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ウロボロスの遺伝子(12) 第3章 MADサイエンス研究所④

「白鳥先生が、どうしてこの研究所に?」予想外の展開に驚きすぎて、何を話して良いかわからなくなった赤城に代わって黒田が聞いた。
「お恥ずかしい話ですが、大学に居た時の不摂生と激務がたたり、退職時には体を壊して大病の一歩手前でした」
「ですから女房と相談して、それまでの仕事は全部リセットして、空気と水の良い環境、つまり、ここ星久保村に移り住んだわけです。ここ星久保村は都会とは縁遠い過疎の村なので、人に煩わされる心配がありません。それから、この村は女房の故郷でもあります」と白鳥が説明を続けた。
「澄んだ空気と綺麗な水、それと日課にしている農作業のおかげで、今ではすっかり元気になりました。ひょっとすると若い頃より、今の方が健康かもしれません」

「研究所に入ったのは本当に偶然です。星久保村に研究所が建設中なのを、引っ越した後で知りました。まさかこんな田舎に研究所ができるとは、夢にも思いませんでした。私には関係ないと思っていましたが、研究所の完成後に、『何も研究しなくても良いから』と仙石所長に誘われました。私を含めて、研究所に所属するすべての人達は、所長の仙石にスカウトされています」
「でも、研究所なのに研究しなくて良いなんて・・・・・・」と黒田が小声で言った。
「今はまだ研究はしていませんが、一応医師免許を持っているので、週末にはボランティアで診療所の医者をやっています。星久保村は無医村なので」白鳥が微笑みながら応えた。
「それは失礼しました」と黒田が恐縮した。

「仙石所長とは直に会って、それでスカウトされたんですか?」と赤城が聞いた。
「いいえ、青山君を通じて仙石所長からの申し出を聞きました」と白鳥が答えた。
「やはり、所長は正体不明なんですね?」赤城が続けて聞いた。
「どうも、そのようですな」白鳥が申し訳なさそうに答えた。
「ところで先ほど、クジで副所長になったと聞こえたんですが・・・・・・」少し落ち着きを取り戻した赤城が、恐る恐る尋ねた。
「間違いではありません。その通りです」
「基本的には、この研究所の研究員や技術職員には、上司と部下のような上下関係がありません。自由な雰囲気の中、みんなが好き勝手に個人で研究したり、場合によってはグループを組んで研究をしています。また、研究自体も義務ではありません。私の場合のように」と白鳥が笑いながら二人に説明した。

「もう一つ教えてください。このような研究所を運営するには、かなりのお金がかかると思うのですが、人件費や運営費はどのようにして賄っているのでしょうか?」赤城が元経済官僚らしい質問をした。
「それは私がお答えしましょう」と青山が質問を引き取った。
「基本的には、仙石所長や研究所に所属する研究員が発明した特許のライセンス料が、人件費や運営費の原資になっています。また研究所にはファイナンス部門があって、そこでライセンス料を株や債券などで運用しているので、お金は割と潤沢にあるようです」と青山が続けた。

「話を戻しますが、この研究所には便宜上、人文科学、社会科学、情報科学、生命科学、地球科学の五つの研究ユニットがありますが、そのユニットの代表者も一年交替の輪番制、つまり持ち回りで決めています。既にお気付きの通り、所長の仙石が不在の場合が多いので、副所長が当研究所の実質的なトップとなります。しかし、その副所長でさえ毎年末に研究員全員によるクジで決定します」と青山が補足した。

「前回は所長の発案で副所長決めのビンゴ大会をやったんですが、私が見事一番にビンゴとなったわけです」白鳥が苦笑しながら説明した。
「長時間の運転でお疲れでしょう。そろそろお昼ですので食堂で昼食でも食べながら続きをお話しましょう」
「ご存知のように星久保村は過疎の村ですから、大人数で食事ができる食堂やレストランはありません。そこで、研究所内に食堂が設けられています。この食堂は研究所ができた時からのものなんですよ。因みに食堂のスタッフも、所長がスカウトしています」と青山が説明した。

「ここの食事は、研究所のスタッフなら三食無料です。しかも、とてもおいしいんですよ。近所の人たちも、時々利用しています。野菜や山菜、鮎などのお裾分けを頂いた時には、お礼に食事やデザートを召し上がって頂いています。今が一番忙しい時間帯なので厨房で働いていますが、『食堂のおばちゃん』こと肝付きもつきさんがすべての料理を調理しています」白鳥が自慢しながら言った。

「私たちも頂いて良いんでしょうか?」嬉しそうに黒田が言った。
「もちろんですよ」白鳥が即答した。青山が白鳥に続いて説明した。
「お昼はバイキング形式になっています。好きなものをトレーに載せて、好きなだけ食べて下さい。この食堂の料理は星久保村で採れる地産地消の食材を使っていて、採れたて新鮮なのがウリになっています」
「お二人は、その土地で昔から栽培されている『伝統野菜』はご存知ですか? ここ星久保村には、その伝統野菜と呼ばれる作物が数多く残っています。星久保大根・星久保ネギ・星久保ナスの他にもたくさんあります。東京には出回っていないので、知らない人が多くて残念ですが……」と白鳥が言った。
「遺伝子的にも興味深い野菜がたくさんあるので、体調も戻ったことだし、そろそろ野菜の遺伝子に関する新しい研究を始めようかと考えています」と白鳥が抱負を語った。

「ここの野菜は、ご近所の農家が無農薬で丹精込めて育てたものを仕入れていますので、野菜本来の味がしてとっても美味ですよ。私も畑で野菜を育てていますが、星久保村の農家の皆さんのようには中々うまくはいきません」白鳥がやや悔しそうに言った。
「今は時期ではありませんが、食堂で提供される夏野菜を使ったラタトゥイユは絶品ですよ。今の時期なら、野菜やキノコたっぷりの猪汁がお勧めです」と青山が補足した。

 赤城と黒田は、この怪しげな研究所にノーベル賞受賞者の白鳥博士がいたという安心感からか、お腹の中に急に空腹感が湧き上がるのを感じた。


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