めてやりたい。その一心で、廊下に作った狭い席でただただ手を動かす日々が続いた。しかしスケジュール的にもスケール的にも実験を繰り返す暇はない。結果、ビニールをつなげるだけつなげて、本番で初めて空気を入れるという作戦に出た。

そして迎えた講評*の日(*先生たちが作品の評価をすること)。暗くて広い部屋で幻想的にライトアップされたビニール袋の塊と、数台の扇風機。スイッチをオンしたら、ビニールに風が送り込まれてブワーーーっと大きく持ち上がり、そして蠢き始める。はずだった。
わずかに動いてはいる。しかし、空気はほとんど入っていないので、持ち上がりすらしない。ビニールの量が多すぎて、この扇風機では風力が圧倒的に足りなかったのだ。
夢だと思いたかった。
静まり返る部屋。気まずそうにこちらを見る後輩。ビニールだけがカサカサと音を立てる。
あの時の教授の、豆鉄砲を食らったような顔だけは今でも鮮明に思い出すことができる。
そのあとの記憶はほとんどない。ただただ視界がぼやけて、白くなってやがて見えなくなっていった。

最近気付いたのだが、私は、自分にあまり期待していない。自分に課しているハードルがものすごく低いのだ。
こんなことを言うとプロ失格だとか思われるかもしれないけど、それがあったからやってこれたのだと思う。
大学時代からデザインのアルバイトをしていたことも合わせると、実質デザイナー歴は7年になる。その間にも幾度となく悔しい結果になった作品はあった。しかしあれほど不本意な作品は今までない。
大学卒業後、なぜ受かったかわからない大学院で作品作りに没頭した。そのままなどういうわけかデザイナーとして就職して、不思議なことに、こうして一人でなんとか食えている。
谷底はもう知っている。だからあとは、あの頃よりはマシな作品を作るだけ。そう思うと、自然と肩肘張らずに物を作ることができるのだ。

受験生の頃は大学合格のため、学部1〜3年は見栄のため、卒業制作は納得しない自分のために作品を作っていた。あのときいた誰もが、わたしが創作をすることはもうないと思っただろう。確かにそれだけ惨めな思いをしたけど、枝に絡まっていた風船があのときやっと切れたような、そんな吹っ切れた気持ちだった気がする。
結局わたしの創作活動は、本当の意味では卒業制作から始まったのだと思う。

2020年が終わる。2021年も、あの時よりはマシでありたい。

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