ピンク・レディーと大谷翔平
ピンク・レディーは、1970年代後半に斬新な振付と衣装を伴ったユニークなヒット曲の数々で、爆発的なブームを巻き起こした女性デュオです。当時高校生だった私は、アイドルには興味はありませんでしたが、ピンク・レディーの人気ぶりはよく覚えています。若い女の子達はこぞってピンク・レディーのモノマネをしたし、男性二人でピンク・レディーの振り付けを完コピすれば大絶賛でした。
大谷翔平さんは、大リーグで活躍するプロ野球選手で、現在はロサンゼルス・ドジャースに所属しています。2024年2月29日に、結婚報告したことでも話題になりました。昨年はエンゼルスで二刀流の大活躍でしたが、今年はひじの手術のこともあり打者に専念するみたいです。
世代が違う女性デュオとプロ野球選手は、一見共通点は無さそうですが、実は共通点があります。それは、”人気絶頂期にアメリカに渡ったこと”です。大谷選手が、日本の北海道日本ハムファイターズからエンゼルスに移籍したことは知られていますが、ピンク・レディーがアメリカに渡ったことはあまり知られていないようです。
『スター誕生!』というスカウト番組で、化粧っ気のない素朴なイメージだった二人は、デビュー時には大胆に肌を素出させた衣装に身を包み、セクシーで可愛らしい女性アイドルに大変身しました。私は『スター誕生!』の時に二人が合格した時を見ていましたし、その後、番組内でデビュー曲の『ペッパー警部』を歌った時も見ていました。この時の衝撃は今でも覚えています。
その後もヒット曲を連発したピンク・レディーは、大ブームで社会現象にもなりました。しかし、二人は1979年に突如アメリカに渡り、「Kiss In The Dark」で全米デビューを果たしました。この曲は、1963年の坂本九さんの『Sukiyaki』以来、全米ビルボード の37位になっています。また、"Pink Lady and Jeff" (ピンク・レディー・アンド・ジェフ)という冠番組が、NBC系で放送されました。ピンク・レディーは日本の時のような大ブームとまではいきませんでしたが、アメリカでも結構活躍していました。
しかし、彼女たちの活躍が日本で報じられることはありませんでした。その当時の日本の風潮は、”日本を捨ててアメリカに出稼ぎに行ったアイドル”というものでした。芸能界は、古臭い慣習が今でも残っています。おそらく、ピンク・レディーのことを良く思わなかった人たちが多かったのでしょう。日本のマスコミもアメリカに渡ったピンク・レディーには無視を貫きました。
一方、大谷選手はアメリカに渡った当初から、ほぼ毎日のようにテレビや新聞で、彼の動向が好意的に伝えられていました。アメリカで大活躍する大谷選手は、いまでも報道されない日はないくらいです。この違いは一体何なのでしょうか?。
芸能人と野球選手の違いということもあるでしょう。しかし、それだけではありません。はじめて大リーグに本格的に挑戦した野茂英雄選手も、最初は酷評されました。ピンク・レディーと同じく、”アメリカに行っても通用するわけがない”という風潮が蔓延していました。しかし野茂選手の活躍が続くと、手のひらを返したように好意的に報道されるようになりました。今では、多くの選手が大リーグに挑戦して活躍していますが、野茂選手がこの道を開拓しなければ、これほど多くの日本選手が大リーグに行くことは無かったでしょう。
時代が変わったと言えばそれだけの話ですが、野球だけではなくあらゆるものがグローバル化しています。日本だけで物事を考えていてはダメな時代がもう来ています。認めるか認めないかに拘わらず・・・。
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