ルーズソックスを握りしめて

駅を颯爽と歩く女子高生3人組。黒くて長い髪で夏の風を象る姿がまぶしかった。私もあのくらいの歳の頃、確かにあんな風で肩を切って歩いていたかもしれないなと思ったその時だった。
3人のうち1人の格好に、私は少し驚いた。他の2人は学校指定と思われる靴下なのに対し、彼女だけが足元が白くクシュっとしていた「それ」を履いていたのだ。

「それ」を初めて見たのは小学生の頃だった。
90年代後半、コギャルが世間でもてはやされていた頃。その一風変わった格好を大人たちがどう思っていたか覚えていないけど、当時の小学生のガキンチョたちの目には最高にかっこいいお姉さんとして映っていた。少し硬そうな小麦色の肌と、小学生の体では到底負けてしまいそうなボリュームのあるものを身につけている姿が、たまらなく大人に見えた。お調子者の友人が毎日「コギャルになりたーい!」と叫んでいた記憶がある。無論、私も同意だった。
ルーズソックス。キッズが手っ取り早く大人になれる最高のアイテム。早く中学生になってルーズソックスを履いてセンター街とかを歩いてみたい。やや校風が自由な中学を受験したのもそんな理由からだった。

しかし夢はすぐに打ち砕かれることとなった。
入学した中学は中高一貫校で、受験のストレスのムードは皆無に近かった。やることがないと人は人を傷つけたくなるのだろうか。あの中学には生徒間であらゆるルールが常に囁かれていた。
“中1は制服のスカートを折ってはいけない”
“認められた人しかリボンを長くしてはいけない”
覚えているのはこのくらいだが、他にも色々あった気がする。そんな中で極めて効力のあったルール。
それは、

”ルーズソックスは中3しか履いてはいけない”。

要するに、一番かわいいアイテムを身につけていいのは中3からなのだ。中2や中1が履くなんてもってのほか。隣のクラスのYちゃんはそのルールを知らずに履いてきて、先輩に呼び出されシメられたという。
こんな殺伐とした所で履きたいと意思表示をするだけできっと殺られてしまう。私は大人しくルーズソックスを履ける学年になるまで待とうと心に決めた。そうしておしゃれ心を封印し、先輩にシメられることもなくなんとかやり過して1年が経った。

中2になり、制服のスカートを折ることが許された頃。私たちは帰りの会で担任教師から思わぬ情報を耳にした。
「中3は来週から4日間修学旅行に行きます。皆さんが最上級生になるので、最上級生らしい振る舞いをするように。」
皆思うことは同じだった。

中3の全クラスが修学旅行行きのバスへ乗って行ったことを確認し、コソコソと校門をくぐった。いつもより胸がときめく、でも少しだけ不安な朝。
クラスの扉を開けると、いつもよりウワッと熱気がすごい。「120cmでしょ!あたしも!」「イーストボーイの刺繍かわいー!」「誰かソックタッチ持ってないー?」
足元は白くてもこもこのルーズソックスでいっぱいだ。なんとみんな、この格好で校門をくぐったのだ。

驚いたふりをしたが私もそのつもりだった。いとこにもらったセシールのルーズソックスを履いた自分の姿は最高で、家を出る前、何度も鏡を見て、やっと夢が叶った実感を奥歯で噛み締めていた。
しかし玄関を出る直前、強烈な羞恥心と恐怖に苛まれた。当時ちょっと男勝りなキャラだったこともあり、ルーズソックスを履くことでクラスメイトにキモいと思われないだろうかと急に不安になったのだ。それに、修学旅行に行っていない中3がたまたま見てることもあるかもしれない。
散々考えた結果、私はルーズソックスで校門をくぐることを断念し、紺色のハイソックス(紺ソ)に履き替えた。しかしちゃっかりスクールバッグに忍ばせることは忘れなかった。

憧れのルーズソックスを学校に持ち込むことができる。それだけで私は満足で、ときめきを押し殺して校門をくぐった。いつもより堂々としているクラスメイトたちのキャッキャした様子を少し羨ましいと思いながら、この選択は間違いではなかったと実感した。
私のようなことを考えている子は数人いて、同じようにバッグにルーズソックスを忍ばせていた。しかし彼女たちも昼休みになると気持ちが固まったのか、一斉にスクールバッグから取り出して履き出した。
私もそのつもりで持ってきたはずだった。足元のオセロはどんどん白が優勢になる。私は家を出る前に浮かんだ思いこみと被害妄想で頭がおかしくなりそうだった。結局私だけが最後まで、スクールバッグからルーズソックスを取り出すことができなかった。

流行りというのは本当に先が読めないもので、なんとその後ルーズソックス文化は約半年で急激に衰退していき、一気に一昔前のものになってしまった。私が中3になる頃にはもうすでにスタンダードなスタイルではなくなり、よほどGAL魂のある子しか履かないものになっていた。
つまりあの昼休みで私は、私だけが、ルーズソックスを履くチャンスを永遠に手放してしまったのだった。


方角という小さな会社を始めてというもの、やたら心臓が強くなった。おばさんに片足を突っ込んだ私だが、今ルーズソックスを履いて表に出ろと言われても、別に何にも思わず出て行って軽く踊れるくらいの余裕すらある。
中2の頃、思い込みや被害妄想でいっぱいのあの危うくて繊細な心で世界をどう見ていたのか、年々思い出せなくなってきた。あの頃、校門は国境で、ルーズソックスはチケットだった。そういう世界を、たまにもう一度だけ思い出したくなる。
駅の女子高生は足早に去って行った。黒髪に撫でられた夏の風がきらめいていた。

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