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偉人の別の顔#1 投資家・ガウス

 ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスは、19世紀に活躍したドイツの数学者・天文学者・物理学者です。ガウスの研究は広範囲に及んでいて、特に近代数学の多くの分野に影響を与えました。彼はその業績から、アルキメデス、ニュートンと並び称せられ、世界三大数学者と呼ばれています。また、18世紀のレオンハルト・オイラーと並んで数学界の二大巨人の一人と呼ばれることもあります。とにかく凄い人です。

 数学の分野だけではなく、電磁気など物理学にも、彼の名前が付いた法則や手法が数多く存在します。例を挙げれば、ガウス関数、ガウス積分、ガウス記号、ガウス曲率、ガウス写像、ガウス整数、ガウス分布、ガウスの求積法、ガウスの消去法、ガウスの発散定理、ガウスの法則・・・など、まだまだあります。

 レンガ職人の親方の子供として生まれたガウスは、貧しかったわけではありませんが、数学だけを研究して暮らせるほど裕福だったわけでもありませんでした。ガウスは大学で数学を教えることもありましたが、教授料はそんなに高くありません。それからガウス自身は、人に教えることが退屈と考えて、あまり熱心ではありませんでした。ほとんど知られていませんが、実はガウスは”投資”によって生活を支えていたのでした。

 ガウスが、お金にも関心があった(かもしれない)エピソードがいくつか残っています。天才エピソードにありがちですが、ガウスは言葉を満足に話せるようになる前から、誰から学ぶこともなく計算ができたといわれています。彼がまだ3歳になるかならないかの頃、親方である父親がレンガ職人達に支払う給料の計算をしていた時、彼は父親の計算が間違っていることをはたから指摘しました。父親が驚いて計算をやり直したところ、幼児・ガウスが指摘した通りであったということです。ガウスが5歳ころには、何と一家の財務管理を任されていたそうです!?。

 父親は息子にレンガ職人を継いで欲しかったので、息子に高等教育を受けさせるのに猛反対したそうですが、周囲の説得もあり、ガウス少年は飛び級を重ねて大学に進学します。ガウスが興味を持っていたのは数学言語学で、当初ガウスは言語学を仕事にしたいと考えていました。ところが、正17角形の作図法の発見で注目され、自信を付けたガウスは、数学方面に注力するようになりました。

 しかし、数学だけでは飯は食えません。そこで活躍したのが、ガウスのもう一つの特技である言語学です。彼は数か国語に堪能だったので、ヨーロッパ各地の情報を収集し、その情報をもとに投資をしました。並の数学者なら大損するのでしょうが、小さい頃から磨かれた財務能力と、持ち前の計算能力で、投資は成功しました。現在でも同じですが、投資に関する情報は資産と直結します。インターネットなどの無い当時のヨーロッパでは、情報の価値は今の数倍・数百倍の価値がありました。

 人付き合いの悪い孤高の天才・ガウスでしたから、いくら稼いだかわかりませんが、数学や物理などの研究に専念しても困らないくらいには稼げたようです(著者の勝手な想像)。下の写真は、ユーロ導入前のドイツの10マルク紙幣です。この紙幣にはガウスの肖像と、統計学で頻出するガウス分布のグラフが描かれています。投資家・ガウスは、”紙幣に最もふさわしい大数学者”です。

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旧・10ドイツマルク紙幣


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